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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;松吉編 上弦の章
55/75

;第十九話 望むところだ



夏の終わり。

いつぞやにギンと一騎打ちをした中庭で、俺は夜風に当たっていた。


天を仰げば、白い月が浮かんでいる。

耳を澄ませば、鈴虫の声が聞こえてくる。


心地好い静寂。

むさ苦しい野郎共の喧騒はない。


既に床に就いた者、広間や私室で晩酌に興ずる者。

多くの者が領分に籠もり、銘々に夜を跨ごうという中で、ひとり。

俺だけが夜ごと、とばりを惜しんでしまう。


日の出に望みや喜びを見出したことがないから。

こうして静かに息をできるなら一生、夜でいいと思うくらいだ。




「───来たな」



ぽつりと湧いた気配。

首だけでそちらを向くと、俺の呼び付けに応じたギンがいた。


こいつはそういう(・・・・)風に現れるものと知ってからは、突として背後に立たれても驚かなくなった。

お前いつの間にそこに、さっきからいたけど、なんてやり取りは、もはや慣れっこだ。



「座れよ」


「いいのか?そこ」


「なにが?」


「まえ、上様が座ってたとこだろ」



隣に来るよう促すと、ギンは遠慮した。

ギンの言う通り、ここは一騎打ちの際に上様が座しておられた位置である。



「ああ、あン時のか。

別に指定のってわけじゃねんだ、気にすんな。

ここからが一番、見晴らしがいいからよ」



ふーん、と興味なさげに呟いたギンは、俺の右隣に膝を立てて座った。


いつにも増して強い桜が香る。

風呂を上がって間もないようだ。

他に誰もいなくて良かった。



「なんで、こんなとこに呼び付けたんだ?

話があるなら、部屋の方が良かったんじゃないのか」


「ゆっくり出来んならな。

けどあいにく、今夜ばかしはそうもいかねえ。

よりにもよって、隣の部屋のやつが宴会始めやがってさ。

こないだの件で昇進した祝いにって、お前も聞いたろ?」


「ああ……。

鳥みたいな声で喋るやつ?」


「そいつ。

だから今夜は、こっちで正解なんだ。

夜風で涼むにも、ひらけてる方が丁度いい」


「いいけど、誰か通ったら面倒めんどうくさいな」


「通らねえさ。ほとんど寝てる。

宴会の奴らだって、厠立つにしても、わざわざ遠回りしねえだろ」


「確かに」



先程の俺のように、ギンも天を仰いだ。

白い月に照らされて、ギンの横顔が暗がりに浮かぶ。




「───お前がウチに来てからさ」


「うん?」


一月ひとつきになるわけだろ?だいたい」


「そんなになるのか」


「覚えてないのか」


「数えるの忘れた」


「まあ、順応するのが先だったしな。

で、どうよ?その順応には至ったのか?」


「だいぶ。

明日、私室ももらえることになった」


「やっとか!決まってからが長かったな」


「寝る場所なんて私はどこでもいいが」


「お前が良くても周りがな。

俺らの近くで寝起きするってことは、そのぶん接触だの、遭遇だのする機会も増えるってことだ。

ボロ出すなよ、色々と」


「わかってる。いつも通り」



ギンがウチへやって来て、およそ一月ひとつき

月の満ち欠けが一周した本日を以て、俺はギンの教育係じゃなくなった。


これからは、ただの先輩後輩。

ともに切磋琢磨して、しろに上様に、奉公していく身分となる。




「他は?なんか変わったこと」


「名前」


「名前?なんの」


「私の、名前」


「おおー、それもやっとだな」


「姓の方はまだらしいけど、明日からはその、新しく付けた名前で通せって、上様が」


「ほーん……。

お前にはそれで元服、ってことにするつもりなんかねぇ」


「元服ってなに?」


「慣例だよ慣例。

大人の仲間入りをしますって宣言───、儀式?

ってほど、大層なモンじゃねえけど」


「どんなことするんだ?」


「やんごとないおいえじゃ、それこそ幼名を改めてってのも普通らしいが……。

庶民はもっぱら、ここ。月代剃って終いだよ」


「上様みたいな?」


「そうそう。側近連中も、ここだけ無いだろ?」


「お前は?」


「俺?」


「隊士のやつらも、勝手に禿げてるのはいるけど、剃ってるやつ、あんまりいないぞ」


「あれは、手入れしてねえだけで、元服の時にはちゃんと剃ったんだよ。

側近連中と違って、並の隊士は、上様に直接(はべ)ったりしねえからな。

むしろ、上様より身綺麗にしてた方が注意されるくらいだ」


「私も、こんど剃るのかな」


「まさか。

お前が男としてやっていくため、お前の月代を死守するため。

この矛盾を両立させるために、上様は名前を与えることに拘ったはずだ」


「私だけそんなだと、却って疑われないか?」


「ウチで元服じたいが初なんだ。

お前だけ剃らねえってなっても、ここじゃそういうやり方なのかって、誰も気に留めねえさ」


……。そうか」




料理、洗濯、繕い物。

基本的な読み書きに、最低限の礼儀作法。


課題は山とあったが、見掛けの割にギンが聡かったおかげで、さほど苦には感じなかった。

煩わしい時もままあれど、その煩わしさも無用になるかと思うと、まったく寂しくなくはない。




「にしても、姓までとは恐れ入った。

上様はつくづく、お前を気に入ったらしい」


「知らない。どうでもいい」


「……その様子だと、さぞ可憐なを賜ったのかなァ?

"チヨ"か?"ウメ"か?はたまた───」


「"サイゾウ"」


「あ?」


「サイゾウ。

才気の才に、宝蔵の蔵で、"才蔵"だ」


「才蔵……。

って、俺の覚えが間違いでなけりゃ、お前とは───」


「そこまで考えてなかったって。

なんとなく好きな字を当てたらそうなったって」


「へえー……。

グフッ、んふ、ふふふふふ」


「………。」


「いや〜、そうか〜。こりゃまた立派な、なあ〜。男らしい名前をなぁ〜。

ング、あの、そうだな。今からでも、名乗る練習しといた方がいいんじゃねえか?

ただでさえ、女子供が寄ってきやすいタチなんだ、ほら。

"そこなお兄さんや、お名前、なんと仰るので"?」



からかいついでに、ギンの肩を肘で小突いてやる。

ギンは相変わらず表情に乏しいながらも、以前よりずっと穏やかな調子で返した。



「茶化すなよ。名前も部屋も、本当にどうでもいいんだよ。

ここで生きていく上で必要だというなら、私は受け入れるだけさ」



まさか笑みを湛えて、軽口まで叩き合えるようになるとは。

一月前の俺に教えても、そんな未来は信じないだろうな。




「───それで?」


「あ?」


「わざわざ人目につかない場所に呼び付けたってことは、なにか特別・・な話があったんだろ?

いいのか?特別な話、しなくて」



ギンが神妙に改める。

開口一番に問い詰めなかったところや、いわゆる雑談に付き合ってくれたところからも、こいつの成長ぶりが窺える。



「あー……。まあ、その。なんだ。

一応?正式な用心棒として認められたわけだし。合格祝い、みたいなもんも兼ねて。

───これを、お前に」



用意しておいた脇差をギンの前で掲げ、僅かに抜いてみせる。


柄も、鍔も、鞘も、刃も。

その全てを黒で塗り込めた姿は、俺の持つ太刀・九十九つくもぎりとよく似ている。

縮小版と言ってもいい。



「これ、松吉のじゃないのか」


「そうだな。

昨日・・まで(・・)は、俺のものだった」



刃を仕舞い、左手一本で鞘を持ち直す。



「名を"雷切らいきり"という。

落雷が如く連撃を振るえる、ってのが謳い文句だそうだ」



今度は手首の力だけで雷切を横に投げ、すかさず右手で捕まえた。



「実際、俺の知るどの刀より軽く、扱いやすい。お前の細腕にも、容易に馴染むだろう。

今日からお前が、こいつの主人になるんだよ」


「……なぜ?」



ギンの眉間に皺が寄る。

無理もない。見返りなしに金品を贈られる経験など、こいつには皆無のはずだから。



「お前、持ってんのあの(・・)打刀だけだろ?朧、とかいったか。

帯刀が一本だけじゃ心許ない場面もあるし、武器は多いに越したことはない。

あと、朧の白と雷切の黒とで、見栄えもいい」


「受け取る理由がない。

それに、私がこれを貰ったら、松吉の分が───」


「いいんだよ。

俺は太刀と脇差と短刀とで、まだ三本ある。

遠慮せず、ん。受け取れよ」



俺が雷切を差し出しても、ギンは戸惑うばかりだった。

最後には半ば押し付ける形で、無理やり受け取らせた。



「よし。

これで、このあいだの件は清算したってことで」


「このあいだ?」


「だから、あー。上様と揉めてた時に、さ。仲裁して納めてくれたろ。

そういや、そん時の礼を、まだ言ってなかったと思ってな。その───」



ギンに間近で見詰められる。

居た堪れなくなった俺は、言い終える前に顔を背けた。



「………たすかった」




今なら分かる。

良くも悪くも、ギンは素直な性分なんだ。

道理にもとると見做したならば立ち向かい、一理あると見做したならば聞き入れる。


生意気そうなだけで、事実そうではない。

本人としては、片意地を張るつもりなどないということを。



俺が相手だと、それが顕著だ。

警戒されていた当初は、何かと訝しんだり、嫌がったりが多かった。

打ち解けた今となっては、何かにつけて褒めたり、敬ったりが増えた。


松吉はすごい、松吉はえらい。

松吉が決めたことなら、間違いないんだろうと。

よほどの都合がない限り、俺の意に沿うようになった。



少しは信頼してくれた、のはいい。

称賛や尊敬を受けるのも、悪い気はしない。


ただこいつの場合、臆面がなさ過ぎるのだ。

真っすぐな視線も、含みのない言動も、敵意より好意の伴っている方が、却って困惑させられる。

小憎らしかった頃と比べると、余計に可愛くてしょうがなくなって、困る。




「別に、礼を言われるほどじゃない」


「ケッ、可愛げのねえこと。

こういう時はとりあえず、"どういたしまして"、とでも言っておけばいいんだよ」



俺がやれやれと肩を竦めると、ギンはおずおずと唇を尖らせた。



「どう、い、たしま、して?」



酷く不慣れな口ぶりに、俺は吹き出した。


悲嘆も絶望も数えきれない苦労人のくせに。

未だにこんな初心うぶな反応をするのだから、あどけないにも程がある。




「───私からも、ひとついいか」



雷切を膝に載せたギンが、おもむろに切り出した。

なんだよと返すと、ギンは中庭を眺めながら話し始めた。



「あの時、なんで手加減した」


「は……、手加減?」


「そうだ。ここで私と戦った時、松吉は全力で来なかった。どうしてだ」



"あの時"。"戦った時"。一騎打ちの件か。

だが俺は、ギンいわく手加減をした覚えがない。


本気でやり合って、そして負けた。

俺よりギンの方が強いと、あの場で決着したはずだ。



「手加減なんかしちゃいねえよ。あのとき俺は本気だった。なんで今更そう思うんだよ?」


「今更じゃない。ずっと気になってた。

たくさんの使い手を見てきたから、よく分かる。私より、お前の方が強い。

なのにお前が負けて、私が勝った。それはお前が手加減していたからだ」


「おいおい、買い被りってもんだぜ。俺は確かに本気でお前と───」


「本気と全力は違う」



ギンがこちらに振り向く。

前のめりな勢いに、俺は後ずさりしそうになった。



「小手先では私がすぐっていても、もともとの力強さやしぶとさは、お前に遠く及ばない。

だから、私はお前に傷を付けることは出来ても、膝を突かせることは出来ない。

そうなる前に、私が倒れてしまう」



そう言うとギンは、雷切の鞘を両手で握り締めた。



「最初から全力で来られていたら、きっと勝てなかった。

あれが試験ではなく、戦場いくさばであったなら、私は死んでいた」




全力じゃなかった。

思い返してみても、やはり思い当たる節はないと断言できる。


反対に、ギンも断言している。

流れるようにすらすらと、自分の頭で考えて、自分の言葉を使って。



もしかしたら、俺に自覚がないだけで、素振りくらいはあったのかもしれない。


侮ってはいなかった。

油断大敵と、策も練って臨んだ。


有り得るとすれば、本能的なものだ。

たとえば、直前になって打ちのめすのを躊躇った、とか。


それはこいつが女だからか、子供だからか。

いずれにせよ、俺もまだまだ未熟というわけだ。


ああしろこうしろと人に指図しておきながら、俺自身が成っていなかった。

情けない話だ。




「ハ、参ったねこりゃ。

そんなつもりはなかったはずだが……。

お前にそこまで言われるってことは、無実でもなかったんだろう」


「あのとき勝ってれば、今よりもっと偉くなれたんだろ?私に負けていいことない」


「さてね。

俺だって今知ったんだ。分からねえよ、ンなこと」



埒が明かないと悟ったのか、ギンは項垂れた。



「私も、分からないよ。

松吉が、本当はどういう人間なのか」




わからない。

俺だって、俺がわからない。


血で血を洗ってきた。

斬ることも踏み付けることも厭わなかった。

対するのが人であろうと獣であろうと、いくさであろうと稽古けいこであろうと、迷いが生じたことはなかった。


自分が死ぬか、相手が死ぬか。

相手が死ねば、自分は生きられる。

瀬戸際に命の尊さを計る余裕はなかった。


常に必死だった。

生きるために、命をかけてきた。



ただの試験。ただの力比べ。

殺生の絡まない、たかだか木刀で打ち合うだけの、所詮は見世物。


なのに負けちまったのか、俺は。

殺生は絡まないのだからと、徹底して叩くのではなく。

所詮は見世物に過ぎない勝負でも、痛い目に遭わせたくない気持ちがまさってしまったのか。



どうしてなのかは、たぶん、しばらくは定かにならないだろうが。

今までにない何かがギンにはあって、俺が持ち合わせていなかった何かをギンが持ってきた。


俺にとってギンが、他の誰にも替えが利かない存在になりつつあるのは、すでに。



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