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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;サイ編 化身の章
67/75

;第二十五話 信じて 3



息が切れる。

腕が痺れる。

じっとりと、うなじに嫌な汗が滲む。



「(たえろ、たえろ、たえろ)」



この渦中に馬を借りる余裕など、あろうはずもなく。

ただひたすらに走って、走って、走り続けた。

現し世の泉へ向かって、命の終わりを目指して。



「(だいじょうぶ、だいじょうぶ、だいじょうぶ)」



不思議なほど、恐怖はない。


死にたいのではない。

生きるのをやめたかったのでもない。


姫様が死ねば、私は生きられない。

姫様のいない世界を想像すれば、痛みも苦しみも怖くない。



"───あなたは、生きて、これからも前を向いて、歩いていかなくちゃ。"



私はとても、愚かな人間だ。

独り善がりで、向こう見ずだ。


姫様と心中をすると心に決めた時。

姫様のためにはならないと分かっていた。


自己犠牲なんて、所詮は、自己満足の裏返しに過ぎない。

松吉なら、そう言うに違いない。



"───一緒に逃げよう、ギン。"



もし。仮に。例えばの話。

姫様ではなく、松吉の手を取っていたなら。

今とは違う、幸せな未来もあったんだろうかと、何度か考えた。

考えるほど、考えるたびに、必ず同じ結論に行き着いた。


松吉と二人、静かな土地で、穏やかに暮らす権利を得たとしても。

私は永遠に、己の犯した罪から逃れられない。


夜には彼ら(・・)が悪夢として、昼には姫様が白昼夢となって現れる。

そうして私は夢に浸り、うつろに縋り、生きながらに死に続けるのだ。



"───サイ!"才蔵"の頭をとって、サイ!"



酸素の足りない頭が、狂ったように稼働している。

浮かんでは消えていく、瞼の裏の光景は、俗に走馬灯というやつだろうか。




「───姫様、ひめさま。

気を、確かに持ってください。泉までもう、目と鼻の先ですよ」


「あ、───ごめんなさい、ぼんやりして。

いつの間にか、町を出ていたのね」


「ええ、いつの間にか、なら、良かったです」


「……ねえ、サイ。

辛いでしょう。わたしを抱えて、ずっと走りっぱなしで。

無茶だと思ったら、今からでも、わたしを置いて、引き返していいのよ」


「は、……ッこの期に及んで、まだそのようなことを?

無茶なら、百も承知です。なんと言われようと、このまま、行きます」


「サイ……」



己の鼓動、姫様の鼓動。

己の足音、数多の足音。


姫様の鼓動は、背中越しに伝わる。

数多の足音は、土と風が教えてくれる。



「(追い手か)」



随分前から、気配はあった。

それも、両手を合わせて足りない人数だ。


着実に、空いた距離を縮めてきている。

追い付かれるのは、もはや時間の問題だろう。



いくら姫様を抱えながらとはいえ、あまりに展開が急すぎる。

反逆隊の面々が撹乱を行ってくれているなら、分断された兵力を更に余分には割けないはずだ。


となると、追い手がかけられたのは、撹乱の前か。

騒ぎが大きくなるより早く、我々の動向を嗅ぎ付けられたのかもしれない。


つくづく、あの悪党の直感もとい、悪運には手を焼かされる。




「申し訳ありません、姫様。

しばし、そこの茂みに隠れて、待機をお願いできますか」



姫様を地面に下ろし、向かって左手にある茂みを指差す。

姫様は一瞬呆けた後、怪訝に眉を寄せた。



「待機、って、わたし一人で?

泉はもう目の前なんでしょう?だったら……。

まさか────」



姫様がハッと息を呑む。

私の意図を察してくれたようだ。



「残念ながら、そのまさか(・・・)です」



道端に立ち、周囲を見渡す。


向かって右手には丘。

左手には茂みと、奥に小川。


辛うじて身を隠せる場所はあれど、手分けされれば一溜りもない。

奴らと相対するまでの小休止、が関の山だろう。


では、奴らが間に合わなければ(・・・・・・・・)いい。

うんと急いで振り切れば、追い付かれたとて後の祭り。

既に本懐を遂げた我々を、水底まで責め立てる酔狂はいまい。



けれど、それは、たぶん、無理だ。


想定より体力の消耗が激しい。

出立時と比べて、速力も落ちてしまっている。

この調子では振り切るどころか、姫様を守れるかさえ怪しい。



「サイ」



姫様の瞳が不安に揺らぐ。

私は右手の拳を握り締めた。



「(弱気になるな、玉月才蔵)」



私が願った。姫様が応えた。

私から契った約束を、私から破るなんて無体は、断じてあってはならない。


戦うしかない。

戦って、勝って、貴女を私のものにする。私が貴女のものになる。

二人で終わって、始めるんだ。




「じきに追い手が来ます。

私はここで彼らと戦い、彼らを倒さねばなりません」


「そんな……」



左手を姫様の肩に。

右手は拳を緩め、腰に帯びた朧に添える。



「事が済み次第、急ぎ姫様のもとへ向かいます。

それまでどうか、安全な場所でご辛抱を」


「やり過ごすのは?

一緒に隠れて、隠れながらゆっくり先を行けば───」


「いいえ。

ここぞという時に水を差されては堪らない」


「でも、でも。サイ。多勢に無勢、なんでしょう?

いくらあなたでも、そんなにたくさんを一度に相手すれば───」


「私は大丈夫」



姫様の肩を引き寄せ、姫様の心ごと抱き締める。

姫様の香りにうずまりながら、姫様の耳元で囁く。



「必ず迎えに行きます」



姫様は何も言わず、抱き締め返してくれた。

首筋にかかる息は、本当は離れたくないんだと、叫んでいるようだった。



「信じて」



名残惜しくも、抱擁をく。

姫様は意を決した表情で頷き、私の頬を一撫でしてから、茂みの中へと入っていった。


愛しい背中が遠ざかる。

忌まわしい足音が迫る。


決戦の予感がする。

私にとって、まさしく最後の戦いとなる。


最後くらいは殺生抜きで済ませたいところ、だったけれど。

どうやら、そうもいかない状況のようだ。



風が吹く。

道の中央に立つ。

朧の柄に指を這わせる。


来るなら来い。

貴様らの挑む相手が何者か、腐った骨の髄まで思い知らせてやる。






花見鳥はなみどり



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