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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;サイ編 化身の章
69/75

;第二十六話 鬼の真髄、篤と見よ 2



ぬかるんだ地面で、踏ん張りが利かない。

濡れた髪と羽織は、徐々に重さを増していく。


ただでさえ万全とは言えなかったのに、加えてこの雨だ。

長丁場になれば、持ちこたえるのは至難となるだろう。


だが戦況としては、こちらが優勢。

兵力差があろうとも、烏合の衆に後れを取る私ではない。

刀傷さえ受けなければ、思いのほか早く決着をつけられるかもしれない。




「───くそ……ッ。だらしねえぞテメエら!

決死の覚悟で向かっていく猛者はいねえのか!!」



薮下とやらの怒号が響く。

尻を叩かれたように一人、また一人と、隊士が襲いかかってくる。


私は一人、また一人と、かかってきた順に斬り伏せていく。

不意打ちの隙を与えないよう、極限まで神経を研ぎ澄ませながら。



「(目測、残り十八人───)」



やはり、所詮は烏合の衆。

数人が束となっても、大した脅威にはなり得ない。

当初の威勢はどこへやら、どいつも腰が引けてしまっている。


中でも藪下とやらは、あれそれと指示を飛ばすのみで、自らは前線に出ようとさえしない。

一瞬でも私の間合いに入ったならば、短い丈を更に短くしてやるものを。



「(油断するな。大丈夫。まだ戦える)」



なんにせよ、敵勢力は落ちている。

この調子でいけば、辛勝が叶う。

そう確信した時だった。


同時にかかってきた二人を薙ぎ払い、反動で僅かに身を捩った、次の瞬間。

左肩甲骨あたりに、鋭い衝撃が走った。



「が、───ッ!!」



鈍く湿った音。

たちまちに、左腕から力が抜ける。



「隙あり───!」



目の前にいた壮年の隊士が、鬼の首取ったりと迫ってくる。


私は即座に反応したが、脱力した左腕が妨げとなり、反撃の一手に出られなかった。

鍔迫り合いながら体勢を整え、壮年の隊士を睨むと、そいつは楽しそうに舌なめずりをしていた。



「今だ!」


「畳み掛けろ!」



二人、三人、五人。

控えていた他の隊士たちも、一斉に襲いかかってくる。


私は壮年の隊士を右腕頼りに振りほどき、一斉の斬撃を打ち払ってから後退した。


息を吸う度にずきずきと疼く、左半身を覆う鋭い痛み。

緊張を切らさないよう注意しつつ、指先で患部に触れてみると、細長い棒状の何かが刺さっていた。



「(間違いなく矢だ。

しかし、一体どこから───)」



改めて、周囲を見渡してみる。

先程まで腰の引けていた隊士たちが、水を得た魚のごとく生き生きとした様相に変わっている。

まるで、"待ってました"とでも言わんばかりの。



「───は。はは、はははははは!」



薮下がこちらを指差し、大口を開けて笑う。



「あの鬼畜生めに傷を負わせてやったぞ、ざまをみろ!

さすがのお前も、死角から放たれた矢には反応できまい!」



"死角から放たれた"。

とっさに丘の方へ振り返ると、見計らっていたように、三本の矢が追加で放たれた。

私は内の二本を躱し、脳天目掛けて降ってきた最後の一本を、朧で叩き落とした。



「休んでいいなんて言ってねえぞ!」



今度は背後から、若年の隊士が仕掛けてくる。

せめて一呼吸いれたいところだが、確かに休んでいる暇はなさそうだ。



「(先発組に弓持ちは居なかったはず。

後から更に増援を寄越したのか。それも、山岳戦に強い弓兵を……!)」



想定外の増援。

弓兵による援護射撃。


先発の隊士たちが逆に(・・)方円の陣を組んでいたのは、私の注意力を散漫にさせるため。

増援が位置に着くまでの時間を稼いでいたわけか。



「ちょっと数を減らしたくらいで、勝った気になるなよ!」



まずいな。

雨も激しくなってきた。

視界が悪い。鼻が利かない。


歩兵ならまだしも、弓兵の増援は厄介だ。

地の利を取られた上、何人潜んでいるかも見当がつかない。


陸戦に応じながら、どこからともなく降ってくる矢を全て回避する。

己の身一つでこれを捌くのは、あまりに。



「(絶対絶命、だな)」



あの悪党め。

姫様の奪還とは名ばかりに、本命は私の首だったか。

蓮の席が埋まらなかったこと、断頭の際まで呪うつもりらしい。




**



「───どうした玉月?動きが鈍くなってきてるぜ?」


「いつものお澄まし顔はどうしたよ?随分と苦しそうだ」


「恨むんなら俺達じゃなく、このめいを出した上様か、間抜けな自分自身を恨むんだな」



剣の相手をしていれば矢が、矢を警戒していれば剣が。

弓兵の出現により、戦況は一変。こちらの劣勢が続いている。


あれから腰に一本、右腕に一本、矢傷を貰い。

右肩に一撃、左太股に一撃、刀傷を受けた。


痛むのは勿論のこと、血を流し過ぎたようだ。

吐き気を伴う目眩にも襲われ、正常に思考が働かない。



「ふーっ、ふーっ………」



冷や汗が噴き出す。

耳鳴りがうるさい。


こんなに追い込まれたのは初めてだ。

こんなに傷付けられたのも初めてだ。


景色が揺れる。

唾液が垂れる。


もはや、意志のみで立っている。

体力も気力も使い果たし、己の魂を燃やしてやっと、動いている。



「まだ倒れねえのかよ、コイツ……!」



歯を食い縛って、なんとか更に二人倒す。


残り十三人。

いや、潜んでいる弓兵の存在もあったな。

頭数を合わせれば、まだ二十人は超えるかもしれない。



「余所見してんじゃねえよ!」



ふと、右脇から気配が迫った。

私が朧を構えるよりも先に、そいつの拳が私の頬を殴った。

体勢を崩された私は、殴られた勢いのまま地面に尻餅をついた。


冷たい雨に紛れて、生暖かい鼻血が顎を伝っていく。

血塗れの羽織が泥にもまみれ、美しかった白が見る影もなくなる。



「かっはっはっは!こりゃあいいや!」


「こんなに愉快な見世物は久しぶりだな!」


「もっと無様を晒してくれよ!掃き溜めの鶴さんよぉ!」



高笑いし合う隊士たち。


るなら、さっさと殺れというのに。

常日頃の鬱憤を、ここぞとばかりに私で晴らす気か。



「どうする?誰が止め刺すかで賭けるか?」


「お前ほんと賭け事好きな」


「そうだぜやめとけ。

浮かれた奴から返り討ちにされて終いだ」


「そんなこと言って、お前は賭ける分も惜しいだけだろ?」



古参のこいつらにとって、新参のくせに優位だった己は、さぞかし目の上の瘤だろうという自覚はあった。


まさか、ここまで忌み嫌われていたとは。

自覚以上に、不興を買い過ぎてしまったのかもしれない。



「(懐かしい味がする)」



じわりと、滲んだ血が口内に溜まる。

ある程度溜まった血を、唾液に混ぜて吐き捨てる。


ゆっくりと、朧を杖代わりに立ち上がる。

再び剣として構えた朧に、己のあられもない姿が映し出される。



「(酷い顔だ)」



刃こぼれが酷い。

十数人分の血と汗と、脂のこびり付いたやいばには、一撃で仕留められるほどの切れ味はない。


幾度いくたびも私を救い、私を苦しめてきた愛刀。

叔父に託されたあの日から、共に窮地を切り抜けてきた相棒。


片時も、離れたことはなかったけれど。

お前もここで、ようやく御役御免だな。



「(おやすみ、朧)」



朧を手放し、別の刀を拾い上げる。


無銘の打刀。

雪竹城の武器庫に格納されていた一つ。

こやつのあるじは早々に倒れたため、刃こぼれは殆どない。



「おい見ろよ!自分の刀、棄てやがったぜ!」


「なりふり構ってられねえってか?

剣士の風上にも置けねえぜ、そりゃあ!」



どうとでも嘲ればいい。

血で血を洗う戦場いくさばに、誇りもクソもあるものか。


武器になるなら何でもいい。

国宝だろうが棒切れだろうが、お前たちを殺せれば十分だ。



「嬉しいねぇ。お前のこんな姿をお目にかかれる日が来ようとは」


「てめえのことは嫌いだが、今のような見窄らしいサマは、なかなかそそるぜ?」



薮下に侍っていた例の二人(・・・・)が、ひときわ嘲りながら仕掛けてくる。

私は二人の喉元を狙って斬り裂き、力づくで黙らせた。



「どこにそんな力が……!」


じまえじゃなくてもコレかよ!」



姫様は、ご無事でおられるだろうか。

私が足止めを食っている間にも、また発作を起こしてはいないだろうか。


この雨の中、寒さに身を竦めて、息を潜めて。

きっと今も、約束を守って一人きり、私の迎えを待っている。



死んじゃ駄目だ。

こんなところで、死んじゃ駄目だ。

あのひとを一人残して、死んではいけない。

なんとしても、どんな卑劣を犯してでも、生きねばならない。


生きて、彼女の手をとって。

凍えた小さな体を、思いきり抱きしめてやるまでは。

私は、絶対に、死なない。




「───っづ、ォ、ぁぁああああアアア!!!!!」



腹の底から咆哮する。

捉えた隊士の胸板を、防御ごと力で叩き斬る。


大きく裂けた傷口から、大量の血飛沫が舞う。

額に瞼に頬に、私の顔に点々と返り血が付く。



「(あたたかい。

これは、命の温度だ)」



新たに積み重なった屍の山を、右足で踏み付ける。

屍の向こうに並んだ隊士たちを、無言で睨み付ける。



「鬼────」



全員の野次が止む。誰かが生唾を呑む。

弧を描いていた瞳が、恐怖に歪められていく。



「ひ───、怯むな!

たかだか手負いの小僧一匹、いつまでものさばらせて(・・・・・・)おくな!!」



藪下がこちらに刀の切っ先を向ける。

並んでいた隊士のうち、真っ先に野次を止めた三人が、及び腰ながら飛び出してくる。



「(必ず───)」



額から垂れてきた、雨とも血とも分からぬ雫を舐め取る。

吐く息に言葉を乗せ、声にならない声で呟く。



「───勝つ」



必ず、勝つ。

たとえ、この腕がちぎれようと、脚がもげようと。

この身を地獄の業火にくべられようとも、諦めない。


生きたい。

こんなにも強く、心から生きたいと思ったことは、無かった。




「い、かげん、落ちやがれ、化け物が……!」



刃と刃の擦れる音。

鼻の先が触れそうなほど近くで、まばゆい火花が散る光。


均衡な鍔迫り合いが続き、疲労した腕が震えだす。

体勢を整えようと歩幅をずらすも、すかさず詰め寄られて身動きもとれない。



「(こいつ、強い……!)」



今度の隊士は、とりわけ腕っぷしが強いようだ。

力で叩くことはならず、反撃の隙も与えてくれない。


こうなっては、男と女の力量差。

一秒も早く主導権を取り戻さないと、じり貧でこちらが押し負ける。



「くそ……ッ!」



思わず舌を打つと、隊士と目が合った。

岩のように凸凹とした顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。




「───詰めだ!!!」



またしても背後から気配が迫る。

弓兵による援護射撃ではない。



「(挟み撃ち……!?

まさか、こいつら最初から───)」



今度の隊士もとい、いわおとこと鍔迫り合ってから、僅か十秒足らず。

背後の新手に応じようにも、畳み掛けてきた岩男を、どうしても振りほどけない。


気配が殺気に、殺気が間近に。

死神の爪に、背中を撫でられる。


それでも、動けない。




「(姫様────)」



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