;第十五話 銀子
三年前─────。
七月中旬。修練場内。
今日も今日とて蒸し暑く、湿った熱気がべたべたと肌に纏わる。
その煩わしさから、つい舌を打つが、俺が苛立っている訳は気温のせいだけではない。
ここは修練場。
文字通り修練に励み、己の心身を高めるための場所だ。
にも拘わらず。
ここしばらくの隊士共ときたら、刀を振るうどころか、女子供のようにくっちゃべってばかりいる。
今日なんかは特にそうだ。
みな浮き足立って、稽古にまるで身が入っていない。
お喋りがしたいんなら、他所でやりゃあいいものを。
内心また舌を打つが、迂闊に注意もしてやれない。
何故なら、俺が最年少。
腕っ節や肩書きはこちらがずっと優位でも、隊士の間では年の功こそ優先される。
上役の機嫌を損ねると後が面倒で、下手に口出し出来ないのがもどかしい。
「お前はどう思うよ?」
「うーん……。
しかし向こうさんは、あんまり乗り気じゃないって話だろ?」
「金を積まれちゃ分からんさ。
どうする?どちらに転ぶか、全員で賭けるか?」
「いちばん懐の寂しいやつが、よく言う」
なんでも、巷で噂になっている腕利きの始末屋とやらに、上様がご執心らしい。
承諾を得られれば、今日にもそいつは城に連れて来られるという。
噂は無論、俺たちの耳にも届いていた。
故にこそ、隊士共のお喋りは、いつにも増して盛り上がっているのだ。
果たしてそいつは申し入れを受けるのか、さすれば如何程の兵か。
迎えることになるのは貴重な戦力か、あるいは縄張りを脅かす脅威か。
期待と不安の入り混じる気配。
この様子じゃ、結果が出るまで、騒ぎは鎮まらなそうだ。
「ちょっと顔洗ってきます」
「あん?ああ……。道草食うなよ」
やる気を削がれてしまった俺は、稽古用の木刀を置き、修練場を出た。
汗を流せば、うだうだと煮立った頭も、幾分は冷えてくれるだろう。
「───松吉!」
廊下を歩いていった先で、ふと声をかけられた。
顔を上げると、声の主が格子窓の付近で佇んでいた。
「こっちこっち。来てみろよ」
手を招いて俺を呼ぶ彼は、先輩隊士の"山下さん"。
歳は俺より九つ上で、本当に見えているのか疑わしくなるほど円らな瞳が印象的なオッサン。
もとい、壮年の男だ。
同僚の大半は胡乱な奴ばかりだが、山下さんだけは別。
俺にとっては、入隊間もない頃から世話してくれた恩人であり、一番の理解者でもある。
とはいえ、わざとらしく畏まったりはしねえけど。
「なんすか?藪から棒に」
「いいからいいから、ほれ。門のとこ」
山下さんが窓越しに軒先の方を指差す。
確認してみると、そこには彼の言うように、物々しい雰囲気で正門を潜っていく行列があった。
「な?ぞろぞろと列なして入ってきたろ?
あれ、今朝出発した部隊だ」
「ああ……。招致だか招待だかっての」
「迎えに出向いてる時点で、招致よりか連行だけどな」
「にしても、あんな大所帯で行く必要あったんすかね。個人相手なんでしょ?」
「万が一に備えて、なんだろ。
下手に突いて怪しまれたら最後───。
その場で壊滅させられる恐れもあった、とかなんとかって話だ」
「へえ。件の始末屋って、そんな強いんすか」
「らしいぞ?
あの上様が男に興味津々なんて、終ぞなかったことだ。よっぽどだよ」
くつくつと喉を鳴らして、山下さんは笑った。
俺は側の柱に背を凭れて、行列の全容を眺めた。
すると、他より頭一つぶん背の低い奴が、後列に続いているのが目に入った。
誰だ?あいつ。
あんな小柄なのは見覚えがない。うちの人間じゃあないな。
体格的にも年齢的にも隊士としては不向きだし、始末屋以外にも雇われた奴がいるってことだろうか。
「なんかケツの方に小っこいのがいるなぁ。
ありゃ誰だ?隊士の隠し子か?」
「まさか。
見るからに貧乏臭そうですし、そのへんの宿無しを、雑用係にでも雇ったんじゃないすか?」
「なるほど、そりゃ有り得るな。
───よし松吉。もっと近くで見物するぞ!」
「野次馬は品がないっすよ」
「オマエが言うな!」
いつになく語気の弾んだ山下さんにつられて、俺も彼に倣う。
普段の俺だったら野次馬なんて退屈な真似はしないが、今度ばかりは気が向いた。
件の始末屋とやらが本当にウチで働くんなら、今から面を拝んでやるのも悪くない。
「おー、山下。こないだの件だけど────」
「悪ィ、後でな」
「またかよ!」
すれ違う誰も彼もを軽くあしらい、山下さんと大股で廊下を進んでいく。
「おっと、お出ましだ」
玄関に面した通路の前で足を止めると、先程の行列がちょうど中に入ってくるところだった。
俺と山下さんは、行列の邪魔にならないよう、曲がり角から様子を窺った。
「それっぽいの、いるか?」
「まだ」
「くぅ〜、期待させてくれるねぇ〜」
前列に纏まっているのは、部隊の護衛を務めた隊士たち。
余所者っぽいやつの姿はまだないので、本命は後列にいると思われる。
「───いやはや、これで私の面目も保たれました」
前列を見送ると、どこからか訝しい文言が聞こえてきた。
やれ疲れただの、腹が減っただのと、隊士たちで交わされる雑話とは明らかに違う。
もっと丁寧で締まりのある論調。
恐らくは隊士でない某が、同じく隊士でない某へ、畏敬の念を以て接している。
「貴殿の剣さばきを御覧ずれば、名だたる武士も斯くやなりと、上様も目を剥かれるに違いなく────」
間違いない。
接している某は本命だ。
交渉はうまくいったのか。
「おーい、戻ったって?」
「なんだ、松吉もいるじゃねえか」
「考えるこた一緒だな」
背後から数人、向かいの曲がり角にも数人。
続々と集まり始めた野次馬で、通路周辺はあっという間に埋め尽くされた。
上様の想い人を一目拝んでおきたいのは、俺達だけじゃなかったらしい。
「そろそろじゃないか」
山下さんが呟く。
俺も少し身を乗り出して、今か今かとその時を待った。
「手前味噌でお恥ずかしい限りですが、長年お仕えした甲斐ありましてね?
上様にも多少なり、顔の利く立場になったのですよ」
訝しい文言の主が近付く。
彼は上様の側近の一人で、最も如才ないと評される一方、策士としての悪名も高い人物だ。
「ですので、口添えが欲しい折には是非とも、この私めに────」
そんな彼が、身振り手振り付きで諂っている某は。
「……嘘だろ」
そいつは、あの窓から見下ろした、あの小柄な少年だった。
痩せ細った四肢に無造作な髪形、何日も湯を浴びていなそうな薄汚れた風体。
とても力仕事には向かない見て呉れから、てっきり雑用係として連れられた別人と読み損なったが。
よく見ると、少年は刀を背負っていた。
本人の身の丈近くある、類い稀なる白い刀だ。
なるほど。
俄に信じがたいが、こいつが件の始末屋、らしい。
だとすると、噂の方が嘘なのか?
あんな細腕で、何十人と斬り伏せたとは思えない。
きっと、いつの間にか尾鰭羽鰭がついて、事実から遠い話になってしまったんだろう。
筋骨隆々な大男を想像していた分、期待外れというかなんというか。
人の噂は当てにならないな、と肩を落とす。
「なぁ、松吉。
オレの早合点じゃなけりゃあ、もしや、あの餓鬼んちょが……」
「でしょうね。
あれでも一応、刀を持って────」
気が抜けたのは束の間。
少年が俺たちの前を通り過ぎた瞬間、悪寒が走った。
たった一瞬のことだったが、俺の目は確かにそれを捕らえた。
長い髪の隙間からこちらを睨む、獣のような鋭い眼光を。
山下さんや、他の奴らは気付いていない。気付けやしない。
よく鼻が利き、より頭が切れる、極一部の手練れにしか感知できない。
荒々しくも洗練された殺気。
こいつの踏んできた場数は、俺たちの遥か上をいく。
「山下さん」
「んあ?どした?」
「俺ら、気ィ引き締めた方がいいみたいっすよ」
前言撤回。
招き入れたのは、ただの薄汚れた餓鬼なんかじゃねえ。