;第二十七話 あいしてる 2
俺は残りの剣兵を、ギンは丘に潜んでいた弓兵らを各個撃破。
一面が血の海に沈んだ頃には、雨の勢いも途切れ途切れになっていた。
「(もしかしたら親父も、こんな風に死んだのかもな)」
俺とギンの二人を前にして、奴らに勝機などある筈がなかったのに。
それでも尚、奴らは逃げなかった。
不埒と野蛮を煮詰めたようなくせをして、勝っても負けても益のない戦を戦い抜いた。
理屈は分からない。
ただ、往生際の悪さだけは褒めてやってもいいと思った。
総勢四十一名。
兵力の半分以上をこちらに寄越し、あげく失ったとなれば、雪竹城の終焉は夜明けを待つまでもないだろう。
あの男が空々しいご高説を振りまき、涙ながらに命乞いする様が目に浮かぶ。
「───やっと、静かになったな」
血の海から離れた俺とギンは、開けた場所で仕切り直した。
「助太刀、心より感謝する。
此度の大恩、今生で報いることはならないが、確とこの胸に刻もう」
改まったギンは、息を切らしつつも自らの胸に手を当てた。
先程までの猛々しさが嘘のように、傷だらけの顔はすっかり毒気が抜けている。
「やめやめ、そういう堅っ苦しいのはナシだ。
先も言ったが、俺は別に、お前を助けに来たんじゃねえ。だから礼を言われる筋じゃねえ」
「だとしても、窮地を救ってもらったのは事実だ。
お前がいなければ、流石の私もどうなっていたか知れない」
打って変わって眉を寄せ、ギンは申し訳なさそうに切り出した。
「しかしながら、私には刻限がある。
急かしてすまないが、用件とやらを聞かせてくれないか」
焦燥が滲んでいる辺り、どこかにお嬢さんを隠したのだろう。
この雨で待ちぼうけを食わせているなら、浮き足立つのも無理はない。
俺が言うのもなんだが、俺のことなんか捨て置けばいいものを。
最後の最後まで義理を通して、お人好しにも程がある。
「ギン。
お前、お嬢さんと心中するつもりなんだろ?」
要望に応え、前置きを省いてやる。
ぐっと息を呑んだギンは、下唇を噛んで押し黙った。
まさか、気付いていないとでも思ったか。
自分のこととなると、鈍くなるのは相変わらずだな。
「あの子とどんな約束をしたかは知らねえ。お前らがどんなに好き合っているかも、よく知らねえ。
ただ、それを俺は黙って見過ごせねえ。この意味、わかるよな?」
「……邪魔立てしても、お前に得はないぞ。無駄骨を折るだけだ」
「無駄じゃねえよ。俺が決めたことだ。
得かどうかは、これでハッキリすんだろ」
一度は鞘に収めた九十九斬を、再び引き抜いて構える。
切っ先の向こうで、ギンの顔が苦悶に歪められていく。
なにか言いたそうで、なにも言い返してこない。
こういう時に限ってお前が大人しくなる理由を、俺はよく知っている。
悩んでいるのだろう、可哀相に。
けど、考えたところで答えは一つだ。
俺は絶対に、ここを退かない。
お前が何を言おうと、聞き入れてやるつもりはない。
お前がお嬢さんを迎えに行くためには、そうするしかないんだよ。
「ギン。
お前と俺は、よく似てるよ。お前もそう思うだろ?」
「……松吉は、私ほど愚かではないし、聡く人情味のある男だ。
そんなお前が、こんな真似をする理由が、私には分からない」
「理由か。そんなもんは単純さ。
お前を喪いたくねえ。死ぬ必要のないお前を、みすみす見殺しにしたくねえ。それだけだ」
「私は───」
「何度も言わせんなよ。
どうしても諦めないってんなら、俺は強硬手段に出る。
ここで無理矢理お前を犯して、それからあの子を殺しに行ってもいい」
「松吉……」
泣き出しそうな声で、ギンが俺の名を呼ぶ。
俺は絆されまいと息を吐き、刃の峰を肩に預けた。
「(そんな目で見ないでくれ)」
なぜ、お嬢さんと俺とを秤にかけさせる真似をするのか。
意地悪をしてごめんな。
困らせたいわけじゃあないんだ。
ただ、俺は不器用なんだ。
こうする以外にお前を奮い立たせる方法を、他に思い付かないんだ。
「あの子を愛していると言ったな」
「……そうだよ」
「別れるくらいなら、自分も共にと願うほど、あの子のことが大切か」
「そうだ」
「……ほらな。
やっぱ俺たちは、根っこがよく似てらぁ」
独り言のつもりで俺は自嘲した。
ギンはまた別の意味で息を呑んだ。
ほら、刻限があるんだろ。
お前もさっさと、刀を抜けよ。
「殺す気で来いよ。
俺を倒さない限り、お前は永遠にあの子とさよならだ。
あの子を捨てて俺と駆け落ちしたいってんなら、それでも構わねえけどな」
「無理だ。私は姫様を捨てない。必ず、迎えに行く」
「……そうかよ。
だったら俺が、お前を殺すか」
渋々と刀を引き抜いたギンは、嫌々とこちらに刃を向けた。
雷切。
落雷が如く連撃を振るえることから命名されたという、漆黒の脇差。
感謝と友情の印として俺から下げ渡した、世に二つとない代物。
後生大事に供をさせられるばかりだったそいつが、ようやく日の目を見る時がきた。
対するは、下げ渡した張本人である俺と、兄弟刀に数えられる九十九斬。
こんなに甘ったるい因果も、他にない。
**
俺はずっと、お前に嫉妬していた。
何者も圧倒する剣技、何者も魅了する風格。
強者にして王者たる、年下の餓鬼だったお前に、俺は憧れていた。
"───お前はまだ、どこかで怖がってる。"
それが今や、どうだ。
技に冴えはなく、体力も馬力も残っていない。
いつもの調子を全く出せていない。
なにせ、あの手傷だ。
出血が止まっても、減った血の分だけ体は重くなる。
痛む手足は思うままに動かせず、まるで大岩を担がされているように不自由だろう。
"殺したくない、背負いたくないと逃げ腰でいる。
それは躊躇いを生み、躊躇いはいつか、お前自身の命取りになる。"
並の剣士が相手なら、大岩を担いだ状態でもギンは負けない。
だが俺の相手を務めるなら、万全のお前でなくては勝てない。
適当に傷めつけて戦意を削いでやろう。
なんて魂胆を許してやるほど、俺はお人好しではない。
"今すぐ捨てろ。他人のことなんか気にするな。自分の身を最優先にしろ。
俺はいつもそうしてる───。"
やれやれ。
殺す気で来いと念押ししてやったのに。
体より心が引けているんじゃ、決着をつけようにも勝負にならねえじゃねえか。
せっかく手加減してやってるんだから、喜んで付け込めよ。
修羅場を潜って直ぐだから、ご覧の通りの満身創痍だから、は言い訳にならねえぞ。
「───だらしねえなあ、もう千鳥足か?
いつからそんな下戸になったんだよ」
「……ッ興が醒めるなら、中断してやってもいいんだぞ」
「はっは。つまんねえ冗談だ」
本気を出さないギンと、全力を出さない俺。
緩やかな打ち合いが続き、時間ばかりが過ぎていく。
「チッ、くそ……っ」
遊び半分の俺にか、自らの不甲斐なさ故か。
もどかしくて堪らないのが、僅かな機微にも見て取れる。
眉と目尻を吊り上げて、口をへの字にひん曲げて。
苛立ち任せの悪たれ口に、恐らく無意識の舌打ちまで。
「(かわいい)」
鬼の玉月才蔵が。
冷血だ無情だと畏れられ、非人間とまで囁かれた、あのお前が。
取り繕うのも忘れて、ムキになっている。
楽しい。嬉しい。面白い。
もっと癇癪を起こしてくれ。
俺の炎で、炙らせてくれ。
「に───、や、にやするな、悪食が!!」
ふと吠えたギンが、俺の左肩に荒く斬りかかる。
俺は受け止めた九十九斬に力を乗せ、ギンの雷切を横に滑らせるようにして薙ぎ払った。
「そう、俺は悪食。
並の女じゃ物足りねえって、お前のせいだよ?」
騙し討ちや不意討ちには頼らない。
隙を狙って逃げるでもない。
あくまで正々堂々。
何度仕損じても、何度でも仕掛けてくる。
武士としては半人前、用心棒としては毛も生え揃わない心構え。
さんざん馬鹿にしてきたけれど、今の俺には有り難い。
「(ああ、幸せだ)」
ギンの目には、俺しか映っていない。
俺の目は、ギンしか映さない。
聞こえるのは、互いの呼吸と鼓動の音。
雨音さえ遮断する俺の耳に、お前はいとも容易く入ってくる。
「ああ、幸せだ!」
口角が上がる。
瞬きを忘れる。
ここには、俺とお前の二人だけ。
世界に俺たちしか存在しないような、心地よい浮遊感に包まれる。
「(このままずっと、永遠になればいいのに)」
女々しい感傷に浸るのも、もうじき終わってしまうのか。
「───逃げるなら今だぞ、松吉!」
こちらを警戒しながら、ギンがじりじりと後退していく。
近接戦での生温い攻防は、埒が明かないと判断したらしい。
距離をとったのは勢いをつけるため。
勢いをつけるのは一撃必殺に打って出るため。
成功率は低いと承知で、敢えて失敗した場合を考えていないな。
「誰に向かって言ってんだよ!」
俺は必殺に備えるふりで、九十九斬を斜めに構えた。
「来るなら来な、やれるもんならな!
今のお前じゃ、豆腐だろうが切れやしねえよ!!」
立ち止まったギンが、遠目から俺を睨む。
あれこそは、迷いを払った武士の顔。
今度の一撃に全霊を懸ける、決死の覚悟が表れた顔だ。
寂しくも、喜ばしい。
俺は深呼吸して、目を細めた。
「───行くぞ!!」
ギンの羚羊のような足が、最初の一歩を踏み出す。
そのまま二歩・三歩と地面を蹴り、加速しながら向かってくる。
止まない雨も、飛び散る泥も、自らの影さえも置き去りにして。
"───だから松吉、私を忘れて。"
何故かくぐもって聞こえる雄叫びと、妙にゆっくり見える刃が降ってくる。
俺は柄の持ち手をずらし、悟られないよう肩の力を抜いた。
"しがらみの全てから解放されて、どうか。"
ギンの雷切と、俺の九十九斬とがぶつかり合う。
鋭い金属音が木霊し、全身から雨粒が跳ねる。
二振りの兄弟刀。
弾かれた兄は、双方の間合いを外れて地面に落ちた。
振り下ろされた弟は、弾いた兄など歯牙にもかけず、主の胸板を切り裂いた。
"幸せになってくれ、松吉───。"
跳ねた雨粒と、噴き出した血飛沫が混じって舞う。
雫の向こうで、ギンの瞳と髪が大きく揺れる。
「な────」
足が絡まり、後ろに倒れる。
視線ががくんと上向き、視界が曇天でいっぱいになる。
厚い雲の切れ間から、女郎花色の光が漏れ始める。
光は束となって数を増やし、冷えた空気を温めていく。
「(しがらみの全てから解放されて、どうか)」
雨が止んだ。
風も止まった。
太陽が帰ってきた。
山の頂に輝くのは、虹か。
「───松吉!!!!」
倒れた衝撃と、ギンの悲鳴が重なった。