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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;松吉編 上弦の章
46/75

;第十五話 銀子 3



「───手拭い、と隊士用の寝巻きな。

風呂桶やら何やらは、置いてあるもん適当に使え」


「………。」


「済んだら、さっき教えた部屋まで来ること。寄り道すんなよ」


「………。」


「あ、あと毎度こうなわけじゃねえからな。

いつもはもっと犇めき合ってるつか、陣取り合戦が基本だ。

一人風呂なんて贅沢は、今度きりの特別扱いだってこと忘れんな」


「………。」


「っとに何でこいつばっかり……」



餓鬼を湯殿まで案内した俺は、厄介払いとばかりに、自分の私室へ戻った。

上様よりお言い付けになったのは、"餓鬼を案内すること"であって、"餓鬼の様子を見守ること"は含まれていないからだ。


着替えやらの道具は渡した。

私室のある場所も道すがら教えた。

目下の務めは果たしたのだから、必要以上の世話を焼いてやる必要はない。

少なくとも、風呂に関しては。


あとは餓鬼が部屋に来るまで、適当に寝っ転がって待ってりゃいい。

どこぞで滞りがあったとして、控えの女中も付いているんだし、平気だろう。


困り事はないか尋ねてやったり、分かりやすく手本を見せてやったり。

骨身を惜しまない親切は、ここじゃ山下さんくらいしか当たりがないんだ。




「あー、めんどくせ」



隊士の多くは持ち家がある。

彼らは宿直とのいが回る日を除き、職務を終えしだい、我が家へと帰っていく。


持ち家のない隊士は、宿直の有無に拘わらず、城で寝泊まりをする。

格下は広間に寄り集まって雑魚寝、格上は割り当てられた私室で過ごす。


上様の親衛隊を率いる俺や、下っ端ながら役職に就く山下さんは後者。

その分野に多く寄与し、上様の眷顧に足ると認められた格上組だ。


おかげで、俺の私室は隊士中随一。

広さも日当たりも、上様の側近たちに次ぐ場所を得た。

あの餓鬼もそこそこ腕が立つというなら、ゆくゆくは同様に私室を与えられるだろう。


時に気に食わないこともあるが、こういう実力主義な面は、俺の望むところだ。




**


餓鬼を湯殿に置き去りにして、およそ四半刻。

部屋の前で三度、拳で床を叩く音が聞こえてきた。

事前に取り決めておいた、餓鬼の到着を知らせる合図だ。



「入れよ」



俺はむくりと上体を起こし、固まった首と背中を解した。

障子の引かれた先には餓鬼がおり、暗い廊下に一人佇んでいた。


枝毛まみれだった髪は艶気を帯び、煤けていた肌は生まれたままの白さを取り戻している。

どうやら滞りなく、風呂を済ませたようだ。


袖を通した蓬色の半襦袢は、渡しておいた隊士用の寝巻き。

餓鬼の体格に合わせて、最も小さい着丈を選んでやったが、まだ大きかったらしい。

輪郭だけをなぞる(・・・)と、半襦袢というより外套だ。


仕方ない。

予備で間に合わないなら、こいつに丁度いいのを、一から拵えてやるしかない。

明日にでも、手隙の女中に頼んでみるか。



「なにンなとこ突っ立ってんだよ。さっさとこっち来い。

教えなきゃなんねえことは、山とあるんだからよ」



虫籠窓を開け、月明かりを部屋に誘い入れる。

夜でもこれだけ明るけりゃ、行灯に火を点すまでもないだろう。



「………?」



餓鬼からの反応がない。

そもそも口を利けないとして、行動で示すくらいは出来るはずだ。

現状に至るまでの指示には、こうして従えているのだから。


今度の指示だけ、わざと無視をめてやがるんなら、いい度胸だな。

舌を打ちつつ振り返ると、餓鬼は俺のすぐ背後にいた。



「バッ───!」



いつの間に。

こいつ足音どころか、気配すらしなかったぞ。

この俺がこうもあっさり背後を取られるなんざ、生息子だった頃以来だ。



「───ッカてめえ!いきなり背後、に……、立ってんじゃ………」



改めて餓鬼の姿を目の当たりにした瞬間、別の驚きで息が詰まった。



「おまえ……」



先程は暗がりにいたため、風呂に入る前は煤けていたために気付かなかった。

本来の素肌を月明かりに曝したことで、ようやく分かった。


こいつ、全身傷だらけだ。

そこらじゅうに痣やら痂やらが残っていて、酷く痛々しい。

左の頬に走った赤い線は、恐らく刀傷だろう。

どういう経緯かは知らないが、状態からして最近負ったものに違いない。


そして何より、顔だ。

この餓鬼、恐ろしく端整な顔立ちをしている。

大きな目、通った鼻筋、桜色の薄い唇。

よく見りゃ手足もすらりと長く、容姿端麗というのは正にこいつを表すと、脳裏に過ぎった。



「おまえ」



とっさに餓鬼の腕を掴んだ。


骨と皮しかない、痩せこけた腕。

単に栄養が足りていないから、だけではなさそうだ。



「女、か?」



餓鬼はぼそっと一言、"たぶん"と呟いた。


なんだよ、喋れるんじゃねえかよ。

喋りたくても喋れない体質、あるいは、物理的に喉笛を潰された線は消えたな。


ただ、その声は思いのほか低く、掠れていた。

どちらかというと変声期を間近にした少年に近く、うら若い生娘には似つかわしくない響きだった。



「なるほどな」



読めてきたぞ。

上様がやけにこいつ(・・・)に甘かった訳も、俺が教育係に指名された訳も。


この美貌で男に負けない強さとくれば、囲っておきたい気持ちは分かる。

故にこそ、"城一番のつわもの"にして、"孤舟の鼻摘まみ者"である俺と組ませたんだ。


俺がこいつに手を出せば、こいつを見初めた上様が黙っていない。

俺にこいつを守らせれば、他の奴らもこいつに手を出せない。

まったく、よく出来ている。


臣下として頼られているのか、男として舐められているのか。

ますます以て釈然としないが、まあ、いいさ。

腐っても用心棒というからには、相応の働きをしてもらう。

女だから子供だからと手心を加えてやるつもりは、毛頭ない。


残念だったな、餓鬼。

生憎と俺は、女子供に諂ってやるほど、お気楽様じゃないんでね。




**


ここよりは、具体的な言い付けを受けていない。

餓鬼に何を教えるか、どう育てるかは、俺の裁量にかかっている。


身の回りの作法だけでも、今日中に仕込んでおくか。

今日は挨拶程度に終わらせて、明日に仕切り直すか。


手間を考えると後者を選びたいところだが、餓鬼をこのまま客間にぶち込むのは、さすがに寝覚めが悪い。

生傷も目に余るし、とりあえずは手当てを優先してやることにした。



「傷んだりしてねえよな……」



箪笥の上段から薬籠を引っ張り出し、膏薬と包帯を用意する。

どちらも値の張る高級品だが、俺は滅多なことでは怪我をしない。

餓鬼の傷が後に響くよりかは、使えるうちに使っちまった方がいだろう。



「先にお前の手当てしてやるから、そこ座れ」



畳に胡座をかき、正面に餓鬼を座らせる。



「袖捲って、腕見せろ」



餓鬼は黙って、右腕の袖を捲ってみせた。


青と赤とが混じって紫に変色した挫傷。

格子縞を描くようにして幾重にも連なった創傷。

荒縄できつく縛られたと思われる擦過傷。


数こそ多いが、いずれの傷も深くはない。

これなら、手元の薬だけで十分だな。



「動くなよ」



患部に薬を塗り、包帯を巻いていく。

すると餓鬼が、初めて自ら言葉を発した。



「あんた、お医者なのか」



俺に医術の心得があるものと勘違いしたらしい。

本物に会ったことがないようだ。



「ちげーよ。

俺は何事もソツがないからな、この程度は朝飯前なんだよ」


「いつもは朝飯を食う前にやるのか?」


「そうじゃねーよ、今のは……。

あー、めんどくせ。なんでもねえ忘れろ」



ぼそぼそと聞き取りにくい喋り方をするうえ、軽い冗談も通用しねえ。

こんな型破りに、俗世のなんたるかを説けってか?俺は母ちゃんじゃねえっての。



「立場上、いざって時のために、持ちうる知識や技術をばって、そんだけだ」



右腕の手当てが完了し、次は左腕を出すよう餓鬼に促す。

餓鬼は右腕を仕舞う代わりに、左腕の袖を捲ってみせた。



「他にも、なにかあるのか」


「まあな。料理、洗濯、繕い物───。大体はなんでも。

つっても、必要最低限だから、本職には劣るがな。

お前は他に何が出来る?」


「え……」


「刀ぶん回す以外に、なんか出来ることはねーかって聞いてんだよ。

唄でも唄えりゃ、勿怪の幸いだぞ」



両腕とも手当てが完了した。今度は首だ。

腕に使ったものより一回り大きい包帯を、新たに薬籠から取り出す。




「うた、はうたえないけど───」



ふと思い付いたように、餓鬼は部屋を出ていった。

程なくして戻ると、なにやら赤い布を抱えていた。

部屋の前に置いていた服らしい。


この赤いのは確か、こいつの私物だ。

まだ風呂に入る前、城を訪れた当初に着ていた半纏。

汚いから捨てておけと念を押したのに、なにを後生大事に持ち歩いてるんだか。



「これ」


「あ?なんだよ。元は見栄えする色だったんだろうが……」


「違う。ここ」



もっとよく確かめろと、餓鬼が俺の顔に半纏を近付ける。やっぱりくせぇ。

しかし目を凝らすと、衿の部分に縫い針をした形跡があった。

本職がやったにしては雑すぎるので、餓鬼自身で修繕したのだろう。



「あー……。これ、お前がやったのか」


「そう」


「つってもなぁ。下手くそ過ぎて、特技のうちにゃあ入らねえよ」


「………。」


「残念だったな」



餓鬼は本当に残念そうに、半纏を抱えたまま元の位置に座り直した。



「髪結いも、少しなら出来る」


「髪結いね。纏めて結うだけなら、俺だって出来るぜ?」


「たまに、芸者の人とかに頼まれた。やったら食い物くれた」


「……ほー。なら大したもんだな。

人殺す以外にも、少しは能があったわけだ」



"人を殺す"。

明け透けな俺の物言いに、餓鬼の表情が俄に曇る。



「やり方、知らなかったけど。

女の人は優しいから、教えてくれたんだ」



やや刺のある声でそう言うと、餓鬼はばつが悪そうに俯いた。



「(女の人は(・・・・)、ね)」



髪結いだけじゃ食っていけず、結局は人を斬る他なかったんだろう。

それも、巷で評判になるほどだ。芸者に負けじと、儲けは良かったはず。

だとすれば、何故なにゆえにこいつは、上様の犬と成り下がることを選んだのか。


身の安全?衣食住の安定?

確かに、お膝元で飢えることは、まずない。

雨ざらしで野宿することもなし、獣に食われるなど以ての外だ。


引き換えにお前は、自由という掛け替えのない代償を払わなければならない。

お前の命一つが、上様の駒一つに数えられるんだぞ。


呪いにも似た制限と制約。

己が欲望、幸福のため生きることは、二度と叶わない。

たまには人助けも悪くないと、上様が粋狂を起こすかもしれない、その時まで。



"───なんでもします。

自分が死ぬ以外なら、なんでも"。



俺は選んだ。

追い縋る死を背に、藁にも縋ろうと、雪竹城の門を叩いた。


後悔はしていない。

当時の俺には、他の道など思い付きもしなかったのだから。


お前はどうなんだ。

どうしてお前は、俺と同じ道を選んだ。

形を変えても、お前は救われやしない。

ここにお前の、俺たちの、不幸を雪ぐ術はないんだぜ。



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