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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;松吉編 上弦の章
43/75

;教育係



あいつがウチへやって来て、三年になる。

思い返せば、今日まで酷く短く、早く過ぎたように思う。


あれは今も記憶に新しい、七月の暑い日のことだ。

用心棒として城に召し抱えられたあいつに、最も歳が近いからという理由で、俺が宛がわれた。

いわゆる、教育係ってやつだ。


反発は、するだけした。

人にモノを教えるのは畑違いだし、ただでさえ煩わしい毎日に厄介事を増やしたくなかった。

せっかく教育係なんて役職を設けるなら、俺より適任のやつがいたはずだった。


だが上様は、俺こそが適任なのだと譲らなかった。

他のどの隊士に掛け合ってみても、引き受けてくれる代わりは居なかった。

そうして結局は、俺が面倒を見させられる羽目になった。



最年少だった自分に、後輩ができる。

気持ち満更じゃなかったが、当時のあいつといったら、さすがの俺も手に余した。


どこがそんなに気に食わないのか、全身から針を出すかのごとく、周囲を警戒してばかり。

協調性の無さは、俺以上だったかもしれない。


ただ、やれと命じられたことは、きっちり熟した。

人間としては欠陥だらけでも、用心棒としては至って真面目で、丁寧な仕事ぶりだった。

そこは俺も認めざるを得なかったし、他の奴らも一目置いていた。



そのせいか否か、あいつは孤立した。

噂になるほど目立つ存在だったにも拘わらず、あいつは誰ともつるもうとせず、誰もあいつに近寄ろうとしなかった。


無口で無表情。おまけに無愛想。

一体いつ飯を食って寝て、なにを好み重んじるのか。

あいつに関心を寄せる奴は大勢いて、あいつの本心を解する奴は一人もいなかった。


"人形"。もしくは"抜け殻"。

魂のない屍のようだったあいつを、みな面白がって揶揄し、気味悪がって敬遠した。



俺は不服だった。

つつこうが、からかおうが、反応の乏し過ぎるあいつが、見ていて腹立たしかった。


いつか。

いつか必ず、その仏頂面を引っぺがして、俺の前で大笑いしたり、大泣きしたりさせてやる。

気付けば、あいつで遊ぶのが、俺の日課になっていた。



ところがだ。

ここ半年で、あいつは別人のように変わってしまった。


命令以外では動こうとしなかったはずが、誰に言われるまでもなく、城中を駆け回るようになった。

自らの我を通すことも厭わなくなり、上様に対してさえ感情的に接するようになった。



脱け殻だったあいつに、いのちを吹き込んだ者がいる。

それが、あの娘。千茅雨希嬢だ。


彼女と出会ってからというもの、あいつはすっかり人間らしくなった。

仏頂面は時に笑みを浮かべ、頑な極まりなかった言動は親しみやすい当たりとなった。


そういや近頃は、話し掛ければ構ってもらえるんだと、女中らも喜んでいたっけか。



協調性が増したのは、確かにい傾向かもしれない。


反面、人間らしさを獲得していくほどに、あいつは本分に力を回さなくなっていった。

いや、回らなくなった。


以前までは、一晩で十人近く斬ったとしても、翌朝には澄まし顔に戻っていた。

近頃は、やむを得ず一人斬っただけでも、向こう二日は飯が喉を通らなくなった。



あいつと彼女の間で、何があったというのか。

彼女はどうして、あいつの心を開いてみせたのか。

俺が三年がかりで苦心して、未だ成せずにいることを、たったの半年で、どうして。


たまらなく、苛々した。

俺がどんなに望んでも、そうそう向けられないあいつの笑顔が、彼女の前では惜し気もなく晒されている。


あんなに世話を焼いてやったのに。

なんであいつは俺じゃなく、彼女を。

飼い犬を他所に奪われるとは、このことだった。


それでも、最初は構わなかった。

あいつが男を嫌いなのは元々だし、疎まれているのは俺に限った話じゃない。

女同士なら、親しくなったところで、高が知れていると。



予想外だったんだ。

誰より長くあいつと過ごした俺だからこそ、あいつの僅かな機微をも見落とさなかった。


あいつが、単に仕える相手として、彼女を思っていないこと。

あの二人の間に生まれた絆は、主従を越えているということに。



あいつは言った。

彼女の最期を、己で看取ってやりたいと。

彼女の目に最後に映るものが、己であってほしいのだと。


いいのかよ、本当に。それで。

彼女に残された時間は、決して延長されない。

彼女の目に最後に映るものがお前なら、お前も彼女の最期を目の当たりにするんだぞ。

看取るっていうのは、一番にを受けるってことなんだぞ。



今のあいつに、知己の喪失は耐えられないだろう。

下手をしたら、抜け殻だった当時に逆行か、後を追って自決なんて可能性もある。


そんなのごめんだ。

ようやく探し当てた俺の生き甲斐を、みすみす手放してなるものか。

俺はまだ、あいつを、心の底から笑わせていないのだから。



お嬢さん。雨希さんよ。

あんたの境遇には、つくづく同情するよ。

あいつの身内にへばり付いていた、冷たい氷の塊を解かしてやってくれたこと、感謝しているよ。


だけど、あいつは渡さない。渡すわけにはいかない。

あいつを好きなら、あいつのためを思ってくれるなら、どうか。

あいつを、連れて行かないでくれ。






月花げっか



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