表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;サイ編 化身の章
64/75

;第二十四話 約束したでしょう




「───ああ、サイ。

外から鶯の声が聞こえるわ。もう春ね」




初めて姫様のお姿をこの目にした時、それは驚いたものだった。

庭の桜を眺めながら、うっそりとたをやか(・・・・)な笑みを浮かべた横顔は、話に聞いていたよりずっと幼かったから。


繊細そうで、どこか頑固でもありそうで。

俗世の穢れ爛れとは交わらずに育ったような、あどけなさを残した少女。


こんな、女と呼ぶには早い少女が、上様への新しい貢ぎ物となるのか。

史上最年少の側室となった彼女に、まずなんと声をかけたらいか、とても悩んだのを覚えている。




「覚えてる?

また二人で、一緒に桜を見ましょうって、約束したわよね」




無知で、無謀で、無邪気で。

痛々しいまでに健気で。


優しくしてやろうと思った。

かつての私が、拠り所となる存在を望んでいたように。

彼女にとっての私が、そうなれたらと思った。



いや、違う。

最初は、彼女のためではなかった。


かつての己と今の彼女とを重ね、彼女を救うことで己も救われたかった。

己の生に意味が、己の罪に慈悲が欲しくて、彼女を中心に据えた。


私は彼女に憧れ、癒やされ、そして同時に、嫉妬していたのだ。




「もうすっかり雪は解けたのに、あの桜はまだ、花をつけてくれないみたい。

残念だけど、なんだかちょっと、意地悪ね」




彼女を生み育んだ家族。

彼女と共に歩んだ隣人たち。


彼らは酷くお節介でお喋りで、干渉が過ぎることも有ったという。

けれど、諍いに発展したことは一度もなかった。

彼女の中で、煩わしさが愛おしさにまさることは、ただの一度もなかったそうな。


お節介もお喋りも、干渉が過ぎてしまうのも、ひとえに彼女を案じてこそ。

彼女が笑えば負けじと笑い、彼女が泣けば背中を摩り、彼女を傷付ける輩を断じて赦さない。


解るからこそ、憎めない。

煩わしくて、愛おしい。

不完全な彼らを彼女は愛し、彼らもまた、不格好なりに彼女を愛していた。



そんな彼女が、私には酷く、眩しかった。


ありったけの愛を受けたであろう彼女が、時に羨ましく、時に妬ましかった。

彼女が楽しげに語ってくれる逸話の数々を、楽しんでは聞いてやれない己が、惨めで堪らなかった。


気付かされたのは、思いがけない己の弱さ。

孤高を気取りながらも、実は人肌に飢えていた、己のさもしい(・・・・)本性だった。




「せっかく、約束してくれたのに、守れそうに、ない」




意味を、慈悲を、愛を。

真っさらな笑顔を、真っすぐな信頼を。

誰かに頼られること、誰かに必要とされることが、どんなに嬉しいことかを。


私に無いものを全て持っていた彼女は、私に全てを分けてくれた。

こつこつと拾って、いっぱいに集めた幸せを、自分の手柄と独り占めにせず、恩返しだお裾分けだと、私にくれた。



いつからか、彼女の声を心地好いと感じるようになった。

嫉妬ではなく尊敬が、羨望よりも思慕が上回っていった。


この人は、この人だから、愛されてきたのだ。

理解して、納得して、私も彼女を愛する一人になった。




「やっぱり、自分の体は、自分が一番、よく分かるみたい。

だから、なんとなく、わかるの」




長い、短い、日々だった。

柄にもなく、永遠や不滅などという絵空事に、縋りたくなった。




「わたし、たぶん、もう二十日と持たないわ。

いいえ、実際はきっと、もっと早くに」




私を人にしてくれたのは、彼女だった。

疎まれ、蔑まれ、幾度となく否定されて、自暴自棄になっていた私に、希望をくれたのが彼女だった。


そのままでいいのだと。

私はここにいてもいいのだと。

彼女の温もりに触れた瞬間、私は深い水底から引き上げられた気分だった。




「ねえ、サイ。

さいごに、わたしのお願いを、聞いてくれるかしら」




いつだって彼女が、行く道を照らしてくれた。

彼女という光を失えば、私はもう立って歩けない。

暗闇に呑まれて、この身ごと潰れてしまうだろう。




「現し世の泉に、わたしの亡きがらを、葬ってほしいの」




鶯色の瞳が、こちらを向く。


痩せこけた頬も、ひび割れた唇も、固く乾いて生気がない。

あんなに瑞々しく、愛らしかった面差しが、今や死相の漂う窶れよう。


覚悟していた、のに。

いざ目の前にすると、なにも考えられない。




「辛いことを、頼んでる、けど、あなたしか、いないの。

それ以上は何も、もう、望まないから、せめて。

せめて、最期に見る景色くらいは、自分で決めたいの」




彼女のご両親は、どうしているだろう。

彼女の故郷ふるさとは、どうなっただろう。


元気に暮らしておられるだろうか。

再興は進んでいるだろうか。

恵みの雨は、果たして降ったか。


愛娘の訃音に接して、悲嘆に暮れる夫婦の様子が思い浮かばれる。

ウキ、可愛いウキと、声にならない叫びが、彼方より響いてくる。



お礼を伝えたかった。

彼女を生んでくれて、育ててくれて、ありがとう。

私と出会わせてくれて、ありがとうと。


いい人達なんだろうな。

最後に一度くらい、会わせてやりたかったな。




「───サイ。

わたしが死んだら、あなたは泣いてくれる?」




ぜえぜえと胸を上下させながら、姫様が私の気配を確かめる。

私の名を呼び、私に触れようと手を伸ばしてくる。


私は彷徨う姫様の手を掴み、自らの両手で強く握り締めた。




「本当に、ひどい人だ、貴女は」




姫様は、時として残酷だ。


泣いてくれるか、などと。

自らが去った後のことを、私の口から言わせようとするなんて。




「約束したでしょう。

死ぬまで側にいると。守り抜いてみせると」




守り抜くことは、叶わなかったけれど。




「私はもう、貴女のいない世界では、生きられないんですよ」




失いたくない。

この手を離したくない。

だから、離さない。離れない。




「どうか、最期までお供させてください」




一年。

姫様と過ごした季節は、どこを切り取っても、綺麗だった。


春には桜を、夏には澄み渡る空を。

秋には楓を、冬には降り頻る雪を、二人並んで見た。


何十年と空虚に日々を費やすより、永遠や不滅に縋るより。

愛する人と限られた一年を生きた方が、ずっと報われた人生かもしれない。




「それっ、て───」



私の心中を察したらしい姫様が、滂沱の涙を溢れさせる。



「だめ。だめよ、そんな。いや。そんなこと、してはいけないわ。

あなたは、生きて、これからも前を向いて、歩いていかなくちゃ」



いやいやと首を振りながら、もう一方の手で私の衿に掴みかかる姫様。

私は敢えて返事をせず、抵抗をせず、姫様の涙を指で掬い、微笑みかけた。


乱心しているわけではない。

これはもはや、どうにもならない。

悟ったらしい姫様は、私の衿から手を離し、力無く布団に倒れた。




「そ、んな……。サイ、……ッ。

ごめんなさい、ごめんなさい───」



合わさった私の手を抱えるようにして、姫様が慟哭する。

ごめん、ごめんと、主語のない赦しを乞いながら。


ごめんは要らない。

赦される必要はない。


心地好い姫様の声。

私の好きな貴女の声で、貴女への謗りを聞かされるのは、うんざりだ。




「泣かないで、姫様」


「でも、でも……っ」


「ごめんね、ウキ。

私は、どうしても、貴女と一緒がいいんだ」




私からの、最後の願い。

貴女のいなくなった世界に、私はいない。


松吉、すまない。

私は生くるお前より、死する彼女と共にゆく。







彼岸桜ひがんざくら




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ