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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;松吉編 上弦の章
47/75

;第十五話 銀子 4



「お前、どうして此処に来た」


「なに」


「儲かる始末屋をやめて、用心棒なんぞに下った理由はなんだって聞いてんだよ」



餓鬼の胸元をひらき、鎖骨に垂れた髪を横に流す。

首筋が露になると、生々しい吉川線も同時に露になった。


治りかけの消えかけではあるが、明確な殺意を以て締められた痕だ。

それも、餓鬼より一回り以上体格の大きい、恐らくは大人の男の手によって。


一体いつ、どこの誰にやられたんだか。

手首の擦過傷といい、よほどの大事おおごとに巻き込まれたと見える。



「お前───。……なんでもない」



"この痕はどうしたんだ"。

喉元まで出かけた言葉を、すんでのところで飲み込む。


こいつの過去がどうあろうと、別に構わない。

俺たちが同僚に求めるのは便宜だけ、上様が臣下に望むのは力と忠誠だけ。

そこを全うしてさえくれれば、たとえ生まれが異国であろうと異形であろうと、咎めはしない。



「不要だろうが、当座は一応、巻いとけ」



治りかけとはいえ、痕が完全に消えるまでには、もう暫くかかりそうだ。

悪目立ちしないよう包帯で隠してやると、施術途中の俺の手首を餓鬼が掴んだ。



「あんたは、人を殺したことがあるか」



相変わらずの無表情。

しかし終ぞなく、意思の感じられる声だった。



「あるよ。

つっても、本職・・のお前には、遠く及ばないだろうがな」



敢えて先程のやり取りを準えると、更に強く掴まれてから手首は離された。



「あんたの言う通り、おれはたくさん殺した。今さら何をしても、それは消えない。

でも、殺さなくても生きていける方法があるなら、そうしたい」


「……だから用心棒───。

貴人に侍った方が得策だと?」


「そうだ」



驚いた。

些か安堵もした。


人形のように虚ろな面差しをして、心など疾うに死んでいるのかと思いきや。

やれ殺したくないだの、普通に生きたいだのと。


いや、そうか。

こいつだって、刀がなければ、ただの餓鬼だ。

いくつ修羅場を越えようと、始末屋の肩書きが板に付こうとも、根本で割り切れるかは別だ。

"甘んじて受け入れる"を、作業として熟すには、こいつはまだ幼すぎる。


自分を生かすために、誰かを殺す。

割り切らなければ、人形に徹し切らなければ、苦行以外の何物でもなかったはず。

それでもお前は、人でいることをやめずに、人を殺して、生きてきたのか。



「他人の動機なんざ、知ったこっちゃねえけどよ。

人を斬るのが嫌つったって、此処でもそういう機会がないわけじゃないんだぜ?

時と場合によっちゃ斬るし、殺すこともある」


「わかってる。でも、殺すことが仕事じゃないだろ」


「……そうだな。それから───」



首の手当ても完了したところで、餓鬼の無防備な頬を抓ってやった。 


というのも、体のあちこちに塗りたくっているこの薬(・・・)は、よく効く分とても染みるのだ。

なのにこいつときたら、痛がる素振りがないどころか、眉ひとつ動かさずに患部を観察していやがった。

頬を抓ってみたのも単なる仕返しではなく、痛覚が働いているかを確認する目的があったのだ。



「まさか痛みを感じねえ、ってことはないよな」



俺がどんなに引っ張っても爪を立てても、餓鬼は抵抗しなかった。

ムキになってもう一方の手でも抓ってやると、餓鬼は漸くふごふごと異を唱えた。



「痛いのは、感じるけど、慣れてるから。

でも、あんたのやってることは、意味がわからない」



なんだよ、痛いんじゃねえかよ。

餓鬼は餓鬼らしく、痛い時はのたうって(・・・・・)泣きゃいいものを。



「ああそうかい。ふてぶてしい餓鬼だぜ、まったく。

ちなみに俺はあんた(・・・)じゃなくて松吉さん(・・)な。目上には敬語くらい使え」



頬を離すついでに、餓鬼の眉間を人差し指で小突いてやる。

餓鬼はぱちぱちと大きく瞬きをしてから、抓られた頬をそっと一撫でした。



「ショウキチ、は今何歳だ?」


十七じゅうしち。三つ離れてるってことは、お前は十四なんだろ?

目上の相手は敬うのが礼儀だ。特に此処ではな」



餓鬼は"分かった"と返事をすると、乱れた衿と姿勢を正した。



「(こんな調子で、本当にやっていけんのかね)」



馬鹿の割に物分かりはいいようだが、いかんせん態度がな。

誰に対しても物怖じしないというのは、相手によっちゃ邪推されてもおかしくない。


面倒くさい。一から十まで面倒くさい。

こいつが何か問題を起こせば、教育係の俺が責任を問われる。

お前がどこで虐められようが知るか、と放っておくことも出来ないじゃないか。




「───そういやお前、どうしてさっきまで喋らなかったんだ」


「さっき?」


「上様といた時だよ。

あれこれ話し掛けられてたのに、お前てんで無視だからよ。見てるこっちがヒヤヒヤしたぜ」



ああ、と餓鬼は思い出したように目線を下げた。



「あの人、笑った顔が変だった」


「は?」


「優しそうな顔、だったけど、なんか、目が変だった。

だから、気持ち悪くて、口利きたくなかったんだ」


「……俺は。俺は平気なのかよ?」


「ショウキチ、は何も考えてなさそうだから、おれも考えないだけだよ」


「失礼なやつだな。人を能無しみたいに言うんじゃねえ。

あと俺のことは、松吉さん(・・)と呼べっつの」




まだ出会って間もないのに、こいつには驚かされてばかりだ。

大抵のやつは、あの優しい笑顔と穏やかな声で、気を許しちまうんだがな。


上様の内なる残忍さ。

みな時間をかけて、それを知った。

虫も殺せないようでいて、実は不遜で野蛮な男だと。

やんごとない血筋が、数多ある欠点を覆い隠しているに過ぎないのだと。

俺とて最初は、無害なお坊ちゃんだと侮ったくらいだ。



"優しそうな顔、だったけど、なんか、目が変だった"。



悪人を見透す一隻眼。

神通力にも等しい洞察力。

始末屋として生きる上で、図らずも養われた才能か。

こいつのこういう非凡さは正直、嫉妬すら覚える。




「お前、名前は?」


「え」


「名前だよ。聞いてなかったと思ってな。

いつまでも餓鬼呼ばわりされんのはだろ」



段々と、こいつに興味が湧いてきた。


腐っても俺が教育するからには、どこへ出しても恥ずかしくない程度には育ててやるさ。

かつて俺が、山下さんにそうしてもらったように。


代わり映えのない城暮らしにも、飽きが回っていた頃だ。

この小さい獣を、俺好みに飼い馴らしてやるのも、存外面白いかもしれない。



「ぎんこ」


「ギンコ……?が、名前か?」


「銀色の子ども、って書いて、ギンコ。

姓は……、ない。親はいないから」



親がいないというのは、死に別れたか、縁を絶たれたか。

いずれにせよ、こいつに帰る家は無しと。俺と一緒だな。



「銀子、か」



銀子。

想像よりずっと美しい名前ではあるが、遠からず上様に改めさせられるだろう。

あの色狂いが、むさい野郎集団の中に、みすみす若い女を放り込むとは考えにくい。


断言する。

今後こいつは、誤解や成り行きからではなく、本人が男として振る舞うことを余儀なくされる。

上様の目の届かないところで、女だからと悪戯されないためにも、女のくせにと疎外されないためにも。


始末屋を始めた時には既に、だったのかもしれないが。

上様に奉公すると決めたのなら、尚更だ。


銀子。まぬかれぬ子よ。

お前は二度と、並みの女として生きることは叶わないよ。



「じゃあ、ギン」


「ギンコ、じゃなくて?」


「ああ、ギンだ。この方が呼びやすい。

まあ、じきに?これとはまた別の名前を用意されるんだろうが……。

それまでの間、な」


「ふうん」


「向こう暫くは俺が、先輩としてお前の面倒をみてやる。

だからお前も、あんまり俺を困らせる真似はしてくれるなよ」



ギンに握手を求める。

不本意とはいえ、けじめはけじめだ。


するとギンは首を傾げ、俺の差し出した手を不思議そうに見詰めた。

今までそんなことを迫られる場面も、教えてくれる人もいなかったのだろうから、困惑するのも無理はない。



「ほら、こうすんだよ」



ギンの手を取り、強引に自分と握手させる。

これは一体なんだと尋ねてくるギンに、俺は握手の意味を教えてやった。







黄昏月たそがれづき




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