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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;松吉編 上弦の章
51/75

;第十七話 誰も傷付けずに生きられるのは 2



同日、夜更け。

皆が寝静まった頃合いを見て、俺はひとり私室を抜け出た。

昼間の件がちらついて寝そびれたのもあるが、何やら虫の知らせがあったのだ。


寝間着のまま城内を徘徊し、夜風を求めて屋外にも足を向ける。


やや肌寒いが、日盛りと比べれば心地よい。

おかげで体温が下がり、頭も幾分冷えた。

まだ眠気はやって来ないが、これなら少しは休めるだろう。



踵を返し、行きとは別の経路で私室に戻る。

その帰途に、今は無人であるはずの離れ蔵から、何者かの気配が感じられた。


姿は見当たらない。物音も特にしない。

だが近付いてみると、戸前の錠が解放されていた。


ということは、中にいるのか。

無理にこじ開けた形跡がないのは、正規の鍵を用いた証拠。

何者か、もとい不審人物は、鍵の在り処を把握している、城の関係者である可能性が高い。




「(なんだって、こんな夜半に……)」




いやに怪しい。

離れ蔵の中には、多くの蔵書がある。


この町のこと、この城のこと。

歴代上様が重ねてきた、数々の暴虐の歴史のこと。

町人向けの医術や料理関係の本なんかも、一通り揃っていると聞く。


蔵の鍵番に交渉すれば、上様を通さずとも、それらの蔵書を閲覧可能だ。

献立の参考にするためか、料理本目当てに女中が出入りすることも少なくない。


ただし。

上様を通さない場合は鍵番が見張りにつく決まりで、単独での立ち入りは原則禁じられている。

こんな夜半に手前だけ忍び込む時点で、疚しい動機があるのは明白なのだ。


どうせ杞憂だろうと、高を括っていたんだが。

虫の知らせってやつは存外、侮れないらしい。




「(余計な手間増やしやがって。そこ動くなよクソったれ)」




音が立たないよう蔵を後にし、武器庫から太刀を一本拝借して、再び蔵へ。


目を離した隙にとんずら(・・・・)されていたら元も子もなかったが、幸いにも気配は残っていた。

お目当てを探すのに難儀しているようだ。


蔵の陰に身を潜め、刀を構え、息を整える。

どこの誰かは知らないが、こそ泥を働いたとなれば、何人なんぴとたりともがすわけにはいかない。

最悪、体裁のため持ってきた刀も、実際に抜く羽目になるかもしれない。




「(これ以上煩わせてくれるな)」




こんな面倒が起きると分かっていたなら、帰りの経路を変えることも、私室を抜けること自体もしなかったのに。

のちの展開をぼんやりと想像しながら、不審人物が現れるのを待つ。


程なくして、一人分の足音が近付き、内側から戸前が開かれた。

頭を低くして現れた不審人物は、何冊かの書物を大事そうに抱えて、きょろきょろと辺りを窺った。


どこからどう見ても、盗人の挙動。

それも、大人の男の体格だ。


しかし、ご丁寧に頬被りなぞしていやがるせいで、男の顔も髪型も識別できない。

黒装束を着ているので、隊士なのは間違いなさそうだが、こう暗くては自慢の遠目も半減だ。

正体を暴くには、やはり対峙するしかないか。




「───止まれ。

抵抗するなよ。ゆっくりこちらを向け」



刀を抜き、男の背後から待ったの声をかける。

男は驚いたように肩をびくつかせて、恐る恐るとこちらに振り返った。

振り返った男の顔に、今度は俺が驚かされた。



「なに、やってんすか」



チッ、とばつの悪そうな舌打ち。

頭に手拭いを被り、両腕に書物を抱えた男こそは、山下さんだった。



「まったくオメーは……。

間の悪いというか察しのいというか。

あンでこんなところに居やがんだ?今は丑三つ時だぜ?」



刀を抜いた俺に怯む様子はなく。

常と変わらぬ飄々とした態度で、山下さんは応じた。



「そりゃこっちの台詞だよ。

こそこそと盗っ人のような真似をして、なに企んでやがる」


「おいおい、他人行儀をしなさんな。

これはオレの私欲じゃねえ。ひいては、世のため人のために繋がる第一歩なんだよ」


「なに?」




辺りには他に誰もいない。

山下さんと俺の二人だけ。

つまり山下さんの犯行を知っているのは、まだ俺しかいないってことだ。


せめて、騒ぎになる前に。

これ以上、山下さんが妙な気を起こす前に。

どうにか彼を、俺が諭さなければならない。


何故って、山下さん(・・・・)だからだ。

上司だろうが同僚だろうが、違反者は首根っこ捕まえて上様に差し出す俺だが、山下さんが相手となれば話は別だ。

俺にとって数少ない理解者を、みすみす罪人にさせてなるものか。




「悪いが山下さん。

おっさんの言葉遊びに付き合ってやるほど、俺は優雅な男じゃねえ。

まともに話せる内に、本当のところを白状してくれ」



刀は抜いたまま、山下さんを問い質す。

山下さんは急に真剣な表情になると、被っていた手拭いを後ろに脱いだ。



「この本はな、ぜんぶ雪竹城に関するモンなんだよ」



山下さんの荒れた指が、抱える書物を下から順に指し示していく。



「えー、城の見取り図に、緊急避難時要項、隊士のしきたり帳と名簿と、収蔵武器内訳資料、近侍奉公記録……。

してこれは、───お前も一度は見たことがあるだろう?

光倉家の系譜と、奴らが今日こんにちまで犯し続けた、罪の証拠だ」




一番上に積まれた黄色の書物を爪先で弾いて、山下さんは不愉快そうに鼻を鳴らした。


"奴ら"。"罪の証拠"。

上様の一族を軽んずる物言いということは、反旗を翻すつもりなのだろうか。

なんでそんな、山下さんが。




「ああ知ってるよ。あの方が今までどう生きたか、その軌跡を。

だからなんだってんだ?それを持ち出して、一体なんに使うつもりだよ」


「なんだよ松吉。今はオレとお前の二人っきりだぜ?殊勝な建前は抜きにしようや。

お前だって、あの呪われた一族に、いい感情は持ってないだろ?」


「……チッ。はぐらかすなよ。もっとはっきり言え。

あんたは今なにを考えてるんです、山下さん」




焦った俺は、脅すように一歩、山下さんに詰め寄った。

山下さんは目を伏せると、軽くて重い溜め息を吐いた。


嫌な予感しかしねえ。

頼むから山下さん、あんまり可笑しなことを言わないでくれよ。

この先は、さすがの俺でも擁護しきれねえ。

俺はあんたを、敵に回したくないんだよ。




「菖蒲姫、っているだろ」




腹に抱えた書物を脇にずらしながら、山下さんは天を仰いだ。


菖蒲姫。

前触れなく出てきた名前に、俺は全身が粟立った。

昨日の今日で彼女の話題を振られるのは、偶然にしても生々し過ぎる。




「あれな、オレの恩人の娘なんだ」


「は……?」


「神崎さんつってな、若い頃にはそりゃあ世話になった人なんだよ。あの人がいなけりゃ、今のオレはねえ。

……その神崎さんの愛娘が、あの子なんだよ」



虚ろに語る山下さんが、さりげなく一歩引き下がる。

すかさずこちらももう一歩詰め寄ると、山下さんは小さく笑った。



「オレはここでの暮らしが長い。古参である分、信用もされてる。

今じゃ、蔵の鍵番を任される一人だ」


「だから?」


だから(・・・)、これはオレにしか出来ねえことなんだよ。

神崎さんからの、一生に一度のお願いを、オレは断れねえ」


「だ───、んで、ッ……。

なにも、あんたまで、危ねぇ橋渡るこたねえだろ。

ここが如何に守りに堅いか、おいそれと落とせる相手じゃねえくらい、あんただってよく分かってるはずだ」


「ハッハ。松吉よ。

───そのために、こいつが必要なんだろ?」




太い声で唸ると同時に、山下さんは自ら書物を投げ捨てた。

代わりに手にしたのは、いつの間にやら抜かれた脇差。

俺たち隊士にとっての護身用、いわゆる懐刀と同じものだ。


俺の太刀と山下さんの脇差、互いの刃が月を映して光る。


俺の太刀が借り物だからか、山下さんが脇差を重宝しているのか。

同じ高さに掲げても、俺より山下さんの光の方が、強く激しい。


まるで、相手に対する殺意の差を表すかのように。




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