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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;松吉編 上弦の章
53/75

;第十八話 蛇と鷹



翌日。

正午を過ぎてから謁見の間へと向かった俺は、昨夜の出来事を上様に報告した。


山下さんの突然の返り忠。

そして、山下さん擁する一部の反乱分子が、攻城を企てている可能性について。

掻い摘んで説明すると、上様は渋い顔をしながらも承知してくれた。


本当なら、そもそもの発端である"神崎さん"とやらの名前も挙げるべきかもしれない。

だが俺は、あくまで山下さんと、山下さんを抱き込む某の策略とした。

神崎さんの名前を挙げれば自ずと、神崎さんの娘である菖蒲姫にも、火の粉が及ぶと考えたからだ。


上様も上様で、一から十までの詳細は求めなかった。

"たとえ火にくべようとも、あの男は絶対に泥を吐かなかっただろう"。

あの上様をしてそう言わしめるほど、悲しいかな、山下さんは惜しい人物だったというわけだ。




「───委細、承知した。大義であったな」



ひとまずの責務は全うした。

握り締めていた拳を緩め、音なく安堵の息をつく。


しかし、先程からどうにも、妙だ。

なにか違う。なにかが足りない気がする。

上様の反応が、やけに薄いような。


仮にも、臣下に寝首をかかれたのだ。

気性の荒いこの人なら、もっと激昂しておかしくない。

なのに、随分あっさり受け入れた。


深慮あってのことなのか、いつものように高を括っているだけか。

なんにせよ、尋常でないのは明らかだ。



「報告は以上となります。

自分は勤めに戻りますゆえ、これにて失礼を───」



触らぬ神に祟りなし。

用が済んだら立ち去るに限る。

頭を下げて退こうとすると、同時に待ったを掛けられた。


くそ。いよいよ冠を曲げる前に、と思ったのに。

座布団に座り直し、上様の次の言葉を待つ。



「時に、松吉よ。

おぬし、なにか私に、言い倦ねていることがないか?」


「……?いいえ。上様のお耳に入れるべきは既に───」


「件の反乱のことではない」



抑揚のない声で遮った上様は、おもむろに座椅子から立ち上がった。

閉じた扇子を掌に打ちながら、摺り足でこちらへ近付いてくる。



「おぬし」



俺の目の前で立ち止まった上様は、扇子の先で俺の顎を持ち上げた。

俺を見下ろす眼差しは、まるで米びつを荒らす鼠に対するかのようだった。



「よもや、私の女に手を付けているのではあるまいな」



どうやら俺は、酷い誤解をされているらしい。


なにを早とちりしているのか知らないが、そんな事実はこれっぽっちもない。

上様の女に手を出すなんて自殺行為を、誰が好んでやるものか。



「は……。なにを、仰います上様。自分は───」



弁解しようと口を開くと、また途中で遮られた。

上様の空いた右手に、左頬を引っ叩かれたのだ。


衝撃で姿勢が崩れ、頭の中が空になる。

この鋭さは、本気だ。


再び上様を見上げると、今度は硬い手の甲で右頬を殴られた。

容赦のない往復打ちに、息を吸うのも吐くのも忘れてしまいそうになる。



「あれほど道理を言って聞かせたにも拘わらず!白昼堂々、人の物を抱えて歩くなど……。

───ッこの痴れ者めが!!」



わなわなと肩を震わせた上様が、咆哮のごとく捲し立てる。

俺は反射的にやり返したいのをぐっと堪え、弁解に徹した。



「お言葉ですが、上様。

御内室と自分との間に不義は一切ございません。

その節は何やら足を痛めてらしたので、偶然通り掛かった自分が縁の間までお送りし───」


「空々しいことを……!

菖蒲吹はまだ年若く、是非も分からぬたわけた娘だ。

そこに付け入って、たらしこんだのであろう!?」



怒りで赤く染まった顔。

怒鳴る度に飛び散る唾。


きっと俺がどうしようとも、この人にはどうでもいいんだろう。

激情を露にする上様とは対照的に、俺の感情は露と消えていく。



「(気が抜けてたってことなんだろうなぁ)」



嫌な予感ってやつは、残念ながら、よく当たる。


あの時、彼女に手を差し延べると決めたあの瞬間から、厄介事に発展するかもしれないと覚悟はしていた。

まさか本当に、覚悟の通りになろうとは。


おおかた、彼女とのあれ(・・)を目撃した誰かが、鬼の首とったりと上様に密告したのだろう。

ついでに有ること無いこと吹き込んでくれたおかげで、今の上様はまさに怒髪衝天。

俺の権威に不満を持つのは結構だが、いい大人の節度は弁えてほしいもんだ。



「(生臭い。口ん中も切れたか。

もらった饅頭、今日までなんだけどな)」



かつて上様の不興を買った者らが、いかなる末路を辿っていったか。

俺は見てきた。対岸の火事と傍観してきた。


追放か、死なない程度の体罰か。

さすがに死刑を言い渡された者は出ていないようだが、無事で済まないのは請け合いだ。




「───いささか町娘の気を引く程度で得意になりおって……。

自惚れも大概にしろ!!」



心底、阿呆らしい。

身内の返り忠を伝えたばかりだというのに。

攻城の危機が迫っているやもしれないのに。

こいつにとっては、自分の色が横取りされる心配こそ有事らしい。



「思えば、お前は元より、色を好むきらい(・・・)があったな。

さも篤実かのようにして、甘言使いこそ一級と見える」



ずっと我慢してきた。

波風を立てないよう、逆鱗に触れないよう。

謙虚で従順な臣下として奉公してきた。


その結果が、これか。

くだらなすぎて笑えてくる。

こんなやつに遜って生きている自分が、くだらなくて、泣ける。



「そうまでして女子供に持て囃されようとは、嘆かわしい。親衛隊長様が落ちぶれたものだ。

勇名をどこぞに捨ててきたか?取りに行かせるから申してみよ」



いっそ、山下さんに付いて行けば良かったかもしれない。

悔いたところでもう遅いが、山下さんの天晴れな生き様と死に顔とが、代わる代わるに脳裏を過ぎる。




「おい、聞いているのか。この───!」



上様が扇子を持った手を振りかぶる。


今度は道具を使って殴られるのか。

上様の短気は昔からだが、ここまで怒り狂うのは滅多にない。

殴られた後は、どんな罰を言い渡されることやら。


いいさ。

やるなら好きなようにやりゃあいい。

逆らう気は、もはや失せた。


目を閉じて、身を委ねる。

俺が死んでも、どうせ、悲しむ人はいないのだから。



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