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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;松吉編 上弦の章
57/75

;第二十話 誰より幸せにしたいのに



俺とギンは相棒だった。


多くの時間、多くの苦楽を共にし、互いに心を開いていた。

目配せをひとつ交わすだけでも、互いの意図を汲み取れるほどに。


"あの二人は、単なる上下関係を超えた絆で結ばれている"。

同僚からはもちろん、上様でさえも俺達の相性を評価していた。


俺はギンを可愛がっていた。

ギンも俺を慕ってくれていた。


俺とギンは、相棒だった。

俺にはギンが、ギンには俺が、生まれて初めての友人だった。




「やれよ。それで、お前の気が済むなら」



今からおよそ、一年前の春。

俺達の友情に、亀裂が入った。

原因は、俺だ。




「───あっ、才蔵くーん!

これから鍛練でしょ?ね、たまには外でやるとかどーお?

だって修練場は女人禁制だから、せっかくの勇姿をアタシは見られないんだもーん!」


「───あら、才蔵。

なんだか顔色が悪いわね。ろくに休めていないんじゃない?

私たち用にって、気付けにいい薬があるんだけど、持ってきましょうか?」


「───よう、才蔵。

相ッ変わらず、小枝みてえな腕してんなぁ。今朝はちゃんと食ったのか?

たまには茶碗三杯(たい)らげるぐらいじゃねえと、俺らみたいにデカくなれねえぞ」


「───才蔵殿、此方におられましたか。

上様が貴殿にご用命を、とのことです。お手隙しだい、謁見の間へ参られたく。

いやはや、一昔前までは、松吉殿ばかりにお鉢が回っていたものですがな。近頃は、才蔵殿一筋のようです」




ギンは人気者だった。人気者になった。

俺を介して、あるいは俺を通じて、俺以外のやつらにもギンの魅力が知れ渡ったからだ。


"もっと取っ付き難いかと思いきや、接してみると意外に楽しい人だった"。

かつての浮名はどこへやら、今度は勇名美名ばかりが上がってくる始末。


俺がギンの険を取ってやったおかげ(・・・)で、というより。

俺がギンへの誤解を解いてしまったせい(・・)で、俺だけでギンを独り占めできなくなった。

後悔を覚えた頃には、俺とギンの人望はすっかり逆転していた。


畏敬、嫉妬、恋慕。

銘々の想いが交錯する中で、ギンはいつもその中心にいた。

いつしか、ギンこそが城一番の花形と謳われるまでになった。




「───ねえ、聞いた?

こないだの騒ぎ鎮めたの、あの子なんだって」



ところが。

例の事件があってからというもの、ギンは再び孤立した。


謀反の鎮圧。

言葉にすると呆気なく聞こえるが、実際のあれ(・・)は、凄まじい惨劇だった。




「───あっ、才蔵さん……。

えっと、鍛練に行かれるんですか?

そう、ですか。ええ。頑張ってくださいね」


「───ねえ、才蔵。自分ばかり責めては駄目よ。

あんなことを命じた上様も、ろくに役に立たなかった男達だって悪いんだから。

だから、そんな、辛そうな顔をしないで」


「───ゲッ、玉月……。

ああ、すまんすまん。今どくよ。

しばらく籠もるんだろ?じゃあ俺らは、お前が済むまで外に出てるとするかな。

悪いけど、稽古でもお前の相手は勘弁だからさ」


「───才蔵殿。

松吉殿を探しているのですが、お見掛けになりませんでしたか?

うーん、この時分ですと、やはり巡回に出られているのやもしれませんな。

お呼び止めして、申し訳なかった。貴殿はどうぞ、持ち場にお戻りを」




鬼。死神。化物。

たった一夜ひとよを堺に、あいつは人気者から化生者へと転じた。

昨日までの勇名美名は、元より辛辣な浮名によって上書きされた。


どいつもこいつも、あいつに直接害されたわけでもねえくせに。

自分の想像と違ったからって、何度も何度も掌を返しやがって。


俺個人の感情としては、皆の移り気に一言物申してやりたかった。

その反面、ギンを取り巻く環境としては、収まるところに収まったなと、納得できてしまった。


移り気には変わりないが、皆の態度は当初のそれに戻っただけ。

短い期間といえども、始末屋にして用心棒が、大衆からチヤホヤされる方が不自然だったのだ。



そして、本人も。

ギン自身もまた、事件をきっかけに、当初の頑なさをぶり返してしまった。


悪人ではない複数人を、有無を言わさず斬り伏せる。

用心棒になっての初仕事が、大義名分による殺戮行為。


ただでさえ殺生に敏感なあいつのことだ。さぞ忍びなかったに違いない。

ふと目をやると、激しい自己嫌悪に陥っている姿が、頻繁に見受けられるようになった。


俺は迷ったが、敢えてギンを放っておいた。

こういう時は、一人で静かに考えさせてやるのがいいと判断した。



今なら分かる。

あれは、間違った選択だった。


あの時、ギンを一人にするべきじゃなかった。

たとえ拒まれようと、上手く慰めてやれずとも、俺が傍にいてやるべきだった。


他の誰でもない、俺が。

ギンの、隣にいてやらなきゃいけなかったんだ。




「───見た?さっきの」


「ええ。まるで血が通ってないみたい」


「そういえば、昨日も一昨日も、夕食に手を付けなかったって聞いたわ」


「でも、修練場には欠かさず出入りしてるらしいわよ」


「あれでよく刀を振り回せるものね。今にも倒れてしまいそうなのに……」


「誰か差し入れでも持ってってやったら?」


「絶対無理よー。話し掛けるのだって勇気いるのに」




ギンは日に日に覇気を、生気を失っていった。


喋らず、泣かず、笑わず、走らず、眠らず。

ギンをギンたらしめるものが、割れて分かれて、拳大から砂粒大に砕けていくように。

人形さながらで、それでも確かに自我を持っていた器から、自我さえもを抜いて、正真正銘の人形になったかのように。




「───おい」


「ああ?」


「さっきから何してんだ、お前」


「何って、言わなくても分かんだろ。見物けんぶつだよ、珍獣」


「なんだそりゃ。珍獣って玉月のことか?」


「他に誰がいるんだよ。

……しっかし、惜しいよなぁ。あれでもーちっと(・・・・・)肉付きが良けりゃ、顔は文句なしなのに」


「おたくの旦那がとうとう男色に走りましたよ、って嫁さんに告げ口してやろうか?」


「へっ。そういうお前だって、玉月の御髪おぐしを大事そーに失敬してたくせによ」


「ば……。あれは掃除だ!」




不幸は続いた。

憔悴した今が好機と、弱ったギンに付け入ろうとする輩まで現れ始めた。


そういう(・・・・)意味でギンを狙っていたのは、なにも女衆だけではない。


隊士の中にも少なくないのだ。

穢らわしく濫りがましく、欲にまみれた暗い目で、いつもギンを眺めている輩が。


女以上の美貌であれば、男色も厭わないってことなんだろう。

あるいは、ギンのように特別な人間を手籠めにすれば、その優位性をも自分の糧にできると思うのかもしれない。


野心とは即ち、無能の表れ。

掃き溜めに与太郎が沸きやすいのは、悲しいかな道理だ。




「───ギン。おいギン!

くそっ、聞こえちゃいねえ。大丈夫かよ、あいつ」




このままでは、ギンが危ない。


事件以来、ご自慢の嗅覚は形無しだから。

行きずりの鳥や虫の気配にさえ注意を怠らなかったあいつが、背後から迫る人の足音にさえ気付けなくなってしまったから。


あげく夜には、一人ふらふらと城内を徘徊する。

そんな無防備をいつまでも晒していれば、襲ってくれと袖を引いているようなものだ。



俺は、ギンに教えてやりたかった。

敵は外だけでなく、時として内からもやって来るのだと。

以前のように警戒心を剥き出さなければ、いつ寝首を掻かれることになっても、おかしくないのだと。


そうだ。

最初はただ、教えてやるつもりだったんだ。






「───こんな簡単に敷かれるようじゃ、いくつ操あっても足りねえぞ」




ある日。

俺は私室にギンを呼び付け、油断する小さな体を、力づくで押し倒した。


本気ではない。

俺なりの忠告だった。


このままではいずれ、どこぞの輩に犯される羽目になると。

取り返しのつかない事態が起きる前に、もっと意識をしろと。

口で説明するより、体に学習させた方が早いと思ったんだ、あいつには。




「なんとか言えよ。

俺の気が短いことは、よく知ってるだろ」




俺はギンを、泣かせてやりたかった。


刀を持たないお前なんて、俺たち男の脅威じゃない。

いくら眼光が鋭くとも、身熟みごなしに長けていようとも、半端な抵抗は却って情欲を煽るだけ。


いやだと。こわいと。

喚いて怯えてほしかった。

やめてくれと。私が間違っていたと。

己の甘さを自覚してほしかった。


卑劣に負かされる恐怖と屈辱を、知ってほしかった。

正道では勝てない現実があることを、覚えてほしかったんだ。




「抵抗しないなら……。

───本気でやっちまうぞ」




これは練習。

いつかあるかもしれない実戦の時に、動じず危機を脱せるように。


お前が毎日欠かさない鍛練と同じ。

お前のためになる経験だ。


だから、ほら、言えよ、泣け、はやく。

俺がお前に、欲情してしまう前に。




「やれよ。それで、お前の気が済むなら」




恐ろしく冷えていた。

俺に言っているようで言っていない声も、俺を見ているようで見ていない瞳も。


悲しんでいない。

嘆いていない。憂いていない。

恐怖でも屈辱でも、憎悪でも絶望でもない。


諦め。

己へのすべてを拒まず、己のすべてを差し出さんとする姿。


違う。

俺はお前に、こんな顔をさせたかったんじゃない。


怯えてしまったのは、俺の方だった。




「ギ、────!」




ひるんだ俺の僅かな隙を突いて、ギンは俺の囲いを振り解いた。

呆然とする俺をよそに衿元を正したギンは、最後に一度だけこちらに振り返った。




「お前のおかげで、目が覚めたよ」




そう言って何事もなかったように部屋を出ていくギンを、俺は追い掛ける気になれなかった。



本気じゃなかった。

忠告のつもりだったんだ。


一から事情を説明すればきっと、ギンは理解してくれただろう。

俺の度を越した行いも、呆れながら赦してくれただろう。


だが、俺はそうしなかった。

できなかった。


あれから何度も、弁明の機会を窺いに行っては引き返した。

元来の男嫌いを憚らなくなったギンに、男の俺はもう近付けなかった。


皮肉なものだ。

思い描いていた展開とは違うが、結果的にはこれで、あいつに教えてやれたのだから。



もっと疑心暗鬼になればいい。

男とくれば貴賤の別なく訝るようになればいい。

お前に危険が及ぶ可能性がひとつでも減るなら、俺も有象無象のひとりでいい。


お前のために、じゃない。

俺が嫌だったから、そうしたんだ。

俺以外の誰にも、お前の体にも心にも、触れさせたくなかったから。




「("抵抗しないなら"───)」




有象無象でいい、なんて。

遜る必要なんか、ないくせに。




「(───どうするつもりだったんだ、俺は)」




ギンを押し倒したあの一瞬、魔が差したんだ。


いっそ、事実にしてしまえば。

どこぞの馬の骨に奪われるくらいなら、俺がギンをにしてしまえば、と。


反吐が出そうだった。

一瞬でも、軽蔑していた輩と同じことを考えた自分が、卑しくて惨めでたまらなかった。




「(俺を見てくれ)」




ギンの信頼を裏切った。

あれきりギンは、二度と俺に笑いかけてくれなくなった。


本当は、今すぐにでも赦しを乞いたいのに。

有象無象になんか、なりたくないのに。


もし赦されなかったらと、怖くて躊躇って、躊躇った分が意固地になって。

だったら先延ばしにすればいいと、答えのない軽口に逃げて、核心を遠ざけてしまう。


大事にしたいのに。

誰より幸せにしたいのに。


もはや取り繕っても遅いと、開き直って捨て鉢になって、不要な悪態をついてみせて。

こんなことなら最初からと、余計にギンを怒らせて、繰り返し後悔する。




「(俺を見ないでくれ)」




なにを、やってんだ。俺は。

友情に亀裂が入った時、どうすればそれを解消できるのか、俺は知らない。




「ごめんな、ギン」




人間として真に大切なことだけを、俺はひとつも、身に付けてこなかった。






つきふね



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