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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;松吉編 上弦の章
45/75

;第十五話 銀子 2



じき夕闇の下りる火点し頃。

上様が呼んでいるから早く行けと、否応なしに駆り出された。


どういうわけか用向きは伏せられたが、駆り出したのは先程の側近。

そして彼の隣には、先程まであった始末屋の姿がなかった。


となれば、おおよその見当はつく。

厄介事はご勘弁と内心で祈りながら、俺は急ぎ、謁見の間へと向かった。




「───教育係、ですか」


「せっかくだ、若衆揃いが良かろうと思ってな」



よもやこの俺に、あの始末屋のお守りをさせる気ではあるまいな。

懸念された厄介事・・・は、ものの見事に現実となった。


嫌な予感ってやつは、残念ながら当たる方が多い。

柄にもなく祈るなんて真似をして、ど真ん中で的中しやがるとは。

ツキがないにも程がある。



「こやつの名は松吉という。

私の親衛隊を率いる男でな、ここいらでは最も腕の立つ剣士だ。

年の頃は確か、そなたより二つ三つ先だったか」



"そなた"、と隣で縮こまっている始末屋に、上様が話し掛ける。

始末屋もとい餓鬼は受け答えをせず、頷くだけで応じた。


そんな二人のやり取りを見て、俺は一抹の違和感を覚えた。

野郎相手に優しい上様が稀であるのは無論のこと、餓鬼の様子が妙だからだ。



「(怯えてはいない、臍を曲げた風でもない……)」



油断しているのか、はたまた警戒しているのか。

手を伸ばせば触れられる距離にいる上様を、ちらとも窺おうとしない。

膝を抱えて身動きを制し、髪を垂らして表情を隠し、どこに視線を送っているかも悟らせまいとする。



「(俺を、見てる……?)」



俺が広間に入った時から、餓鬼は同じ姿勢でいる。

この状態でずっと、恐らくは一点に、前を見据えている。


今、こいつの正面にあるのは俺だ。

こいつの視線の先にあるのも、俺なのか?

一城の主である上様を差し置いて、なぜ俺を注視する?




「……まあ、なんだ。

とまれかくまれ、わらわといえども立派な戦力だ。

申し出を呑んでくれたこと、感謝しているよ」



さすがに痺れを切らしたのだろう。

上様はひとつ咳ばらいをして、恐る恐ると餓鬼の頭を撫でた。

餓鬼は変わらず無言に徹し、その手を払いのけようともしなかった。


まるで睦まじい親子のそれだと、通りすがりの旅人なら云うかもしれない。

だが上様をよく知る俺達にとっては、また俄かに信じがたい光景だった。


あの短気を極めた上様が、餓鬼の無礼を咎めもせず、童として扱ってやるなんて。

珍事どころか一大事だ。明日は雪でも降るんじゃないか。




「して、松吉よ」


「はい」


「早速だが、この者を風呂に入れてやってくれるか」


「お、───自分が、ですか?」



突拍子のない注文が次々と。

動揺のあまり、丁寧語を崩しかける。



「教育係としての初仕事だ。

なに、湯殿まで案内あないをするだけでいい。垢を落とすくらいは、手前一人でできるだろう」


「……承知しました。

風呂が済んだ後は、どのように?」


「任せる」


「は」


「今後どうしていくかは、お前に一任する。

この者をどう育てるか、どう向き合うか。お前自身で考えて決めるが良い」



つまりは丸投げってことかよ。

上手くいけば全体の益、下手を打てば俺個人の責。

ただでさえ煩わしい役目だってのに、餓鬼と進退まで一緒にされて堪るか。



「ですが上様、自分は後輩を持ったことがありません。

仕込むにしても、ある程度の筋道を────」


「そこを含めて一任すると言ったのだ。

お前は私に、あれこれをそうしろと、一から十まで教えを請わねば得心がいかぬか?

独活の大木、柱にならぬと?」


「……いえ」


「お前の目利きならば、こやつの得手不得手を見定めるも易しかろう。

武芸にして学門にして、極みに近いお前だからこそ適任と、私は思い至ったまで」



上様が俺に微笑みかける。



「どうだ?松吉。

殿の頼み、引き受けてくれるか?」



口元は弧を描いていても、瞳の奥が暗く冷たい。

この男の笑顔はいつもこうで、不気味だ。



「承知、しました」



それでも、一応の会話が成り立つのは、俺が厚遇されている証だ。

ひら隊士相手には、もっと辛辣で、もっと非情で、もっと取り付く島がない。


上様の眷顧に与れるのは、若く美しい女か、格別の才ある傑士だけ。

どちらでもない者は、不用意に上様にお声がけしてはならないし、不用意に上様の視界に入ってもならない。

雪竹城に身を置く以上は、誰もが避けて通れぬ不条理だ。



「他ならぬ上様の命とあらば、この松吉、慎んで拝命いたします」



引き受けてくれるか、などと。

回りくどい言い方をせずとも、断れないと分かっているくせに。



「うんうん。

さすがは、誉れ高き親衛隊長さまだ。まこと、心強い」


「身に余るお言葉です」


「銘銘の更なる躍進を期待する。

手抜かりは心配せぬが、なにかあれば逐次、上申に参るのだぞ」


「心得ております」



俺が立ち上がると、餓鬼も顔を上げた。

やっぱりこいつ、上様じゃなく、俺の動向を探っていやがった。



「おい、お前」


「………。」



俺に対しても返事はなしか。

聞こえてはいるんなら、まあ良しとしてやるか。



「湯殿まで連れてってやるから、来い。

まさか風呂に入ったことがない、なんて言わないよな?」



いそいそと立ち上がった餓鬼が、こちらに駆け寄ってくる。

思いのほか従順な姿に、まるで野良犬でも拾ってきたみたいだと絆されかける。


が、いかんせん臭いぞ、こいつ。

単にナリが汚いから、だけじゃねえな。


血と肉と脂の臭い。

人の死の臭いが、こいつの草臥れた着衣から滲み出ていやがる。


ああ、えらいことになった。

野良犬なんて、とんでもねえ。蛇か鷹か、いや獅子か。

この小さい猛獣に首輪を繋げるのは、いくら俺でも骨が折れそうだ。



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