;第十六話 掃きだめに鶴 2
空が朱く色づき始め、迎えた勝負の時。
舞台となるのは、二ノ丸東に位置した中庭。
大の男数人が駆け回れるだけの広さがあり、身を隠せそうな障害物は置かれていない。
純粋な力比べをするには、打って付けの場所だ。
「───お前のそれは?」
「矢立」
「また古めかしい造りだなぁ。竹か?」
「真鍮のが売れ筋って聞いたことあっけど」
「そういうお前は?」
「いち止め。
昔イイ仲だった女がよ、これを自分の代わりにお側につってな───」
「思い出話いらん」
「銭持ってきたやつ手挙げろ〜」
周辺の縁側には、隊士を始めとした野次馬が多数集まっている。
なにやら金品のやり取りが散見されるのは、俺かギンかで勝敗を賭けているためだろう。
「───皆さん喜び勇んでらっしゃいますね。
お二方の勝負は、それほど見物ということですか」
「勝負そのものよりかは、勝負に伴うあれそれが気散じなのだろうよ」
「あれそれ?」
「なに、今日くらいは目を瞑ってやるさ。戯れの過ぎない内はな」
野次馬の中心には、扇持ちの小姓を従えた上様が座している。
賭け事など卑俗だと釘を刺さないのは、自分も一枚噛んでいるからかもしれない。
「───こうして見ると、まるで兄弟だよなぁ」
「そうか?顔はあんまりだろ」
「兄弟ってんなら、松吉が兄で、餓鬼んちょが弟か」
「ふてぶてしい弟もらったなぁ、松吉」
「可愛げがねえって意味なら、そっくりなんじゃねえか?」
正面には、俺と写し鏡のようなギンがいる。
隊士用の黒装束を身に纏い、手合わせ用の木刀を握り締め、脇目を振らずにこちらを見据えている。
間もなく一戦交えようという俺に対して、不安も恐怖も覚えがなさそうな体で。
「(相ッ変わらず、眉ひとつも動かねえでやんの。肝据わってやがるぜ)」
直に確かめてみたいと思っていた。
たかだか齢十四の小娘が、始末屋として勇名を馳せるに至った訳を。
一体どうして、こんな子供に、人を殺せてしまうのかを。
確かめて、納得して、勝ちたい。
こいつが頭抜けた強者であると、肌で感じて認めた上で、それでも俺が勝ることを証明したい。
いや、少し違うな。
勝ちたいというより、負けたくない。
身分も面子も関係なく、負けたところでさしたる痛手がなかろうとも、負けるわけにはいかない。
こいつも所詮は人間で、子供なんだってこと。
こいつの中に、僅かばかり残った人間性ってやつを、どうにか引きずり出したい。
それを証明することで、たぶん俺は、安心したいんだ。
「───双方、準備はよろしいか?」
仕合の判定役を引き受けてくれた山下さんが、俺とギンの間に立つ。
いよいよか。
野次馬の喧騒がぴたりと止み、緊迫した空気が流れ始める。
俺とギンは呼吸を整え、木刀を胸の高さに掲げた。
「はじめッッ!!」
俺たちの顔を交互に見遣った山下さんが、仕合開始の合図を告げる。
俺は山下さんの合図を聞いて直ぐ、一歩ニ歩と引き下がり、ギンの出方を窺った。
しかし、敢えて無防備を晒す俺に、ギンはなかなか噛み付いて来なかった。
挑発には乗らないか。
俺が右に向かって蟹行すると、ギンもまた右に向かって蟹行した。
俺が左に向かって跳躍すると、ギンもまた左に向かって跳躍した。
始末屋というからには、さっさと決着をつけたいがために、初手で急所を狙ってくるかと思いきや。
一応は俺のことを、一筋縄ではいかない使い手と認識してくれているようだ。
「(じれったいな)」
このままいくと、睨み合ったまま夜になっちまう。
そちらが来ないなら、こちらから仕掛けてやるか。
ギンに向かって半歩踏み出し、木刀の持ち手を僅かにずらして、切っ先を下げる。
すると、動作につられたギンの視線が、俺の目から木刀に移った。
かかった。
とっさに生まれた虚を突き、すかさず間合いを詰める。
ギンの横っ腹目掛けて、下から上へ掬いあげるように木刀を薙ぐ。
ギンは即座に自分の木刀を構えると、難なくそれを受け流してみせた。
防がれたか。
だが、この程度は想定の範囲内だ。
受け流された木刀を素早く片手に持ち直し、その場で一回りすることで勢いをつけ、今度はギンの右肩目掛けて振り下ろす。
ギンはそれも頭を低くして避けると、左足を引いて腰を落とし、俺の首に斬りかかってきた。
速い。
俺は木刀を縦にして防いだが、ギンほど即座には反撃の態勢をとれなかった。
そこから、ギンの猛攻が始まった。
何度となく木刀を振り下ろし、振り上げ。
突いたかと思えば薙ぎ、薙ぐと見せて斬りかかる。
目まぐるしい斬撃の嵐に、俺は後手後手に回らざるを得なかった。
腕っぷしは俺が優っているとはいえ、速さと手数はこいつの方が格上だ。
合間を縫おうにも、すべて空振りに終わるか、防がれた挙げ句に却って速攻の隙を与えてしまう。
息をつく暇もない。
互いにここぞが決まらなければ、いつまで経ってもキリがねえぞ。
**
押しつ押されつの接戦が続き、仕合開始から四半刻が過ぎた頃だった。
ここまで有利に立ち回ってきたギンに、ようやく変化が表れた。
猛攻は絶えず繰り出されているものの、斬撃に厚みがなくなってきている。
鍔迫り合いになれば、押し負ける恐れがあるためだろう。
やはり、所詮は子供にして女。
大の男と互角に長くやり合えば、先にへばるのは女の方に決まっている。
こうなりゃ根競べだ。
大人げない気もするが、ギンの足腰が脆くなったところを畳み掛けてやる。
「(ほらそら。
あんよが覚束ないぜ、お嬢ちゃん)」
涼しいツラをしやがって、本当は疲れているくせに。
再び挑発のつもりで、渇いた上唇を一舐めしてみせる。
かっと目を見開いたギンは、反動をつけて思いきり木刀を振りかぶってきた。
今までにない、雑な構えだ。
防がれたら押し負けると承知で、一撃必殺に打って出たか。
はたまた、限界を悟って破れかぶれになったのか。
なんにせよ、一度目はあしらった挑発を、二度目は無視できなかった。
焦るやつほど、付け入り易い相手はない。
こんな好機を、みすみす逃す手はない。
俺は向かって右から、ギンのガラ空きな腋目掛けて木刀を薙いだ。
防御は間に合わない。間に合わせない。
間一髪の差で、ギンより俺が先に届く。
心中でそう確信した刹那、ギンの木刀の切っ先が角度を変えた。
叩かれたのは俺の脳天ではなく、俺の木刀の峰だった。
一撃必殺、じゃない。
こいつ、端からそのつもりで。
俺は木刀を手放さなかったが、叩かれた衝撃で重心を崩してしまった。
同時に、ギンの姿が忽然と消えた。
どこへ行った。
俺が周囲を見渡す前に、どこからともなく歓声が沸いた。
「は………」
手が止まり、足が止まる。
固く冷たい感触が項に触れ、重く鋭い気配が背中に刺さる。
息が止まり、瞬きを止めた。
「───一本!!」
山下さんの太い声が響く。
仕合決着の合図。
恐る恐る、首だけで振り向いてみる。
そこには、いつの間に背後をとったのか、木刀の切っ先を俺の項に突き付けたギンの姿があった。
涼しいツラはそのままに、呼吸は少し乱れている。
どうやら、勝負はこれにて決したらしい。
額から汗が噴き出し、長い溜め息が零れる。
「(ああ、負けたのか、俺は)」
雪竹城随一の剣豪、初めての敗北。
不思議と、悪くない気分だった。
心の底から、ギンの強さに感服する。
「参ったよ」
俺が振り返ると、ギンは木刀を下げた。
拍子抜けなほど、先程までの鬼神ぶりは、既に鳴りを潜めている。
良くも悪くも、見慣れた顔。
ふてぶてしく、荒々しく、聡明そうで精悍で。
良くも悪くも、見慣れた顔だ。
「おまえ強いな」
いつぞやの握手を改めてと、俺は手を差し伸べた。
ギンは俺の指先だけを軽く握って、一言こう返した。
「あんたもね」
珍しく誉めてやってんだから、素直に喜べばいいものを。
この俺に勝つってことが、どれほど大したことなのか。
明日になれば、嫌でも実感させられるぜ、くそ餓鬼め。
『月の剣』