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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;サイ編 化身の章
61/75

;第二十二話 許されざる想い 3



「う、そ……。

うそよ、そんな、だって───」



口元を手で押さえながら、姫様は嘘だ嘘だと繰り返した。

私は上体を屈め、姫様の額に己の額を宛がった。


ちゃんと、ここにいる。

まだ、生きている。




「言ったでしょう。貴女にはもう、嘘をつかないと」


「でも、でも……」



屈めていた上体を起こし、宛がっていた額を離す。

垂れた私の髪が、姫様の耳に掛かる。



「信じて。

私の目には、貴女しか映っていない。

この身も、この心も、すべて、貴女だけのものだ」



ひときわ大きな涙を零した姫様は、震える唇を結び、しっかりと目を閉じた。

生理的にそうするのではなく、どこか観念した様子で、自分の意思を以って。


その仕種を私は肯定と捉え、姫様の背中に腕を回した。

姫様も私の首に手を回し、応えてくれた。



久しぶりの抱擁。

あの日と同じようでいて、何もかもが違う。


あの日よりも細くて、あの日以上に熱くて、あの日が遠い昔のように、弱々しい。

母を思わせる強さと温かさで、私を包んでくれた彼女は、もう。




「サイ、サイ───」




もっと、呼んでほしい。

仮初めの名でも、姫様になら呼んでほしい。


そう願いを込めながら、先程まで宛がっていた額に口付ける。

続けて唇にも移ろうとすると、姫様の人差し指が間に割って入った。




「いけない。そんなことしたら、あなたにも病気が……」


「いいよ。うつして」



感傷ごと飲み込んでしまえと、皆まで言わせる前に口付ける。


柔らかい感触の向こうに、涙の塩辛い味がする。

塩辛い奥に、甘い気がする。


不思議なものだ。

接吻自体は初めてでないのに、酷く決まりが悪い。

想い人が相手となると、ただの出来事に過ぎない行為も、ただでは出来ない。




「サイ」


「はい、姫様」


「わたしに、思い出をくれる?」


「思い出?」


「わたし達は、女同士だから、そういうことは、できないけど。

触るだけで、いいの。あなたに、触ってほしい」


「……いいんですか?お体に障るかもしれない」


「いいわ。

穢れてしまったこの体を、あなたが清めて、上書きして」




"この命尽きる前に、あなたが欲しい"。


久しぶりの、本物の笑顔。

泣いた後だからか、強張っていた表情が綻ぶ様は、まるで雨上がりの虹だった。




「喜んで」



こちらに差し伸べられた手に、己の指を絡める。

黒子の乗った鎖骨に口付け、肋骨あばらの浮いた胸元を撫でてやる。


慎重に、丁寧に。

少しでも、痛みが和らぎますように。

一時いっときでも、辛い記憶を忘れられますように。




「手、冷たくないですか」


「大丈夫。

それよりずっと、心があったかいから」



私は女だ。

男になりたいと望んだことはないが、女としての幸福を求めたこともない。

性別も境遇も、自覚する間もなく流れていった人生だから。


だが、こうして男の真似事をしている今。

何故か、今が最も、己を女っぽいと感じる。

己が女で良かったと、生まれて初めて思える。


夫婦めおとではなく、男女ですらなく。

まことの恋であるのかも、分からないけれど。

許されざる禁忌を、犯しているのかもしれないけれど。


たとえ恋でなくとも、愛はある。

姫様を愛おしむ気持ちだけは、揺るがないものがある。




「サイ」



忘れないように。

己の唇に触れれば、何度でも思い出せるように。

姫様を喪っても、姫様との思い出を、褪せなくいていけるように。


刻め、もっと深く。

消えない痕を、この胸に。



「好きな人に触ってもらうのって、こんなに幸せなことだったのね」



"ありがとう"。

"これでいつ向こうへいっても、寂しくないわ"。


"サイ"。

"あなたを好きになって、よかった"。






本当は、生きてほしい。

私と未来を生きてほしい。

思い出になんて、ならないでほしい。


大人になった貴女を見てみたかった。

元気になった貴女と笑い合いたかった。

貴女を連れて町を出たかった。

貴女と並んで浜辺を歩きたかった。

貴女の故郷に行ってみたかった。

貴女のご両親にお会いしたかった。


貴女と共に、老いていきたかった。

ずっと、側にいてほしかった。






桜人さくらびと



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