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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;松吉編 下弦の章
73/75

;第二十七話 あいしてる 3



熱い。

裂けた傷が、焼けるほど熱い。


全身の血が、そこへ向かっていくのが分かる。

そこから溢れ出した血が、肌を伝って服に染み、地面と一体となっていくのが分かる。


熱い。

なのに、手足は酷く冷たい。




「しょう、きち、しょうきち……っ」




立って歩く力もないのか。

獣のように這ってこちらへ来たギンが、ぐしゃぐしゃに崩れた顔で俺を見下ろす。




「ど、して、お前……っ。なんで───」




限界まで下がった眉も、限界まで潤んだ瞳も、暴発寸前の童のそれ。

意味も目的もない言葉を舌足らずに繰り返す様は、もはや赤子の産声に近い。




「血、を……、血───」




自ずから羽織を脱いだギンは、丸めて一塊ひとかたまりにした羽織を、俺の傷口に宛がった。

真っ直ぐに肘を伸ばして、宛がった掌に体重を乗せて。


応急処置のつもりらしい。

しかし、いくらやっても出血は止まらず。

元より汚れていたギンの羽織は、俺の真新しい赤で上書きされていった。




「どうしよう、どうしよう……っ。

止まらない、やだ……。嫌だ、松吉!!!」




大粒の涙を零しながら、ギンが叫ぶ。

とても助かる傷じゃないと、聡いお前なら一目瞭然だろうに。




「はじめから、こうするつもりだったんだ、ギン。

ごめんな」




俺はギンの頬に触れ、零れる涙を拭ってやった。




「ぐ───、っ!」




熱にも増して、痛みが強くなってきた。

文字通りの激痛が、見動みじろぎひとつ許すまじと、絶えず襲いかかってくる。




「っふ───、はは」



殺せと命ぜられれば、誰でも斬り伏せてきた俺だ。


自分が斬られる側になってみて、やっと分かった。

こんなに痛くて苦しいなら、そりゃあ呪詛も吐きたくなる。

無駄に苦しませるべきじゃないと、お叱りを受けるわけだ。




「言ったろ、俺たち、よく似てるって。

お前が、そうだったように、俺だって、残されんのは、嫌だ。

お前なしじゃ、生きてたって意味ねえ。

つまんねんだよ、お前いねえと」




腹筋がイカれてしまったせいで、上手く発声できない。

掠れた吐息でどうにか言葉を紡ぐと、ギンが耳を寄せて拾ってくれた。




「く───、がはっ、ッか、ゲホ、ゴホッ」


「松吉……!」




ふと、喉の奥から何かが込み上げた。

たまらず吐き出すと、血だった。


内臓も酷く傷付いてしまったようだ。

ギンの剣を食らったのだから、重傷なのは当然だ。


とはいえ、ギン自身も手負いの身。

一瞬で絶命させるほどの一撃は放てず、俺も受けられなかった。

致命傷なのは間違いないとして、俺は恐らく失血で死ぬ。



鉄の味がなくなった。

風の匂いがしなくなった。


あと、どのくらい掛かるのだろう。

順番に五感が消えていくのを感じながら、最期まで消えない苦痛に犯され続ける。


絶命の瞬間が、早く来てほしくて、ほしくない。

終わりの見えないことが、こんなに恐ろしいことだったとは。




「行け、ギン。

お嬢さんの手を離すな」




いつぞやと同じく、ギンの左胸を拳で叩いてやる。


もう、お前の鼓動が聞こえない。

もう、お前の背中を押してやれない。


意思とは裏腹に、俺の拳は反動と脱力で滑り落ちていった。

ギンはそれを両手で掴むと、自らの額まで持っていった。




「ごめん、松吉。ごめん。───ごめん……っ」




謝るなよ。

俺はお前に謝ってほしいんじゃない。




「くそったれな毎日だったけどよ。

お前に会うために生まれたんだと思えば、悪くない人生だったよ」




傷は痛えし、地面は冷てえし。

一生かけて、胸糞悪いことの連続だったが。


今際に見る光景が、雨上がりの美しい空と、愛した女の顔。

これなら、申し分ないと、思えなくもない。


なにより、お前が、俺のために泣いてくれていることが。

なにより、他のどんなことより、俺は嬉しい。




「本当に、そっくりだな、私たちは」




俺の固い掌に、ギンが優しく口付ける。


どうせなら唇にしてくれ。

と言いたいところだが、いいか。なんでも。


眠くなってきた。

痛覚も消えてくれれば、安らかな方にいけるのに。




「お前とは、もっと違う出会い方をしたかったよ」




微笑んだギンが、俺の手を握り締めて、離した。

そして再び這い出すと、傍らに転がっていた雷切を取り、戻った。



やっぱりか。

お前ならきっと、こうすると思った。



ギンが俺の横で跪き、雷切を下向きに掲げる。

雷切の刃から滴り落ちた雫が、ぱちぱちと俺の胸元で弾ける。


終わる。

ずっと、言いたくて言えなかった本当の気持ちを、ここで。




「     」




ああ、声が出ない。息も吹けない。

動かせるのは唇だけで、音は鳴らない。


情けなくて苦笑すると、ギンがぴたりと静止した。

ぼやけた目を凝らしてみると、ギンは驚いてからまた笑って、更に一筋の涙を流した。


よかった。

音にはならなかったが、ちゃんと伝わったみたいだ。




「先にいっていてくれ、松吉。私も───」




振り下ろされた刃が、俺の心臓を貫く。

直前に、ギンが俺の気持ちに答えてくれたのが、聞こえた気がした。


私もだ、と。







月魄げっぱく

;松吉編 結




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