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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;松吉編 下弦の章
71/75

;第二十七話 あいしてる



あいつの目は、じっと何かを見ていた。


あちら(・・・)でもこちら(・・・)でもない、地平線の彼方に浮かぶようなもの。

そんな朧げな何かを、あいつは見ている気がした。


それに気付いた時、俺は直感した。

あいつは、己の死を見詰めているのだと。


愛しい彼女と心中か、彼女が没して後を追うか。

いずれにせよ、あいつの未練はもう現世ここにない。


どうやら、気付くのが遅すぎたようだ。

既に意志を固めたあいつは、きっと梃子でも動かない。



"───姫様を、ウキさんを、愛してしまったんだ。"



あいつは確かに、そう言ったんだ。

俺ではなく、彼女を選ぶと。


滑稽だ。

朝も夜も、春も夏も秋も冬も、生き物が生まれて死ぬことさえも。

万物は永久とわに続かないのが世の常と、知っていたはずなのに。

あいつを喪うくらいなら、理なぞ糞を食らえと思ってしまうのだから。



"私は、ウキさんと共にいる。果てに何が待ち受けていようと。

だから────。"



しかし、悔やんだところで十日の菊。

最早どうにも叶わないのであれば、俺も腹を据えるしかない。


たとえ別の選択をしようとも、あいつには別の不幸が待っている。

自ら命を絶つよりも辛く苦しい、血に染まった手足で営み続けるという不幸が。



俺に出来ることをしよう。

せめて、あいつを呪縛から解き放ってやるために。

今さらの俺にも、あいつの大嫌いな俺にでも、出来ることをしよう。


引き留められずとも、背を押してやれずとも。

あいつと彼女が考えに考え抜いて出した答えを、尊重くらいはしてやれる。


そうだろ、ギン。

どんなに不格好な無頼漢でも、敵にするよりいいだろう。

歪な餞でも、贈らないよりマシだろう。




「───君はどうする?私は決めたよ。

火中の栗を拾うか、拾わないか───」




冬が明ける頃。

いつぞやの反逆隊が再結成され、勢力を拡大しているらしいと噂が立った。

しかも、そのきっかけを与えた黒幕は、奥方こと沙蘭様だという。


本名を、葛巻くずまき由良ゆら

上様の正室にして、最大の敵といっても過言ではない人物だ。



今は昔、比類なき美貌の持ち主であった奥方は、先代の光倉郷臣によって雪竹城に召し上げられた。

息子の郷舟、すなわち上様が元服を迎えられた暁には、彼の正室とするために。


先代に気に入られていたこと、上様より四歳上の年長者であること。

加えて、出自が名家の令嬢であったことから、当初の奥方は心尽くしの寵愛を受けていた。


ところが。

奥方が子を成せない身と発覚するやいなや、先代ともども上様は掌を返した。

毎日のように侮蔑の言葉を浴びせかけ、奥方を有って無きもののように扱った。


のちに側室を増やしてからは、乙女たちが代わりとなって、上様の世継ぎを産み育てた。

正室とは名ばかりに落ちぶれた奥方は、上様の捌け口か受け皿として、苦汁を舐める他なかった。


無論、乙女たちにも上様の醜悪さは知れていたが、奥方には及ばない。

奥方が一番に苦汁を舐めていたおかげで、乙女たちは尊厳までは失わずに済んだとも言える。


いつしか奥方は町を徘徊し、他所に安らぎを求めるようになったと聞くが、なるほどな。

遊蕩目的と欺いて、裏で反逆隊の蜂起を促していたとすれば、奥方はかなりの策士である。



そしてだ。

真に驚いたのは、ここから。


奥方にだけは、最初から俺の本性を見抜かれていたらしい。

忠義に厚いふりをして、実際には忠義心など欠片もないことを。


その上で俺が城に留まっていた理由を含め、奥方は察しておられた。



「───あの子がいなくなれば、あなたもここに残る理由はなくなるんでしょう?」



つくづく、女ってやつは恐ろしい。

反目すれば厄介極まれりと、改めて痛感させられた。




「───今宵は、奥寺の倉賀くらかに集まるそうだ。

あそこは隊士連中も時々冷やかしに来る。道中、用心しろよ───」



季節は巡り、春。

俺は城の内部情報を手土産に、ある男(・・・)のもとを訪ねた。

まだ返り忠ほどの準備も覚悟もないが、反逆隊の手助けくらいはしてやりたかったからだ。



「───"風見"……。

そうか、君があの(・・)───」



神崎かんざき滋宗しげむね殿。

菖蒲吹姫の父君にして、此度の謀反を取り仕切る人物。

かつては山下さんも慕っていた、新生反逆隊のおさである。



「俺を知っているんですか」



心構えに関係なく、俺が上様の親衛隊長であることは周知の事実。


突然訪ねていっても、門前払いを食らうかもしれない。

下手をすれば、城側の間者とされて、戦闘に発展するかもしれない。


故にこそ、丸腰で行った。

疑われて、襲われたとしても、俺は絶対に剣を抜かないと決めて行った。



「もちろんだよ。君のことは、山下くんからよく聞いていた。

君が味方をしてくれるとなれば、我々は百人力を得たも同然だな───」



神崎さんは、俺を門前払いにしなかった。

神崎さんの部下たちも、俺を受け入れた。


むしろ俺が、何故かと疑った。

神崎さんは、山下さんから教わったんだと、教えてくれた。

生前の山下さんが信頼していた相手ならば、自分達にとっても値するはずだと。



"───お前のことは、嫌いじゃなかったんだがな。"



俺は悔いた。

山下さんを手にかけたこと、山下さんの主義主張を否定したこと。

俺が愚かだったんだと、申し訳なくて堪らなくなった。


同時に、嬉しくもあった。

俺を弟分だと可愛がってくれたのは、俺を丸め込む方便ではなかったこと。

俺が最も尊敬した人は、確かに尊敬すべき人だったんだと、嬉しくて悲しかった。




「───裏切り者?俺たちの中にか?」


「らしい。

城と反逆隊とを行ったり来たりで、こっちの情報をあっちに渡してるとか何とか」


「あれか、二足の草鞋を履くってか」


「そんなデキる奴がウチにいるとは思えねえけどな」


「仮にいたとして、なんで正体割れないんだよ?

そうそう隠し通せるモンじゃあないだろ?」


「どっちだっていいさ。

俺たちには鉄の双璧が付いてるんだ。

反逆隊だろうが魑魅魍魎だろうが、何するものぞ、だ───」



あいつは足抜け、俺は返り忠。

双璧の崩れた雪竹城など、張りぼても同然。


二度目の謀反は、必ず成功する。

確信を得た俺は、ついに自分で自分の殻を破った。




「───いよいよ、今日が正念場です。各々がた、気を引き締めて。

今度こそ、あの冷血漢めに、人情とは何たるかを思い知らせてやりましょう───」



謀反実行当日。

駐屯の隊士どもが呑気に昼飯を食っている時分に、計画は動き出した。

始動の笛を鳴らしたのは、立役者である奥方だ。


まず、反逆隊の構成員が、各地で適当な騒ぎを起こしていく。

そこへ、巡回に出ていた隊士が駆け付け、騒ぎの収拾に取り掛かる。


程なくして、城にも騒ぎの一報が入る。

現場の判断に委ねて収拾を待つか、調査を徹底させて大元を叩くか。

上様の指示が仰がれる。


ここまでは、ほぼ予定通り。

多少の行き違いはあれど、想定の範疇で済んでいた。


想定外だったのは、上様の指示だ。



「───また商人どもの恨み節か。

すっかり味を占めたようだな。一度でも手心を加えてやるとこれだ」


「面通りは不可、税の引き下げも不可だ。

聞き分けなくば、力づくで黙らせよ───」



騒ぎを知った上様は、俺を含めた駐屯の隊士数名に加勢を命じた。

現場に任せても始末はつくが、人手を増やせば確実だろうと。


頭が悪いのか、覚えが悪いのか。

こうも同時多発的に騒ぎが起きるなど、裏があるに決まっているのに。

こういう時こそ、索敵より守衛に重点を置くべきと、馬鹿でも分かりそうなものなのに。


見事に術中に嵌っている。

指示の内容には驚きを越して呆れるが、兵力の分断という反逆隊の目論見は、上様の片生かたなりのおかげで盤石となったわけだ。



「(───黙らせられんのは、あんたの方だよ)」



命ぜられた通り加勢に行くふりをした俺は、騒ぎの中心地から外れた旅籠にて、神崎さんと落ち合った。


城の状況、隊士の配備位置、奥方に教えてもらった秘密の抜け穴。

追加で伝えた情報は、俺が持ち合わせる知見の全てだった。



「助太刀、まこと感謝する。

君の行く末に、幸あらんことを───」



終わった。

俺の務めは果たした。


日が落ちれば、反逆隊の実働隊が動き出す。

あとは積年の恨みを晴らすなり、彼らの好きにやりゃあいい。

上様の首を刎ねる務めは、俺以外に適任がいるだろうしな。



「───残念です。

風見どのも本隊に入ってくだされば、こんなに心強いことは無いのに……」


「首領サマの一番弟子が、湿気しけつらすんなよ。

俺がいなくたって大丈夫。実働までに、露払いくらいはしといてやるしさ」


「……無礼なことをお尋ねしても?」


「なんだよ?」


「もし、玉月才蔵が出奔をせず、彼と相対することになっていたら……。

我々は今度こそ、彼を打倒できたでしょうか」


「……つまり、俺とあいつと、どっちが強いか聞きたいワケだ?」


「こんな時に不謹慎だということも承知しています。

ただ、双璧と名高いお二人が本気で戦えば、どうなるか……。

その結末だけは、個人的に、気になるといいますか……」


「……そうだな。

もし、俺とあいつが、真剣でりあう機会があったとして。

勝つのは、たぶん───」



神崎さんの左腕、別働隊の指南番、実働隊の切り込み隊長。

俺とそう歳の変わらない若者が、大役を担って奮闘する姿。


同じ時代を生きていても、進む道ひとつ違えるだけで、こんなにも。

妬ましい気持ちは、もう湧かなかった。




**


神崎さん達と別れ、あいつの分を含めた露払いに出た時だった。

騒ぎとは無関係の方角へ、一目散に向かっていく青年の姿があった。


上様お気に入りの小姓だ。

片時も上様の傍を離れない彼が単独行動をとるなど、天変地異の前触れでもない限り有り得ない。


不審に思った俺は、小姓を捕まえて問い質した。

すると小姓は、とんでもないことを白状してくれた。



「───つまり、なにか?城はほぼ蛻の殻ってことか!?」


「ヒ───ッ、はい。

手練れの者は皆、そちらの任務に当たるようにとの厳命で……」



騒ぎの一報に続き、あいつとお嬢さんが居なくなったとの急報。

畳み掛けての事態に怒り狂った上様は、守衛に残った隊士さえもを、二人の捜索に当てたという。


それも、後を追わせただけ、じゃない。

全員に武装をさせ、抵抗するなら殺して良しと付け加えた上でだ。



「そいつらの向かった方角は!?」


「し、松吉殿には、松吉殿の持ち場があるでしょう。

それに背くということは、貴殿にも同様の処罰が───」


「知るか!!」



殺してもいいってなんだよ。

あれだけ猫かわいがりしてたくせに、可愛さ余って憎さ百倍かよ。

いっそ命を奪ってしまえば、二人は永遠に自分のものだとでも思っているのか、馬鹿が。


小姓の口封じも忘れて、俺は捜索の奴らを追いかけた。

間に合わないかもしれないと諦めつつ、どうか無事でいてくれと願いながら。



「(早く、もっと早く───!)」



町を抜けると、雨が降り始めた。

冬の残り香のする、冷たい雨だ。


雨の向こうには、代わり映えのない景色が続いていた。

代わり映えのない景色の中で、俺と同じ黒服が蠢いていた。



「───化け物が」



野次、罵倒、怒号、冷笑。

男らの野太い声が重なりあい、あいつの凛とした声が隙間に響く。


遠目からでも、はっきり分かる。

黒服どもに虫のようにたかられた、あいつの姿。

ところどころに刀傷や矢傷を負い、血と泥にまみれた様は、まさに満身創痍だった。


あんなにボロボロになったあいつを、俺は一度でも見たことがあっただろうか。

反射的に奥歯を噛み締めると、ぎしりと軋んだ音が鳴った。



「詰めだ!!!」



あいつの背後から新手が迫る。

別の相手と鍔迫り合うあいつには、新手に反応するだけの余力はなさそうだった。


俺は帯から隠し苦無を取り出し、新手めがけてブン投げた。

項に命中した新手は、汚い悲鳴と共に崩れ落ちた。



「お前は───!」



黒服どもがこちらに振り返り、口々に驚きの声を上げる。


俺は休む間もなく懐刀を抜き、あいつと鍔ぜり合う男めがけてブン投げた。

眉間に命中した男は、ゆっくりと仰向けに倒れていった。



「何故お前が」


「どうしてこいつが」



自分たち()奇襲を仕掛けられるとは想像しなかったらしい。

すっかり怯んだ黒服どもは、俺の存在に気付いても襲って来なかった。


俺はここぞとばかりに黒服の波を掻き分け、ギンの間合いまで近付いた。



「風見だ」


「松吉の野郎」


「町に出たんじゃなかったのか」


「まさか敵に回るつもりか」



他の一切を無視して、ギンに歩み寄る。

触れられる距離まで近付いたところで、ギンはこちらに振り返った。



「───酷い顔だ」



赤黒く汚れたギンの顔。

せっかくの美人が台無しだけれど、どんなに汚れてもお前は美しい。



「しょうきち、」



腰を屈め、頬に触れる。

目尻にこびり付いた血を拭ってやると、揺らぐ藍色に閉じ込められた。




"───好きだったよ。"



お前に別れを告げられたあの日から、ずっと生きた心地がしなかった。


なにを見ても色がなくて、なにを食っても味がしなくて、いつもなにかが物足りなくて。

昔のお前じゃないが、まるで魂が抜けてしまったような感覚だった。



それがどうだ。

失くしたとばかり思っていたものが、再び自分の内に集まってくるのを感じる。

風の匂いが、雨の冷たさが、花や木々の鮮やかさが蘇る。


お前を傍に感じてやっと、お前の熱に触れてやっと。

俺は、呼吸の仕方を思い出した。




「ここからは、この俺、

───猛犬、風見松吉が相手だ」



分かったよ、ギン。

俺にはお前が必要だってこと。

お前がいなけりゃ、俺は息もできないってこと。



「惜しげのない奴から、前に出な」



お前が死んだら、俺は。




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