;第二十七話 あいしてる 3
熱い。
裂けた傷が、焼けるほど熱い。
全身の血が、そこへ向かっていくのが分かる。
そこから溢れ出した血が、肌を伝って服に染み、地面と一体となっていくのが分かる。
熱い。
なのに、手足は酷く冷たい。
「しょう、きち、しょうきち……っ」
立って歩く力もないのか。
獣のように這ってこちらへ来たギンが、ぐしゃぐしゃに崩れた顔で俺を見下ろす。
「ど、して、お前……っ。なんで───」
限界まで下がった眉も、限界まで潤んだ瞳も、暴発寸前の童のそれ。
意味も目的もない言葉を舌足らずに繰り返す様は、もはや赤子の産声に近い。
「血、を……、血───」
自ずから羽織を脱いだギンは、丸めて一塊にした羽織を、俺の傷口に宛がった。
真っ直ぐに肘を伸ばして、宛がった掌に体重を乗せて。
応急処置のつもりらしい。
しかし、いくらやっても出血は止まらず。
元より汚れていたギンの羽織は、俺の真新しい赤で上書きされていった。
「どうしよう、どうしよう……っ。
止まらない、やだ……。嫌だ、松吉!!!」
大粒の涙を零しながら、ギンが叫ぶ。
とても助かる傷じゃないと、聡いお前なら一目瞭然だろうに。
「はじめから、こうするつもりだったんだ、ギン。
ごめんな」
俺はギンの頬に触れ、零れる涙を拭ってやった。
「ぐ───、っ!」
熱にも増して、痛みが強くなってきた。
文字通りの激痛が、見動ぎひとつ許すまじと、絶えず襲いかかってくる。
「っふ───、はは」
殺せと命ぜられれば、誰でも斬り伏せてきた俺だ。
自分が斬られる側になってみて、やっと分かった。
こんなに痛くて苦しいなら、そりゃあ呪詛も吐きたくなる。
無駄に苦しませるべきじゃないと、お叱りを受けるわけだ。
「言ったろ、俺たち、よく似てるって。
お前が、そうだったように、俺だって、残されんのは、嫌だ。
お前なしじゃ、生きてたって意味ねえ。
つまんねんだよ、お前いねえと」
腹筋がイカれてしまったせいで、上手く発声できない。
掠れた吐息でどうにか言葉を紡ぐと、ギンが耳を寄せて拾ってくれた。
「く───、がはっ、ッか、ゲホ、ゴホッ」
「松吉……!」
ふと、喉の奥から何かが込み上げた。
たまらず吐き出すと、血だった。
内臓も酷く傷付いてしまったようだ。
ギンの剣を食らったのだから、重傷なのは当然だ。
とはいえ、ギン自身も手負いの身。
一瞬で絶命させるほどの一撃は放てず、俺も受けられなかった。
致命傷なのは間違いないとして、俺は恐らく失血で死ぬ。
鉄の味がなくなった。
風の匂いがしなくなった。
あと、どのくらい掛かるのだろう。
順番に五感が消えていくのを感じながら、最期まで消えない苦痛に犯され続ける。
絶命の瞬間が、早く来てほしくて、ほしくない。
終わりの見えないことが、こんなに恐ろしいことだったとは。
「行け、ギン。
お嬢さんの手を離すな」
いつぞやと同じく、ギンの左胸を拳で叩いてやる。
もう、お前の鼓動が聞こえない。
もう、お前の背中を押してやれない。
意思とは裏腹に、俺の拳は反動と脱力で滑り落ちていった。
ギンはそれを両手で掴むと、自らの額まで持っていった。
「ごめん、松吉。ごめん。───ごめん……っ」
謝るなよ。
俺はお前に謝ってほしいんじゃない。
「くそったれな毎日だったけどよ。
お前に会うために生まれたんだと思えば、悪くない人生だったよ」
傷は痛えし、地面は冷てえし。
一生かけて、胸糞悪いことの連続だったが。
今際に見る光景が、雨上がりの美しい空と、愛した女の顔。
これなら、申し分ないと、思えなくもない。
なにより、お前が、俺のために泣いてくれていることが。
なにより、他のどんなことより、俺は嬉しい。
「本当に、そっくりだな、私たちは」
俺の固い掌に、ギンが優しく口付ける。
どうせなら唇にしてくれ。
と言いたいところだが、いいか。なんでも。
眠くなってきた。
痛覚も消えてくれれば、安らかな方にいけるのに。
「お前とは、もっと違う出会い方をしたかったよ」
微笑んだギンが、俺の手を握り締めて、離した。
そして再び這い出すと、傍らに転がっていた雷切を取り、戻った。
やっぱりか。
お前ならきっと、こうすると思った。
ギンが俺の横で跪き、雷切を下向きに掲げる。
雷切の刃から滴り落ちた雫が、ぱちぱちと俺の胸元で弾ける。
終わる。
ずっと、言いたくて言えなかった本当の気持ちを、ここで。
「 」
ああ、声が出ない。息も吹けない。
動かせるのは唇だけで、音は鳴らない。
情けなくて苦笑すると、ギンがぴたりと静止した。
ぼやけた目を凝らしてみると、ギンは驚いてからまた笑って、更に一筋の涙を流した。
よかった。
音にはならなかったが、ちゃんと伝わったみたいだ。
「先にいっていてくれ、松吉。私も───」
振り下ろされた刃が、俺の心臓を貫く。
直前に、ギンが俺の気持ちに答えてくれたのが、聞こえた気がした。
私もだ、と。
『月魄』
;松吉編 結