;第二十六話 鬼の真髄、篤と見よ
曇天。晴れていた空が、厚い雲に覆われていく。
霧雨。澄んでいた景色が、細い雨に煙りだす。
目の前には、険しい顔でこちらを睨む隊士たち。
ざっと見ただけでも、三十人はいそうな雰囲気だ。
まったく。
たかだか女二人捕まえるために、これほどの大群を遣わせてくるとは。
相変わらず浅慮だが、今度ばかりは抜け目がないとも言えるな。
「───おい玉月、唯桜姫はどこだ!一緒だったんだろう!」
「さてね。その痘痕面に教えてやることなんざ、一つもないな」
高飛車を気取って、軽く挑発してやる。
すると群れの中衛にいた男が、前衛を掻き分けて表に出た。
「貴様、己の立場が分かっているのか?
言い訳をこねたところで、もはや無駄だ」
小柄な体躯に似つかわしくない、尊大な態度をとる男。
こいつの名前は、なんだったか。
大した関わりもないので、覚える必要がなかった。
覚える気にならなかった。
だが、この憎たらしい面構えには覚えがある。
いつも松吉の後を付いて回り、執拗に彼に媚びておきながら、裏では彼を陥れようと画策ばかりしていた。
悲しいかな、私の横槍のせいで、いずれの画策も成就はなされなかったのだけれど。
「しかしまぁ、俺達とて鬼ではない。お前と違ってな。
あの娘を引き渡すならば、死罪だけは免れるよう、口を利いてやってもいい。
もっとも、いっそ殺してくれと願わんばかりの地獄が、お待ち兼ねやもしれんがな」
実力は松吉の足元にも及ばない半人前ながら、妬み嫉みの類は人一倍ある戯け者。
今やこいつの矛先は、松吉を差し置いて私に向けられている。
「ふん。
ご自慢のご高説も、麗句が過ぎれば雑音だな」
「なに?」
「その様子だと、全く知らされていないか、気付いてすらいないのか……。
獣じみているのは風体だけで、嗅覚は人並みと見える」
「こンの、青二才が言わせておけば………!
応じないなら直ちに斬るぞ!叩っ斬るぞ!!」
わなわなと肩を震わせて抜刀した戯け者を、横二人が厭味たらしく宥めてみせる。
「そうカッカしないで、先輩」
「こんなやつの挑発に乗ってやることありませんよ」
「く……」
戯け者の興奮を治めた二人は、より口角を上げてこちらを見据えた。
「雪竹城の番人が聞いて呆れるぜ。まさか、殿様の女を拐って、とんずらしようだなんてよ。
鬼は鬼でも、ちゃんと一物は付いてたってわけか?」
「ハッハ、違ェねえ」
「どうとでも。退くつもりは毛頭ない」
「この手勢を前に大した度胸だな。
で?俺たちは一体なにを知らされてねえって?
お前らの惚れた腫れたなんざ、そら知る由もねえだろうよ」
ひょうひょうと捲し立てる二人。
げらげらと笑い合う他の隊士たち。
知る由もない、か。
あの悪党め、我々の脱走をいち早く察したはいいが、自らの危機までは思案の外らしい。
各地で騒ぎが起こされているのは、単なる抗議活動ではないというのに。
「今夜、雪竹城は落ちる。
いつぞやの反逆隊が再集結し、日没と同時に城へ攻め入るんだそうだ」
隊士たちの笑い声がぴたりと止み、辺りがしんと静まり返る。
「上様は勿論のこと、隊士に側近に……。人によっては、厳しい処断が下されるだろう。
中でも、上様の腰巾着だった貴様らは、首が先か腹が先か……。
いずれにせよ、主君と死なば諸共だ。忠臣冥利に尽きるってもんだよなぁ。なあ?」
お前たちの命運は尽きたと、わざとらしく鼻を鳴らしてやる。
呼応するように再び息を荒げた戯け者は、先程とは別の意味で血相を変えた。
「う───、嘘だ!出鱈目を言うな!
動揺を誘おうったって、そうはいかんからな!」
慌てふためく阿呆面。
立派なのは態度だけで、随分と華奢な心臓らしい。
「嘘と思うか?目が泳いでいるぞ?」
「貴様おちょくりおって……!」
後衛に控えていた一人が、背後から戯け者に耳打ちする。
「ですが藪下さん、あながち嘘とも言い切れませんよ。
先程の暴動といい、腑に落ちない点がいくつか───」
「うるせえ!俺たちの仕事は、あの小娘を連れ戻すことだ!
町がどうなろうが、そんなもんは残った奴らに任しときゃいいんだよ!」
さっそく不和が生じたな。
たった一人の"しかし"によって、もう団結が揺らぎ始めている。
元より、我が身可愛さで集った連中だ。
忠誠心など、匙一杯分がせいぜい。
仲間意識どころか、足の引っ張り合いが常だろう。
あの悪党に人望が、こいつらに美徳があろうはずもない。
圧政の脆さと醜さは、崩れる間際が一番臭う。
「ほら、どうするんだ?
このまま行方を晦ましたいというなら、止めはしない。
戻って手柄を立てたいというなら、それもまた良しだ。
"もっとも?いっそ殺してくれと願わんばかりの地獄が、お待ち兼ねやもしれんがな"?」
先程の発言から引用して煽ってやる。
"藪下"と呼ばれた戯け者は、奥歯を噛みながら深呼吸をした。
「俺を怒らせたな、玉月」
"悪漢相手に多勢に無勢。
窮地を極めた時にこそ、助けを乞うより焚き付けるべし"。
習った通りにやってはみたが、私に挑発の才能はないらしい。
誘えたのは動揺と混乱だけ。
戦意そのものを削ぐには、あと一押し足りなかった。
「小娘の捜索は後回しで構わん。
あの体たらくだ、どのみち逃げられん」
「では……」
こいつらにとって、旗色悪しは掌返しの合図。
せめて共倒れは避けたいと、戦線離脱に舵を切ってほしかったのに。
人としての善悪はおろか、自らの損得さえも判断がつかない始末とは。
悪漢以前に、底抜けの馬鹿であることを加味すべきだったか。
飼い犬は主人に似るとはいえ、もはや同じ血が流れていても納得だな。
「玉月ぃ。貴様をここで嬲り殺して、その骸を餌に雌犬をおびき出してくれるわ。
───者共かかれぇ!!!」
藪下が号令をかける。
雄叫びで答えた隊士たちも、抜刀間もなくこちらへ走ってくる。
いよいよか。
私も朧を抜いて構える。
「(鬼の真髄、篤と見よ───)」
待っていてください、姫様。
すぐに、迎えに行きます。