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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;サイ編 化身の章
60/75

;第二十二話 許されざる想い 2



「姫様、姫様」


「サイ……」


「どこか、痛いところは、ないですか。

見えないところに、怪我は、ないですか」


「……なんとも、ないわ。大事ないわ、サイ」



続けて頬にも触れようとすると、払いのけられた。

私を拒んでというより、私に触れられる自分を拒むような素振りで。



「申し訳、ありません。

私が目を離したばかりに、姫様にこんな、恐ろしい思いを……。肝心な時に私は───」


「いいよ。

もう、いいから。自分を責めないで」


「しかし」


「彼がここへやって来てすぐ、あなたは駆け付けてくれた。

おかげで、わたしは無傷」


「……ですが、あと一歩遅ければ、姫様は───」


「だから、いいのよ。

たとえそうなったとしても、わたしはいいの」



戸前の隙間から、朝日が差し込む。

暗がりにぼやけていた視界が、徐々に鮮明になっていく。


姫様が顔を上げて、私を見る。

交わった彼女の瞳は、透けていた。



「どうせ、この身は穢れているんだもの。

今さら、誰に犯されようと、一緒よ」



自暴自棄とは、少し違う。

ただ、事実として述べている。

俯瞰からの自分として、ただ、説明をしている。



「こんな体たらくでも、誰かの慰みになるというなら、きっとその方がいいんだわ」



悍ましさすら感じさせるほど、透き通った瞳をしているのに。

姫様は、何も見つめていない。


私を見ているのに、見ていない。

光を通すだけのそれは、まるで磨かれたびいどろ(・・・・)だった。




「そんなこと、いわないで、ひめさま」




怒ってほしかった。嘆いてほしかった。

隠さないでほしかった。作らないでほしかった。


笑っていてほしかった。

誰かのために、自分を殺さないでほしかった。


私はこのひとに、こんな顔をさせたいんじゃ、なかった。




「貴女は穢れてなんかいない。出会ったあの日から、貴女は何も変わっていませんよ。

当時も今も、清く美しいまま」




一日たりとも、思い出さなかった日はない。


あの空を、あの雨を。

重ねた肌の冷たさを、吐いた息の熱さを。

灯を点した鶯の、美しさを。


あんな風に抱き締めてもらったのも、頭を撫でてもらったのも。

誰かと心が通じ合えたのは、己の心に触れられたのは、初めてだった。


それはとても優しくて、優しいのが切なくて、辛くないのが歯がゆくて、嬉しかった。

干天の慈雨とは、このことを指すのだろうと思った。



"これからは、わたしが、あなたを一人にさせない───。"



あの日、私は姫様に赦された。

認められて、救われた。


姫様だけが、ありのままの私でいいと言ってくれた。

私でなくては駄目なんだと、言ってくれた。


今の私たちは、当時と立場が逆転している。


あなたをもっと、ちゃんと知りたい。

あなたの悲しみを、苦しみを、わたしに分けてほしいと。


今でこそ、あの時の姫様の気持ちが、腑に落ちる。

本心をひた隠して、無理に笑顔を作って、怒りも嘆きもしない。

誰かを傷付けるくらいなら、自分が塵となって消えようと、泥をも毒をも受け入れる。


こちら側に立ってみて、思い知った。

大切な人が憂き目に悶えているのに、傍観者でしかいられない事実が、こんなにも恨めしいなんて。




「あの時、私に仰いましたよね。

苦しいことも、楽しいことも、これからは全部分け合いましょう、って。

なのに姫様は、私の苦しみは癒してくれるのに、ご自身の苦しみは私に分けてくださらない」


「………。」


「姫様。私だって、貴女を知りたい。

貴女が今、何を感じているのか。どんな目で、私を見詰めておられるのか。

……知れたところで無意味と、思われるかもしれませんが。

私ごときの力では、貴女をお救いして差し上げることは、とても叶わないかもしれませんが。

それでも、知りたい。

貴女の口から、教えてほしいんです」




近くにいるのに。

側にいたのに。


震える背中を摩ってやれても、震えずに済むよう治してはやれない。

零れる涙を拭ってやれても、泣かずに済むよう与えてはやれない。


如何な才があろうと、力があろうと。

大切な人を救えなくて、大事な物を守れなくて、いったいどこにあたいがあるのか。


私の生に、なんの意味があるというのか。




「───覚えてる?」



再び目を伏せた姫様が、おもむろに話し始めた。



「わたしが、初めて、上様と褥を共にした時。

最初の控え役は、あなただったわよね」


「……はい」


「とても、心配してくれたよね。わたしが傷付くんじゃないかって」


「はい」


「でも、思ったより、怖くなかったの。

はじめから分かっていたことだし、覚悟も出来ていたから。

上様もわたしを、壊れ物を扱うように、丁重に接してくださったわ」



喉を詰まらせながらも、姫様は話し続けた。

そして最後に"でも"と呟くと、姫様は自らの顔を両手で覆って、胎児のように丸まった。



「それを、側であなたが聞いているんだと思うと………。

それだけが、すごく嫌だったの」



濡れた目元を袖で隠して、姫様がひくひくと嗚咽を漏らす。

その涙を、私は拭ってやれなかった。



「姫様」



もう一度、姫様を呼ぶ。

袖越しに彼女の腕に触れる。


今度は払いのけられなかったが、隠す腕は退けてくれなかった。




「わたし、サイが好きなの。

友人として、だけじゃない。いつからか、あなたに焦がれている自分に気付いた。

すぐにこれが、恋だと分かったわ」


「こ────」


「こんなの、許されないことだって分かってる。

でも、一度知ってしまったら、もう元には戻れなくて。

好きな人がすぐ側にいて、なのに、他の人に体を預けなきゃならないのは、本当に、耐え難かった」


「姫様」


「ごめんなさい、ごめんなさい。

ずっと、黙っているつもりだった。隠し通せるはずだった。困らせたくなかったの。

でも、でも……。だんだん、自分の気持ちを、抑えられなくなって」



不安、恐怖、失望。

悲嘆、未練、無念。


十五歳の少女が背負うには、あまりに重すぎた運命さだめ

必死に封じ込めてきた思いの丈が、箍が外れたように溢れて止まらない。



「あともう少しで、お別れなんだと思うと、悲しいの。悲しすぎるの。

やっと、かけがえのないものを見付けたのに。やっと巡り会えたのに。

これじゃあわたし、なんのために生まれてきたんだろうって、どうしても思ってしまうのよ」



すき。

姫様が、私を好き。

ようやく明かされた本心が、想像だにしなかった恋慕。


気付かなかった。

だって。




「姫様、顔、見せて」



ばらけた髪を指で梳いてやる。

姫様は無言で首を振った。


かなしい人。

決して多くを望まず、腐らず。

家族のため故郷のためと、身を粉に尽くしてきた彼女に、なんとむごい仕打ちだろう。


かわいそうな子。かわいい子。

そんな貴女が、私は愛おしくてたまらない。




「困るわけ、ないでしょう。

許されざる想いなら、私とて同罪です」



姫様の呼吸が止まる。

姫様の目元を隠していた腕が、恐る恐ると退けられる。


顕になった鶯は、赤い薄衣を纏って、いつぞやのような灯を点していた。

私は姫様の手をとり、恐る恐ると握った。




「お慕いしています、姫様。

私はずっと、貴女だけを見つめてきた」



姫様の降らせた雨で、溺れてしまいたい。

姫様の齎した熱で、焼かれてしまいたい。

張り裂けるまで、私の中を、姫様で一杯にしたい。


恋慕。

恋い慕うこと。恋い焦がれること。

同じ好きを分け合えることが、こうも幸せなことだったとは。


だからこそ。

容赦なく突き付けられる現実を、呪わずにはいられない。



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