;第二十二話 許されざる想い 3
「う、そ……。
うそよ、そんな、だって───」
口元を手で押さえながら、姫様は嘘だ嘘だと繰り返した。
私は上体を屈め、姫様の額に己の額を宛がった。
ちゃんと、ここにいる。
まだ、生きている。
「言ったでしょう。貴女にはもう、嘘をつかないと」
「でも、でも……」
屈めていた上体を起こし、宛がっていた額を離す。
垂れた私の髪が、姫様の耳に掛かる。
「信じて。
私の目には、貴女しか映っていない。
この身も、この心も、すべて、貴女だけのものだ」
ひときわ大きな涙を零した姫様は、震える唇を結び、しっかりと目を閉じた。
生理的にそうするのではなく、どこか観念した様子で、自分の意思を以って。
その仕種を私は肯定と捉え、姫様の背中に腕を回した。
姫様も私の首に手を回し、応えてくれた。
久しぶりの抱擁。
あの日と同じようでいて、何もかもが違う。
あの日よりも細くて、あの日以上に熱くて、あの日が遠い昔のように、弱々しい。
母を思わせる強さと温かさで、私を包んでくれた彼女は、もう。
「サイ、サイ───」
もっと、呼んでほしい。
仮初めの名でも、姫様になら呼んでほしい。
そう願いを込めながら、先程まで宛がっていた額に口付ける。
続けて唇にも移ろうとすると、姫様の人差し指が間に割って入った。
「いけない。そんなことしたら、あなたにも病気が……」
「いいよ。うつして」
感傷ごと飲み込んでしまえと、皆まで言わせる前に口付ける。
柔らかい感触の向こうに、涙の塩辛い味がする。
塩辛い奥に、甘い気がする。
不思議なものだ。
接吻自体は初めてでないのに、酷く決まりが悪い。
想い人が相手となると、ただの出来事に過ぎない行為も、ただでは出来ない。
「サイ」
「はい、姫様」
「わたしに、思い出をくれる?」
「思い出?」
「わたし達は、女同士だから、そういうことは、できないけど。
触るだけで、いいの。あなたに、触ってほしい」
「……いいんですか?お体に障るかもしれない」
「いいわ。
穢れてしまったこの体を、あなたが清めて、上書きして」
"この命尽きる前に、あなたが欲しい"。
久しぶりの、本物の笑顔。
泣いた後だからか、強張っていた表情が綻ぶ様は、まるで雨上がりの虹だった。
「喜んで」
こちらに差し伸べられた手に、己の指を絡める。
黒子の乗った鎖骨に口付け、肋骨の浮いた胸元を撫でてやる。
慎重に、丁寧に。
少しでも、痛みが和らぎますように。
一時でも、辛い記憶を忘れられますように。
「手、冷たくないですか」
「大丈夫。
それよりずっと、心が温かいから」
私は女だ。
男になりたいと望んだことはないが、女としての幸福を求めたこともない。
性別も境遇も、自覚する間もなく流れていった人生だから。
だが、こうして男の真似事をしている今。
何故か、今が最も、己を女っぽいと感じる。
己が女で良かったと、生まれて初めて思える。
夫婦ではなく、男女ですらなく。
真の恋であるのかも、分からないけれど。
許されざる禁忌を、犯しているのかもしれないけれど。
たとえ恋でなくとも、愛はある。
姫様を愛おしむ気持ちだけは、揺るがないものがある。
「サイ」
忘れないように。
己の唇に触れれば、何度でも思い出せるように。
姫様を喪っても、姫様との思い出を、褪せなく抱いていけるように。
刻め、もっと深く。
消えない痕を、この胸に。
「好きな人に触ってもらうのって、こんなに幸せなことだったのね」
"ありがとう"。
"これでいつ向こうへいっても、寂しくないわ"。
"サイ"。
"あなたを好きになって、よかった"。
本当は、生きてほしい。
私と未来を生きてほしい。
思い出になんて、ならないでほしい。
大人になった貴女を見てみたかった。
元気になった貴女と笑い合いたかった。
貴女を連れて町を出たかった。
貴女と並んで浜辺を歩きたかった。
貴女の故郷に行ってみたかった。
貴女のご両親にお会いしたかった。
貴女と共に、老いていきたかった。
ずっと、側にいてほしかった。
『桜人』