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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;サイ編 化身の章
62/75

;第二十三話 蓮の席



明朝。

およそ半月ぶりに、上様からお呼びが掛かった。


隊士全体の召集とは別に、個人で呼び出される機会は、そう多くない。

姫様が患って以降だと、かれこれ四度目になる。


一度目は、姫様の肺病が発覚した時。

姫様の扱いについて、私の身の振り方について、今後の方針を説明された。


二度目は、近況報告を命ぜられた時。

姫様の病状を事細かに、今度は私が説明した。


そして三度目が、ひとえに話し相手として求められた時だ。

姫様が怒っていないか、姫様に恨まれていないか。

姫様から自分はどう思われているかを執拗に問われ、低俗な愚痴にさんざん付き合わされた。


飼い殺し同然の生活を強いている自覚が、少なからず有るのかもしれない。

姫様に嫌われたらどうしよう、と今更になって憂う辺りが、実にあの男らしい。



"───そうも唯桜の世話を買って出るというならば、よい。

日頃の忠節と精進に免じて、特別に許す。"


"ただし、唯桜と接して暫くは、私の御前みまえに立つな。往来に出るな。"


"必ず二刻以上の時を挟み、別の衣に着替えてから、次の仕事にかかるように。"


"肺病持ちを人として扱うということは、それと交わるお前もまた、畜生に並ぶということだ───。"



姫様が座敷牢に移されてからというもの、上様は一度も彼女の面会に訪れていない。

袖振り合うだけでも菌が移る、などと危惧しているためだろう。


その割に厚遇を受けさせているのは、相手が姫様だからだ。

たとえば姫様以外の、他の乙女たちが、同じ病を患ったならば。

病が発覚した時点で、上様は見限ったに違いない。


愛妾、転じて、忘恩の徒。

城を追い出すか、死刑を言い渡すか。

いずれにせよ、飼い殺しなんて手ぬるい真似はしないはず。



着の身着のまま追い出されずに済んだことを、不幸中の幸いとするべきか。

むしろ追い出された方が、希望はあったのか。


私には分からない。

姫様にとって何が最善なのか、私には決められない。


ただ、無情に時が過ぎていく。

希望があったかもしれない道には、もはや引き返せないほどに。




**


伝令によると上様は、寝所にて小休止の最中さいちゅう

謁見の間で改めるのも手間なので、私にも寝所へ来てほしいとのことだった。


貴人の寝所といえば、滅多に出入りを許されない特別な場所。

上様とて例外でなく、側近たちや乙女たち、親衛隊長の松吉を除けば、不用意に部屋に近付いただけで処罰の対象となりる。


つまりは、そういう(・・・・)こと。

滅多・・にない(・・・)特別・・な用向き(・・・・)があって、此度は呼び出されたということだ。


ひょっとしたら、姫様について決定的な処断が下されるかもしれない。

どう転ぶとも狼狽えぬよう、身構えておかなければ。




「───上様、玉月です。参りました」


「来たか。入ってよい」



襖の前で一声かけると、久しく溌剌とした返事があった。

部屋に入ると、着流し姿の上様が寝床に胡座をかいていた。

小休止なだけあって、楽にしていたようだ。



「時間通りだな。さ、そこへ」



"そこ"、と上様の御前ごぜんに促される。

私は促された位置より半歩後ろに腰を下ろし、長居をしたくないがために前口上を省いた。



「して、なんでしょう」


「うん?ああ………。そうだな。

このごろの、唯桜の様子はどうだ?」


「変わらずです。回復の兆しは、未だありません。

お医者様が言うには、進行は、かなり早いそうです」


「そうか……。

老齢よりも、弱齢の方が却って弱る、という話もあるしな。

本来は元服の程、となると……。ふむ。なるほどな」



なんなんだ、いったい。

わざわざ寝所に呼び出したからには、重要で内密な話があるんじゃないのか。

姫様について言及がないなら、こんなところまで出向いてやらなかったものを。



「上様。恐れ入りますが、此度の用向きはなんでしょう?

姫様のお加減のことでしたら、一からお話いたしますが」


「いや、そうではない。

……実は、才蔵。お前にひとつ、頼みがあって、来てもらったのだ」


「自分に、ですか」



指で顎を撫でながら、ちらちらと視線を飛ばしてくる上様。

自分の言わんとすることを汲み取れと、伺いを立てることを仕向けるように。


昔からの癖だ。

この仕種が出る時には、なにか企んでいる場合が多い。


まさかまた、暗に姫様を腐すつもりではあるまいな。

これ以上、姫様の尊厳を傷付けられたら、私は黙っていられない。




「しがない用心棒風情でお役に立てましたら、なんなりと」



お望み通り、お伺いを立ててやる。

上様は勿体ぶった咳ばらいをすると、私の目を見据えて平然と述べた。



「才蔵、いや、ギンコよ。

そなた、私の妾になる気はないか」



息が止まる。

言葉の意味をすぐには解せず、くぐもった頭で繰り返し反芻する。


今、こいつはなんと言った?

めかけ?私が、こいつの?


なんだ、それは。




「……僭越ながら申し上げます、上様。

仰っている意味が、自分の頭では理解できません」


「なんだ、含みはないぞ。言葉の通りだ」


「では、私に───。上様の色になれ、と」


「今ならはすの席が空いておる。

そなたの肌にべにを差したがごとく、見目よい花だ」



饒舌に語りながら、上様はひときわ厭らしい笑みを浮かべた。



「どうだ、相応しい名だと思わないか?」




蓮の花。

泥中にあっても生来の美しさを損なわないという、清く逞しい花。


なるほど。

年頃の女は手当たり次第か。

姫様はもはや用済みというわけだ。


この私に、情婦になれだと。

よりにもよって、姫様の桜と似た色を添えろと。


信じられない。

大欲非道の厚顔無恥。節操なしの下劣者め。

貴様には、心がないのか。




「なぜ、自分なのですか。

女としての値打ちは、自分は皆無に等しいはずです」


「ふふ、なにを言う。

手前で手前の色香は気付きにくいというだけ。

一目見た時から、実に匂やかな娘だと、私は感心しておったのだぞ?」


「私は────」


「中には、そなたに想いを寄せる不届きな輩もいる。

女子供に慕われる分はともかく、男共の情欲に当てられるのは、そなたとて本意ではなかろう?」




"───正式に私の妾となってしまえば、もう心配はいらない。"


"用心棒としての仕事は半分に、好きに寝起きし飲み食いするいとまをやろう。

豪奢な服も、装飾品も、好きなだけを有りったけやろう"。


"四六時中と刀を振るうのではなく、四季折々の花を愛でる。

そんな、一人の女としての幸福を、ただ味わってほしい。私の真心を感じてほしいのだ"。


"そなたにとっても、悪い話ではないはずだ───"。




おもむろに立ち上がった上様が、こちらへ歩み寄ってくる。

上様の伸ばした手が私の頬に触れ、私の耳に上様の手の甲が滑る。


その瞬間、凄まじい悪寒が私の全身を駆け抜けていった。




「(こいつ)」




上様の指が、私の結われた髪を掬う。

親指の腹で毛の一本一本を撫で、撫でたそばから下に擦り落としていく。




「(こんなやつに)」




気持ち悪い。忌ま忌ましい。

今すぐにでも、こいつを殴り飛ばしてしまいたい。


いや、殺したい。

二度と戯れ事を紡げぬよう、口を縫い、首を刎ねてやりたい。




「ふ。凛々しさを欠いたお前も、なかなかに愛い」




落ち着け。かっとなるな。

ここで暴れれば、これまでの苦労が水の泡だ。


耐えろ。当座をやり過ごせ。

じっとしていれば、いつかは終わる。

私への関心も執着も、所詮は気まぐれに過ぎないのだから。


しかし。

ここで、こいつを討ち取ってしまえば、あるいは。


己が胸中で、憎悪と理性とが見え隠れする。

拳を握り、奥歯を噛むことで、なんとか自我を保つ。




「唯桜のことは、諦めろ。

あれ(・・)は、じき死ぬ。薄命の身に情けをかけるだけ無駄だ。

そなたはあれ(・・)を、始めから知らなかった。出会っていなければ、他人だ。

そう思えば、空いた穴も知らずと塞がる」




私はなぜ、ここにいるのだろう。

怨敵に侮られて、試されて、辱められて。


じっとしていれば、いつかは終わる?

じっとしたままで、本当にいいのか?

こんな軟弱者は、一捻りにしてやれるだろう。


辛抱して当座を終わらせるか、成敗して永遠に終わらせるか。

本当の私は、どちらがいいんだ。

本当は、わかっているくせに。




「───少し、猶予を頂けませんか」


「なに?」


「恥ずかしながら、今は正常に頭が働きませぬゆえ。

お応えするには、とても力及ばないかと」


「ふむ……。そういうことなら、致し方あるまい。

そなたが素直になるまで、野花でも摘みながら、ゆっくり待つとしようか」



言い終えると同時に最後の毛束が落とされ、上様の手が私から離れていく。

私はようやく拳を解き、全身の力を半分ほど抜いた。



「ご厚情、痛み入ります」


「よい。私とそなたの仲だ。

もっとも、お預けが過ぎると、つい噛み付いてしまうやもしれんがな?」



"私とそなたの仲"とは。

うつけ(・・・)めが、ほとほと笑わせてくれる。



「必ずや、いい返事が聞けると、私は信じているよ。ギンコ」




念押しとばかりに私の肩を叩いてから、上様は寝床へと戻っていった。


壮年の男性にしてはやや薄く、肉付きの悪い体。

人の身にありながら、人ならざる獣心を宿した器。


いくたび、この後ろ姿を睨み付けたことだろう。

眼光だけで射殺せたらいのにと、願ったことだろう。


こいつを討ち取る役目は、私には回ってこない運命さだめらしい。




"───この人になら、わたしの全てを捧げていいと思った。"


"この人さえいてくれるなら、他には何もいらなかった。"




もっと早く、そうするべきだった。


肺病は、労咳は、不治の病だ。

どうしたって死を拒めないのなら、どこにいたって結果は同じだ。

随分と、遠回りをしてしまった。


姫様と、城を出る。

行く当てはない。索も勝算もない。

病人の彼女を連れて逃げ切れる可能性は、恐らく五分ごぶさえない。

けど、やるしかない。


金ならある。

当ては作ればいい。策は練ればいい。勝算はもぎ取ればいい。

病人だろうが怪我人だろうが、歩けないなら背負えばいい。



どうして、こんな単純なことを、思い付かなかったんだ。


誰もあの人を救ってやれないのなら、私があの人を幸せにすればいい。

己は人に与えられないものと、決め付けていたのかもしれない。


今は違う。

下手でいい。不格好でいい。

あの人自身が拒まない限り、諦めたくない。


元気にしてあげられなくとも、共に老いてゆけなくとも。

城を出て、町を出て、浜辺を歩いて、故郷へ行って、ご両親と会わせる。

美味しいものを食べて、美しいものを見て、何気ないお喋りで涙が出るほど笑う。


出来れば全部、せめて一つ。

必ず叶える。やり遂げる。


残り少ない日々を、指折り数えないでほしいから。

悪くない人生だったと、穏やかに最期を迎えてほしいから。


だから。



"この命尽きる前に、あなたが欲しい───。"



命をかけて、貴女に私を捧げます、姫様。






さくらり』



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