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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;松吉編 上弦の章
52/75

;第十七話 誰も傷付けずに生きられるのは 3



「どけ、松吉。お前を斬りたくねえ」


「こっちの台詞だっつんだよ。俺にあんたを殺させんな」


「お前にオレは殺せねえよ」


「どうだか」


「……なあ、どうだ?松吉。

お前なら、オレ達の仲間に加えてやってもいいんだぜ?」


「冗談。

負け戦に飛び込むなんざ、気が違っても御免こうむるね」


「ヘッヘ。

武士道だの大和魂だの、ガラじゃねえくせによ」



山下さんの呼吸が浅くなり始めた。いよいよ臨戦態勢ってわけか。

残念ながら、俺の説得に耳を貸してくれる気は毛頭ないらしい。



「全部、芝居だったのかよ。

このうすきたねぇ世で、なんとか扶け合って生きていこうぜって、あんた俺に言ってくれただろ。

あれも、嘘だったのかよ」


「……悪いな、松吉。

出来ることなら、お前もきっちり、丸め込んでやりたかったよ」


「山下さん、俺は───」


「お前のことは、嫌いじゃなかったんだがなあ!!」



山下さんの目が、かっと見開かれる。

俺と話すための間合いから、俺を殺すための間合いへと、迷いなく走ってくる。


その瞬間、俺の中で辛うじて保たれていた何かが、音を立てて崩れていった。


ああ、もう駄目だ。

もう、見逃してやれねえ。

俺の言葉は、この人に届かない。

俺には、この人の心を変えられない。

この人の目に映る今の俺は、ただの。



"───こりゃあまた、随分とわけェのが来たもんだ。

悪いこた言わねえ、引き返すんなら今だぜ、ボウズ?"



山下さんが腕を振り被り、俺に斬り掛かる。


だが、遅い。

あいつと比べると、あんたの攻撃なんて、止まって見えるよ。


俺は反射で斬撃を避け、山下さんの背後に回った。

勢いを失った山下さんは、前のめりによたよたと足を着いた。



"───我が家のように、とは流石にな。

けどまぁ、オレが世話するからには、親戚のおじさんと思えるくらいにはしてやるよ。

今日からここが、お前の帰る場所だ。"



相変わらず貧乏臭いナリ(・・)で、どことなく哀愁を感じさせる後ろ姿。

それでも初めて会った時には、圧倒されるほど頼もしく見えたもんさ。


そうさ、頼もしかったんだ。

父のように兄のように、時に優しく時に厳しく接してくれた山下さんに、俺は憧れていた。


なのに、今はもう、こんなに小さい。

背中の広さも、背丈の高さも、あっという間に俺が追い越しちまった。

腕相撲も早食い競争も、飲み比べも我慢比べも。

昔は一度も勝てなかったが、今では。



"───よ、おはようさんボウズ。

なんだ、顔色悪いな。よく眠れなかったのか?

しょうがねえ、今夜はオレの枕、特別に貸してやるよ。

どんな神経たかりも一発快眠の優れものだ。"


"───そら餓鬼んちょ、飯食い行くぞ。

腹が減っていようがいまいが、時間になったら食うんだよ。

でなきゃ、いつまでもヒョロヒョロのまんまだぞ。先輩命令。"


"───おかえり、松吉。

いや、いい。遠征帰りに無理しちゃいけねえ。困った時はお互い様だ。

色々と思うところはあるだろうが、オレはお前のそういう、知らんぷり出来ねえ不器用なとこをさ、結構好きなんだよ。

お前もあんまり、自分のこと、嫌いになってやらんでくれな。"



"いざとなったら、頼りにしてるぜ。相棒───。"



本当に、馬鹿だな。山下さん。

あんた、剣で俺に勝ったことなんか、一度もないくせによ。






「か───ッ!」



山下さんの細い腰に、下から上へ抉るようにして太刀の切っ先が入る。

刃はそのまま硬い腹筋を破り、彼の体をほぼ縦に貫いた。



「ぁぐ、ゥ………ッ!」



山下さんの苦しげな呻き声が響く。

刃から伝ってきた血がつかに触れ、俺の指先に触れる。


駄目押しにもう一突きして刃を引き抜くと、体の芯まで抜かれたように山下さんは頽れた。



「ハァ、ハ……。は───」



あっけない。

あいつとの激戦が幻だったんじゃないかと錯覚するほど、いとも容易く山下さんとは決着してしまった。


俯せに倒れた山下さんを中心に、じわじわと血溜まりが広がっていく。

思えば、俺にとって親しい人を斬るのは、初めてのことだった。



「あーあ。やる前に色々吐かせるべきだったな」



これから、どうするかな。

とりあえず、亡骸はどこか別の場所に移動しよう。

上様への報告は、が明けてからでもいいだろう。

手に付いた返り血を裾で拭いながら、考えるのは後始末の段取り。


悲しくはない。

ただ、明日から一人、少なくなる。

俺の周りが、前より少し、静かになる。

それだけだ。



「枯れた草木にゃ花はらねえ。

あんたが教えてくれたんだぜ、山下さん」



俺の空しい独り言に誘われてか、第三者の気配が突として現れた。

気配のした方へ振り向くと、いつの間にいたのか、寝間着姿のギンが濡れ縁に立っていた。




「お前───。

なにしてんだよ、こんな時間に」



話し掛けると、掠れた声が出た。

山下さんと無駄なお喋りをしたせいで、すっかり喉が渇いてしまったようだ。



「なんか、変な気配、したから、目が覚めた。

松吉は、なんで」



裸足のまま地面に下りたギンは、辺りを窺いながらこちらへ歩いてきた。



「見りゃ分かんだろ。

お前の言う変な気配ってのを、たった今鎮めたんだよ」


「この人……」



俺のすぐ側で立ち止まったギンが、俺から山下さんに視線を移す。



「よく松吉と一緒にいた人だ」



そう言うとギンは、再び俺の顔を見上げた。

言葉にせずとも、どうしてこうなったのか、と目が問うている。


どこから話せばいいのやら。

状況証拠は揃っているとはいえ、暗黙の了解が通じる相手ではない。

よりにもよって、一番説明が面倒臭いやつに目撃されちまったもんだ。



「ほら、あっちこっちに散らばってんだろ、本」


「ほん」


「ありゃ、どれも重要な書物でな。

ましてやそれを、身内の人間が盗ったとなれば、な」


「だから斬ったのか」


「考え直すように説得はした。が、聞く耳持たずで剣を抜かれた。やむを得なかったんだ。

……まぁ、なんにせよ?上様の忌諱ききに触れれば相応の罰を受けるし、この場合は反逆罪も加わるから首が飛んでもおかしく───。

って、おい」



説明の途中、ギンは俺から刀を奪った。

山下さんに用があるらしく、血溜まりも厭わず近付いていく。


今さら死体に何をしようというのか。

ギンの突飛な言動はいつものことなので、敢えて制止はせずに続きを見守る。


ギンは山下さんの横で刀を構えると、山下さんの背中に切っ先を宛がった。

背面からで分かりにくいが、あの位置は恐らく心臓だ。


ギンが刃を突き立てる。

肉の裂ける音と、くぐもった悲鳴と、蚊の鳴くような、萎んでいく息遣い。

ギンによって齎されたものであれ、ギン自身が発したものではない。


既に事切れたと思いきや、命までは潰えていなかったようだ。

反動で小刻みに手足を痙攣させた山下さんは、本当の意味で絶命して、二度と動かなくなった。




「なにも、殺すことない」



刃を引き抜いたギンは、血に濡れた切っ先を払いながら呟いた。



「あ?」


「この人、松吉にとって大事な人だったんじゃないのか。

別に殺さなくたって、他に───」


「チッ。甘っちょろいこと抜かすなよ新人。

時と場合によっちゃ殺すって、前にも教えただろ」


「じゃあ、せめて、殺すなら一息に、やってやらないと。

長く苦しませたって、なにも変わらない」



"罪人あれば捕えよ"。

"抵抗すれば捻じ伏せよ"。

"背く果てには殺して良し"。

先代上様が定めたしきたり(・・・・)

我らが雪竹城に於ける、掟のひとつだ。


核当した場合、たとえ相手が知人であっても仲間であっても関係ない。

どんな事情があろうと経緯があろうと、手心は一切加えられない。


山下さんにしたって、そうだ。

上様に知れれば、きっと酷い拷問の末に斬首されただろう。

盗みを働いただけならまだしも、謀反を企てた上でとなれば、死罪は免れない。

俺が直に手を下さずとも、山下さんにはいずれ、凄惨な最期が待っていたに違いないのだ。


一隊士として、刀を帯びる者として、尤もな行いだった。

非難される覚えなどない。

ない、のに。




「───はーあ。

結局は女の感性ってことだよ」



やり場のない怒りと苛立ちが込み上げる。


どうして、よりにもよって、こいつに。

お前には、見られたくなかったのに。



「お前さ、やっぱあめェよ。

殺さなくても、なんて一々考えてたら、そのうち足掬われるぞ」


「甘くなんて……」



今度は俺からギンに近付く。

山下さんの残した温もりを、足に鼻に肌に浴びながら。



「剣を抜いたやつが自分に向かってきたら、もう何も考えるな。

生かすべきか殺すべきかなんて迷うな、選ぶな。

直前まで悩むってことはな、本気でかかってくるそいつを、格下と見下げてるってことなんだよ」


「違う!」



ギンが怒声を上げる。

俺は淡々と言い返した。



「いいや違わないね。

なんならお前は、自分が死んだって構わないと思ってる。

負けない自信があって、それでいて万一刺し違えることになっても、別にいいと無意識に思ってる。

だからそんな悠長に構えてられんだよ。呑気なもんさ」


「わたしは、───そんな風に思ったことは、一度もない」



こいつは強い。とにかく強い。

そこらの剣士が束になっても、歯が立たないだろう。


故にこそ、こいつには弱者の気持ちが分からないんだ。

到底敵わないと承知でなお、決死と挑んでいく凡人の覚悟が、こいつには理解できないんだ。


強さとは、余裕があることだ。

対する相手の生死を選ぶ権利、人の一生を左右させる仕業。

凡人には持ち得ないもの、弱者には成し得ないものが、当たり前に手元にあるということだ。


お前とは違うんだよ。

殺すつもりならば、死ぬつもりでなくてはならない。

大抵のやつは、そうやって戦うんだよ。


お前と違って、みんなが選べるわけじゃないんだよ。

お前みたいに、死なせてくれと殺すやつは、普通じゃないんだよ。



「仮に、今度の相手がお前だったとして、俺はきっと同じことをしたぜ。

俺にあって、お前にない強さがあるとすれば、覚悟だ」


「かく、ご……」


「お前はまだ、どこかで怖がってる。

殺したくない、背負いたくないと逃げ腰でいる。

それは躊躇いを生み、躊躇いはいつか、お前自身の命取りになる。

今すぐ捨てろ。他人のことなんか気にするな。自分の身を最優先にしろ。

俺はいつもそうしてる」



ギンの端正な顔に、珍しく歪んだ表情が浮かぶ。

俺はギンの左胸を拳で叩き、力強く言った。



「誰も傷付けずに生きられるのはな、望まれて生まれたやつだけなんだよ」




お前は強い。ひたすら強い。

だが、お前の強さの裏にあるものは、非常に脆い。

強さの分だけ、危うさが伴う。


ひとたびひずみが生じれば、遅かれ早かれ決壊する。

ひとたび始まった決壊は、もはや誰にも止められない。


はやく俺のようになれ、ギン。

いつかお前の心が砕けちまうような気がして、たまらなく不安になる時がある。






つききゃく



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