表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;サイ編 化身の章
66/75

;第二十五話 信じて 2



窓がなければ灯りもなく、湿った匂いと纏わる冷気に満ちた、常闇の空間。

大の男であれば一人でやっと通れるほどの、狭く細く長いばかりの一本道。


よもや秘密の扉が、こんな隠し通路に繋がっていたとは。

縁の間に立ち入ったことのない姫様も、扉の存在だけは把握していた私も、実際に使うのは最初で最後だ。




「───まさか扉の向こうに、このような空間が広がっていたとは……。

出口は外へ抜けられるのですか?」


「ええ。

縁の間から外、逆もまた然り。一本の道で通じているわ」



手燭を持った麻菊様が、歩調を合わせて先導してくれる。

互いの声が残響し、第三者の気配を錯覚させる。



「上様の私室にも、似た抜け道があるとは存じていましたが───」


「こっちにもあるのは意外?」


「偽りなく申しますと、はい。

ひとえに皆さんを案じて、とは、どうしても思えない」


「慧眼ね。経験則とでも言うべきかしら?」


「となると……」


「表向きは、火事なんかが起きた場合に、いち早く私たちを逃がすためにって造られたものらしいわ。

表向き(・・・)は、ね」



火事に地震、謀反に攻城。

なんらかの事情で退路が塞がれてしまった場合、乙女たちを筆頭にここから城を脱出できる。


言うなれば、最後の砦ならぬ、最後の抜け道である。



しかし、そこは本音・・建前・・

本音としては、敢えて抜け道を傍に据えることで、乙女たちの信用を試すものだという。


つまりは、罠。

いつ乙女たちの中から脱走者が出ても速やかに対処できるよう、出口には見張り役の隊士が必ず待機しているとのこと。



「だから、ここの存在を知ってるのは、限られた人間だけ。

私たちと、上様と、上様から特別な許可を貰った何人なんにんか」


「件の見張り役、ですか」


「あとは、上様の側近連中ね。

私たちが脱走を試みたとして、それを引っ捕らえるのが隊士なら、告げ知らせるのが側近の役目ってとこ」


「どうりで私には通達がないわけだ」


「そりゃあ、あんたは凶状持ち(・・・・)だからね。

いくら腕があっても、今度ばかりは門外漢よ」



麻菊様いわく"特別な許可"とは、上様じきじきのお墨付きのこと。


ただ能力が高いだけではいけない。

ただ忠義に厚いだけでもいけない。

こいつだけは絶対に裏切らない、と見做された者だけが賜る、褒賞にして役職。


私自身も、お墨付きだ何だと下賜されてきたがわだが、今度ばかりは覚えがない。

能力の方は自負しても、忠義の方は裏があるためだろう。

当の上様が、どこからどこまでを裁定したかは知らないが。



「側近ってのは、そもそもが、上様の腰巾着が集まったものだけど。

そいつら(・・・・)は更に上をいく、金魚の糞みたいなものなのよ。

上様に気に入られるためなら、自分が出世するためなら、どんなことだって躊躇しない。

たとえ、女子供を打ち据えて、殺すことでもね」



掌大から実寸大へ。

進んだ分だけ、出口が本来の大きさに近付いていく。

そこから漏れる眩い光は、陽光だ。



「必ず待機、ということは、今もこの先で待ち構えているのでしょう?

どう掻い潜ったものか……」


「言ったじゃない、時間を稼ぐって。

ここは、じき崩壊する。火蓋は既に切られているのよ」



"火蓋は既に"。

淡々と返す麻菊様だが、えらく含みのある発言だ。

乙女たちの腹を括った様子といい、我々が足抜けすることと無関係とは思えない。



「雪竹城は、いずれ陥落すると?」


「いずれ、ってほど遠くないわね。

あんた達は引きこもってたから、知らないでしょうけど。

───もうすぐよ」



出口を指差した麻菊様が、首だけでこちらに振り向く。



「さっき、の」



今まで沈黙していた姫様が、怖ず怖ずと麻菊様に尋ねる。



「崩壊、とか、陥落とかって、わたしのせい、ですか。

わたしが、色んなものを壊す、原因を、作ってしまった、ですか」



不安そうな姫様に対し、麻菊様は歩みを止めずに答えた。



「確かに、きっかけを作ったのは、あなたかもね。

けど、あなたの考えてる意味とは少し違うわ。

あなたのせい(・・)じゃなく、あなたのおかげ(・・・)と言った方が正しいかしら」


「どういうこと、ですか」



出口の扉に着いた。

麻菊様が足を止め、私たちも立ち止まる。



「まだ早いわね……。

今のうちに、話しておきましょうか」



扉に耳を当てた麻菊様は、今度こそこちらに向き直った。


外に人の気配でもするのだろう。

声を潜めるわけではないあたり、件の見張り役ではなさそうだ。



「いい?あんた達がここを出て行った後、間もなく反逆隊が攻め入るって算段なの。

その騒ぎに乗じて、私達もみんな逃げるのよ。こんな窮屈な暮らしとはオサラバってわけ」



手燭を足元に置いた麻菊様は、衝撃の事実を告げた。



「反逆隊……。

とは、二年前の───」


「まさしく。

あの時あんたが一掃してくれちゃった人達の、主に家族がね。

彼らの無念を晴らそう、今度は上手くやってみせようって、また集まったのよ。

顔ぶれは違うけど、名前はそのまま、反逆隊の再来として」



"反逆隊"。

上様の暴虐に業を煮やした男衆が、決死の覚悟で寄り集まった小さな組織。


ひとりは家を、ひとりは職を。

ひとりは娘を、妹を、恋人を奪われ、もはや後にも先にも潰え失せた、盾なき猛者たち。


結成当時の人数は、たったの十八人。

勝ち目はなくとも、抗議の刃を向けることで、何かしらの変化が起きてほしいと、彼らは望んだ。


私が力づくで捩じ伏せたせいで、切っ先すら届かず終いだったのだけど。



「狙いは、私の首ですか」


「は?」


「再来の話は初耳ですが、彼らの血族に狙われたことは過去にもあります。なにせ私は、父息子の仇ですから。

彼らの無念を晴らすのが目的なら、私を素通りは出来ないはずです」


「……そうね。中にはそういう奴もいるって聞いたわ。

けど、諸悪の根源はあんたじゃないってことは、みんな理解してる」


「それでも───」


「本当の、一番の目的は、圧政の撤廃。

本命はあくまで上様なの。思い上がりも大概になさい」



反逆隊の再結成。

目的は光倉郷舟の捕縛、延いては圧政の撤廃。


初めて知らされる、水面下での激動。

とはいえ、これ以上の時間を食っていられない。

今や麻菊様の言葉を信じるしか、二代目反逆隊に後を託すしかない。



「サイ」



私を呼ぶ声に、視線を下げる。

心許なげな姫様が、瞬きもせず見上げている。



「(敵わないな、この目には)」



私の犯した罪の数々を、私は姫様に告白してきた。

告白して、仮初めの赦しを乞うてきた。


嘘はついていない。

ただ、包み隠さず、とも言えない。


罪の数を数えども、罪の重さを量りはしなかった。

誰を何人殺めたかを明かしても、彼らに何人家族がいたかは教えなかった。


私は化け物、私は鬼と、壮語にくるんで委細を誤魔化した。

元はただの人間で、所詮はただの人殺しと、丸裸にはどうしてもなれなかった。


道すがらにでも、伝えるべきだろうか。


私も、私の殺めた者たちも。

等しく人間で、等しく命があったことを。

聞けば姫様は、どんな顔をするだろうか。




「大丈夫。

貴女のことは、私が守ります」



浮かない表情を残しつつも、姫様は頷いてくれた。

私は目を伏せ、深呼吸をしてから、再び麻菊様と向き合った。



「詫びて済むことではないと、重々承知の上でお願いします、菊姫様。

もし、彼らと接触する機会があったなら………。

本当に、すまなかったと、伝えてもらえますか。

あの日奪った十八もの命を、私は死ぬまで、───死んでも、絶対に忘れないと」


「わたしからも」



私の懺悔に続き、姫様が僅かに身を乗り出す。



「わたしは、部外者かも、しれないですけど。

罰が必要、なら、わたしも一緒に受けます。

だから、この命に免じて、どうか───」



途中、姫様は勢いよく喉を詰まらせた。



「ごめ、なさい。ごぇ、なざい」



私と麻菊様に浴びせないためか、泣きじゃくるような体勢で姫様は咳き込んだ。

口元を覆う指からは、うっすらと血が滴っている。


私は姫様の背中を擦ってやろうとして、出来なかった。

自分の両手が塞がっていること、自分が彼女を抱いていることを、失念していた。



「まったく。

二人して自分をなおざり(・・・・)にするんだから」



麻菊様が姫様の頭を撫でる。

私が背中を擦ってやれない代わりに、菌が伝染るかもしれないとは恐れずに。



「必ず、伝えるわ。

あんた達は、自分のことだけ考えていなさい」



最後に麻菊様は、姫様の頬を一撫でした。

すっかり落ち着いた姫様は、麻菊様と私にそれぞれ微笑みかけた。



「恩に着ます」


「ありがとう、麻菊さん」



私と姫様が頭を下げると、麻菊様は照れ臭そうに息を荒げた。



「はあ!もう!湿っぽいのはナシナシ!

とにかく、決行は日が落ちた後。それまでは町に散らばって、適当に騒ぎを起こして撹乱させる予定だそうよ。

その隙に、あんた達は遠くへ逃げる!」


「囮ですか。

随分と段取りがいいようですが、采配は誰が?」


「名前は知らない。ただ、指揮をとってるのは菖蒲の父親だって話。

城の中にも内通者がいるらしいし?もう滅茶苦茶よ」




麻菊様いわく、反逆隊の再結成には、ある立役者の尽力があったという。

その立役者こそ、母のように我々を送り出してくれた、沙蘭様だ。


実は沙蘭様は、私と姫様の様子をずっと(・・・)観察していたらしい。

私たちが救いの手を求めた時、真っ先に応えられるように。


故に沙蘭様は、私たちの目論見にも真っ先に勘付いた。


いつか、あの二人は決断をする。

あの窮屈な部屋を出て、二人きりでいられる場所へ旅立つだろうと。



そこから沙蘭様は、方々に呼び掛けを始めた。


雪竹城の要は、玉月才蔵と風見松吉の双璧によるもの。

内の一人が出奔となれば、攻城も幾許かは易しくなるはず。

父に息子、兄弟に友、失われた彼らの仇を、今こそ討つべし。


かつてのさすらい(・・・・)癖を隠れ蓑とし、築き上げた人脈を足掛かりとし、得意の口八丁手八丁をもって同士を集める。


こうして興された組織が、二代目反逆隊。

沙蘭様の呼び掛けがなければ、散り散りにあった同士は二の舞を畏れ、蜂起には至らなかったかもしれない。



残った兵力は各地に分断。

城の警備が手薄となったところを、一気に攻め入る。


囚われの乙女たちは全員解放。

寄る辺をなくした隊士や女中は、町全体で支えあって面倒をみる。


あとは上様その人と、彼の信者を成敗し、皆で方針を議論していくだけ。


計画は日に日に具体化が進み、確実性が増し、現実味を帯びていった。

やがては関係者のみならず、我関せずを決め込んでいた保守派も協力を申し出た。


最終的に連ねた人数は、実働隊が五十八人。

別働隊が三十三人、構成員が百人以上。

城の隊士に引けを取らない大所帯となった。



そして、今日。

玉月才蔵が出奔する今日こそ吉日と、沙蘭様の号令により計画は始動したのである。




「とはいえ、あんた達だけで全部決めちゃうんだもの。

沙蘭様が冴えてなかったら、昨日の今日で出動だったところよ」


「わたしとサイの様子を見ながら、ずっと待っててくれたんですか?」


「なんとか順調にいってるみたいだから、文句は言わないけどね。

───さ、無駄話はおしまい!」



"そろそろ大丈夫とは思うけど、油断しないで"。


慎重に扉を開けた麻菊様が、後ろ手に合図する。

彼女に続き外に出てみれば、人っ子一人いなかった。

兵力の分断とやらは、首尾よく運べているようだ。


私は姫様を背負う方に改めて抱え、麻菊様にも別れの挨拶をした。




「感謝の言葉もありません、菊姫様。

お恥ずかしながら、この御恩に報いるだけの余力が───」


「あー、はいはい分かったから!どういたしまして!

道中ちょっとでも気を緩めるんじゃないよ!」



不器用ながらも鼓舞してくれる姿が、実に麻菊様らしい。



「はい。ご忠告、しかと受け取りました」


「麻菊さん、お元気で」



自らの弱さや脆さを、意地と根性で隠して。

間違えて空回って、悔やんで落ち込んで。

いつも自分に正直だった彼女は、とても可愛い人だった。




「才蔵」



出発しようとした私たちを、麻菊様が呼び止める。

振り返った先には、初めて見る彼女の笑顔があった。



「あたし、あんたのことずっと……。

ちょっといいなって、思ってたよ」



"───ほんと、あんたって四角四面なヤツよね。

もうちょっとくらいドジな方が、可愛げあるってものよ?"。


"───まーた、あの髭面どもに雑用押し付けられたんでしょ。

可哀相だから、途中まで手伝ってあげるわ。"


"───たまにはこっちに、お茶でも飲みにいらっしゃいな。

……別に、椿が会いたがってるから、そのついで。"


"才蔵。"

"ねえ、才蔵。"

"……いいえ。やっぱり、なんでもないわ。"



仏頂面ばかりが印象にあったけれど。

貴女だって、こんなに自然に笑えるんじゃないか。




「貴女のそういうところ、素敵だと思います」



走り出した私の背中に、消え入りそうな"さよなら"が、後押ししてくれた気がした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ