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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;現し世から桜の園へ
75/75

;第零話



「───サキー、こっち手伝ってくれるー?」


「はーい!いま行く!」




春。

地中の種が、長らくの眠りから覚める時。

ちいさな二葉に姿を変えて、萌えいづる季節。


わたし吉野よしの咲季さきは、先日に北海道まで越してきた。

今は母と二人、荷解きの作業に追われている。


早いもので、明日は高校の入学式。

明後日からは、高校生活が始まる予定だ。


わたしは市内の女子校に入学が決まっていて、届いた制服も着下ろし済み。

憧れだったセーラー服と共に、これからの青春を過ごしていけるかと思うと、感動も一入ひとしおだ。



「ふー……。リビングの方は、とりあえずいかしらね」


「お疲れさま。こっちもだいたい仕舞い終わったよ」


「ありがとー。

明日から新入生になろうって人に、本当はこんなことさせたくないんだけどねぇ」


「いいよいいよ。他にやること、もう終わったし。

お父さんは何時ごろ帰って来るんだっけ?」


「"定時の予定ではある"、だってさ」


「またそれかぁ」



もちろん、楽しいことばかりではない。

移住に伴って、慣れ親しんだ古巣とは離れ離れ。

仲の良かった友達や、親のように良くしてくれたご近所さん達とも、別れ別れになってしまった。


期待以上に不安が大きいというのが、新天地に対する率直な気持ちだ。



「栄転しても顎で使われてるようじゃあ、先が思いやられるよねぇ」


「うーん。頼りにされてる証拠かも?」


「そもそもよ?向こうがもっと前に整えてくれれば、今日明日で引っ越さずに済んだのに───」


「まぁまぁ。荷解きくらい、ゆっくりやればいいんだし。

あれ届かないー、これ壊れたー、とかが起きなかっただけでも、良しとしましょう」


「あっはは!どっちが親か分かんないね!」



とはいえ、嘆くことばかりでもない。

わたし個人の馴染みは薄くとも、北海道はわたしのルーツに関わる土地。

新しく根を下ろすなら、ここを除いて他にない。


景色が綺麗で、食べ物が美味しくて、冬になれば当たり前に雪が降る。

観光人気ナンバーワンの称号は伊達でないこと、楽しみながら慣れていけば、自ずと寂しさを越えられるはずだ。




「よし、一回休憩にしようか。

サキも、お腹減ったでしょ?焼きそばでも作る?」


「ううん、お腹は平気。

でもちょっと、肩っていうか……」


「凝った?」


「かなぁ?背中もお尻も、なんかゴワゴワになっちゃった。

外の空気吸いたいし、軽く散歩してきていい?」


「いいけど……。大丈夫?迷ったりしない?」


「ちょっと景色見てくるだけだよ。変なとこは行かない」


「そう。じゃあ、気を付けて。暗くなる前に戻っておいでね」


「はーい。行ってきます」



空の段ボール箱に囲まれた母が、飲みかけだったペットボトルの麦茶を飲み干して、こちらに手を振る。

わたしもそれにやり返し、お気に入りのカーディガンを羽織って、家を出た。



「んんー、気持ちいい」



穏やかな昼下がり、春うららの風が吹く。

乱された前髪を直しながら、後にしたばかりの我が家を仰ぐ。


菜の花を思わせる薄黄色、二階建ての一軒家。

神奈川にいた頃は借家のマンション暮らしだったから、未だに実感が湧かないけれど。

今日からわたしは、この家に"ただいま"を言うんだ。




「けっこう若い人いるなぁ。

あ、赤ちゃんだ!バイバーイ……!」



わたしの両親は、共に北海道で生まれ育った道産子。

幼馴染みから親友に、親友から恋人に発展した仲だそうだ。


かよった学校は小・中・高と、更には大学まで同じ。

就職でやっと別の進路を選び、父は神奈川、母は東京へと移り住んだ。

いわゆる遠距離恋愛を続けていた間は、電話よりも手紙のやり取りが多かったと母は言う。



のちに籍を入れてからは、母が父のもとへ合流し、わたしが生まれた。

初めての子育てに悪戦苦闘した二人は、いつしかこんな話をするようになった。


新しい家族が出来たからには、遠からず故郷ふるさとに帰りたい。

都会暮らしも悪くはないけれど、せっかくなら子供の成育にい環境で再スタートを、と。



そして現在。

転勤という形で遅まきながら望みを叶えた父は、今度こそ故郷に骨を埋める決心をした。


母の要望とも擦り合わせ、二人がかりで築き上げた我が家。

時に仲違いをしたこともあったが、喧嘩するほど何とやらだと父は言う。




「(ほんとに綺麗なとこだなぁ。

こういうとこが故郷って言えるの、いいなぁ)」



銀花ぎんかちょう

花と名にある通り、美しい自然に恵まれた、北海道の田舎町。

大昔にはお殿様が住み、蝦夷の都とも称された城下町だったらしい。


城下・・でなくなったのは、後年に謀反が起きてから。

件のお殿様が酷い暴君で、民草の恨みを買った末に、お城もろとも焼き討ちにされてしまったのだそうだ。


僅かに残された城跡は、当時を物語る資料館として再建。

銀花町の名所のひとつとなり、おかげでわたしも歴史を学べた。




「お、たんぽぽはっけ───、あれ?ちょっと違う?

うーんと……、あ。でた。"ノゲシ"。聞いたことないや。

キク科の割には小さいねぇ、おまえ」



映画館よりも図書館が多く、

バスよりも市電が重宝され、

ショッピングモールがない代わりに、アーケード通りや商店街に人が集まる。


悪く言えば前時代的で、懐古主義な在り方かもしれない。


にも拘わらず、出生率は北海道随一。

若年層の移住率も、右肩上がりに増え続けている。

たとえ前時代的でも、住めば良い町である証拠だろう。




「おまえは知ってるぞ、"シロツメクサ"だ。

クローバーと違って、斑模様が入ってるんだっけ。

春だなぁ、かわいいなぁ。ふふ」




お城がなくてもいい。

お殿様がいなくたっていい。

誰かが際だって栄えるのではなく、誰もが健やかに暮らしていけるように。


かつて謀反を起こした者たちが、栄華ではなく安寧を求めた結果こそ今。

銀花という名前も、謀反に関わったある女性(・・・・)が、未来に希望を込めて名付けたとされている。




「この子見たことある。

………"ナズナ"。へぇー、これがナズナか。別名"ぺんぺん草"。

あ、春の七草。意外と知らないもんだなぁ」




不思議だ。

両親の生家は、厳密には隣町。

わたし個人に至っては、お盆や暮れに何度か帰省した程度で、馴染みも土地勘も殆どないはずなのに。


懐かしい。

初めて見る景色も、歩く道も、空気の匂いや手触りでさえも。

ずっと前から、知っていた気がする。


もしかして、両親の思い出が移ったか。

謎の未亡人が住むお屋敷があったとか、贔屓にしていた駄菓子屋が無くなったとか、今朝にも二人で語らっていたくらいだ。




「───ん。なんだろう、このにおい」



大通りをぐるっと巡ってから、我が家のある住宅地まで戻ってきた時だった。


ふと、花の香りがした。

道端に咲く野花とは一線を画すほどの、ひときわ強い香りだった。


足を止めたわたしは、改めて息を吸ってみた。



「さくら、かな」



これは、桜のにおいだ。

それも、蕾を開いて間もない、初桜のにおいだ。



「(たぶん、こっち。

うちからは、ちょうど反対側だな)」



どこからともない、甘い誘惑。

しきりに鼻を鳴らしながら、誘惑の出どころを探し回る。



「わ、ひろーい……」



行きとは別の経路で、住宅地を彷徨うこと数分。

辿り着いたのは、閑散とした空き地だった。


元々なにがあった場所かはさて置き、住宅地の中とは思えない広さと奥行きを有している。

民家というよりは公共施設、公園なんかを作っても不足はなさそうだ。


ただし、空き地は空き地。

雑草は伸び放題で、砂利も転がり放題。

立入禁止の囲いや貼り紙なども、特に設置されていない。

本当に公園を作るとするなら、果たして何年かかるやらだ。



「やっぱり」



空き地の奥には、一本の桜木が立っていた。

ここを守る番人のような佇まいは、貫禄があって荘厳で、なにより美しかった。



「(北海道の桜は時期が遅いって聞いたけど……。

どうしてこんなところに、こんなに立派な……)」



神々しい、とでも言うべきか。

どこか引き寄せられる感じがして、自然と桜木の方へ足が向いた。



「さわっても、いいのかな」



誰にでもなく問いかけ、桜木に手を伸ばしてみる。

すると幹に触れた瞬間、鋭い衝撃がこめかみに走った。


鈍器で殴られたような痛みと、電流で揺さぶられるような熱。

幹に触れた指先から、全身に押し寄せてくる。



「ぁ、は───ッ!」



痛い。熱い。苦しい。

瞼の裏で閃光が瞬く。鼓膜の内を噪音が劈く。


目が回る。息が詰まる。

とても遠くで、とても近くで、何か(・・)が視界に色を差す。



"───、─────。"



あれは、人影か。

考えようにも、考えられない。

まるで、脳に情報をじか送りされるみたいだ。



「ぅ、く───っ!」



たまらず地面に膝をつく。

幹に触れたままの手は、何故か剥がせない。



"─────、───。"



ならばと目を閉じてみる。

瞼の裏の閃光と、脳に送られる情報とが合わさって、ひとつの映像になる。



「(男の、ひと……、おんな……?

知らない、背中、服も、誰か───)」



長い黒髪、白い羽織。

腰に日本刀を差したこの人は、いったい誰だ。

忍者か侍のような出で立ちだけれど、時代背景が分からない。

顔立ちも、酷く霞がかって、よく見えない。



"いつ────時も、───お側に────。"



噪音に声が浮かび始める。

映像の人が、こちらに向かって話しかけている。


なにを言っているのか。

わたしに話しているのか。

絶え間ない頭痛と目眩に邪魔されて、肝心な部分が読み取れない。



"今日────を忘れ───、──さん。"



気付いたことは、この人だけ。

断片的に繰り返される映像の中で、登場人物はこの人しかいないということ。

この人と、わたし視点の誰かが、ずっと一緒にいるということ。



「あなた、は、わたしの───」



漠然と、理解した。

映像は、記憶だ。わたし視点の誰かが、実際に経験した出来事なんだ。


映像の人はきっと、記憶の持ち主にとって大切な相手。

時に笑って時に泣いて、睦まじく触れ合う様相からは、二人の親密さが窺える。



"──が─しょう。"



また映像が切り替わった。

わたしの視点、つまりは記憶の持ち主が、何かを手に握っている。


手鏡だ。

小さな枠に、反転した景色と、記憶の持ち主が映る。



「(わたし……?)」



日に焼けた髪、鶯色の瞳。

薄く化粧を施された、あどけなさを残す顔。


この少女、わたしと似ている。

いや、似ているどころではない。

他人の空似というには、あまりに共通点が多すぎる。


じゃあ、誰の記憶か。いつに起きた出来事なのか。

わたしは今、ここにいる。現代の日本にっぽんに生きている。

こんな経験も、こんな相手も覚えがない。

母や祖母や、曾祖母の思い出話にも例がない。


だとすると、ひょっとして。





"姫様。"





ゆっくりと目を開ける。

立ち上がり、幹に額をくっつける。



「(わかった。

これは、わたしの、前世の記憶だ)」



確証はなかった。でも確信があった。

いつかのわたしは、確かにあの人を、心の底から愛していた。


最後に目にしたのは、鮮やかな群青。

あの人の胸に抱かれて、深く深く、泉の底まで沈んでいった。


一生一度の明鏡止水。帳向こうの十万億土。

命懸けだった、恋だった。



「(そっか、わたし。

あの人と、生きていたかった)」



だけど、どうしても。

最期の最後で、あの人と交わした言葉だけが、思い出せない。




「桜が、お好きなのですか」




次の瞬間、誰かの凛とした声が耳に響いた。

往時に胸を馳せるあまり、存在に気付けずにいたらしい。


驚いて声のした方へ振り返ると、その人との間を突風が吹いた。

反射的に目を瞑ってしまったわたしは、鎮まっていくのを肌で感じて、恐る恐ると瞼を上げた。


舞い散る花びらの先にいたのは、一人の少年だった。



「願わくは、いつかまた、この場所で」



短い黒髪、白いシャツ。

感嘆の息を逆に呑んでしまうほどの美貌を持った少年は、あの人と似ていた。

いいや。似ているどころでは、なかった。



"───本当に、生まれ変われると思う?"


"きっと。どこにいても、どんな姿になっても、必ず見付ける───。"



そうだ、約束をした。

あの日、共に眠ったこの場所で、今は桜が花開く。


そうだ、思い出した。

あなたは、かつてのわたしが愛した、あなたの名前は。



「必ず見付けるって、言ったでしょう」



微笑んだ少年が、こちらに手を差し延べる。

涙の溢れたわたしは、少年に向かって走り出した。



"───また会えたら、今度も仲良くしてくれる?"


"今度こそ、幸せにします。"


"幸せになる、でしょう。わたしも、あなたも───。"



わたしは、あなたを知らない。

今のあなたは、あの頃のあなたとは違う。

あの人とあなたは、同じであって別の存在。


なのに、とても。

懐かしくて、愛おしい気持ちが止まらない。



"わたしだけの───。"



大切なことを、忘れている気がしていた。

欠けたものを、探しながら過ごしてきた。


ずっと、待っていたんだ。

あなたと、再び会える、この時を。




「会いたかった、サイ」





ねえ、あなたの名前を教えて。







『あなたは桜花の化身』

;完結


最後まで読んで下さり、ありがとうございました。



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