;教育係
あいつが城へやって来て、三年になる。
思い返せば、今日まで酷く短く、早く過ぎたように思う。
あれは今も記憶に新しい、七月の暑い日のことだ。
用心棒として城に召し抱えられたあいつに、最も歳が近いからという理由で、俺が宛がわれた。
いわゆる、教育係ってやつだ。
反発は、するだけした。
人にモノを教えるのは畑違いだし、ただでさえ煩わしい毎日に厄介事を増やしたくなかった。
せっかく教育係なんて役職を設けるなら、俺より適任のやつがいたはずだった。
だが上様は、俺こそが適任なのだと譲らなかった。
他のどの隊士に掛け合ってみても、引き受けてくれる代わりは居なかった。
そうして結局は、俺が面倒を見させられる羽目になった。
最年少だった自分に、後輩ができる。
気持ち満更じゃなかったが、当時のあいつといったら、さすがの俺も手に余した。
どこがそんなに気に食わないのか、全身から針を出すかのごとく、周囲を警戒してばかり。
協調性の無さは、俺以上だったかもしれない。
ただ、やれと命じられたことは、きっちり熟した。
人間としては欠陥だらけでも、用心棒としては至って真面目で、丁寧な仕事ぶりだった。
そこは俺も認めざるを得なかったし、他の奴らも一目置いていた。
そのせいか否か、あいつは孤立した。
噂になるほど目立つ存在だったにも拘わらず、あいつは誰とも連もうとせず、誰もあいつに近寄ろうとしなかった。
無口で無表情。おまけに無愛想。
一体いつ飯を食って寝て、なにを好み重んじるのか。
あいつに関心を寄せる奴は大勢いて、あいつの本心を解する奴は一人もいなかった。
"人形"。もしくは"抜け殻"。
魂のない屍のようだったあいつを、みな面白がって揶揄し、気味悪がって敬遠した。
俺は不服だった。
つつこうが、からかおうが、反応の乏し過ぎるあいつが、見ていて腹立たしかった。
いつか。
いつか必ず、その仏頂面を引っぺがして、俺の前で大笑いしたり、大泣きしたりさせてやる。
気付けば、あいつで遊ぶのが、俺の日課になっていた。
ところがだ。
ここ半年で、あいつは別人のように変わってしまった。
命令以外では動こうとしなかったはずが、誰に言われるまでもなく、城中を駆け回るようになった。
自らの我を通すことも厭わなくなり、上様に対してさえ感情的に接するようになった。
脱け殻だったあいつに、魂を吹き込んだ者がいる。
それが、あの娘。千茅雨希嬢だ。
彼女と出会ってからというもの、あいつはすっかり人間らしくなった。
仏頂面は時に笑みを浮かべ、頑な極まりなかった言動は親しみやすい当たりとなった。
そういや近頃は、話し掛ければ構ってもらえるんだと、女中らも喜んでいたっけか。
協調性が増したのは、確かに良い傾向かもしれない。
反面、人間らしさを獲得していくほどに、あいつは本分に力を回さなくなっていった。
いや、回らなくなった。
以前までは、一晩で十人近く斬ったとしても、翌朝には澄まし顔に戻っていた。
近頃は、やむを得ず一人斬っただけでも、向こう二日は飯が喉を通らなくなった。
あいつと彼女の間で、何があったというのか。
彼女はどうして、あいつの心を開いてみせたのか。
俺が三年がかりで苦心して、未だ成せずにいることを、たったの半年で、どうして。
たまらなく、苛々した。
俺がどんなに望んでも、そうそう向けられないあいつの笑顔が、彼女の前では惜し気もなく晒されている。
あんなに世話を焼いてやったのに。
なんであいつは俺じゃなく、彼女を。
飼い犬を他所に奪われるとは、このことだった。
それでも、最初は構わなかった。
あいつが男を嫌いなのは元々だし、疎まれているのは俺に限った話じゃない。
女同士なら、親しくなったところで、高が知れていると。
予想外だったんだ。
誰より長くあいつと過ごした俺だからこそ、あいつの僅かな機微をも見落とさなかった。
あいつが、単に仕える相手として、彼女を思っていないこと。
あの二人の間に生まれた絆は、主従を越えているということに。
あいつは言った。
彼女の最期を、己で看取ってやりたいと。
彼女の目に最後に映るものが、己であってほしいのだと。
いいのかよ、本当に。それで。
彼女に残された時間は、決して延長されない。
彼女の目に最後に映るものがお前なら、お前も彼女の最期を目の当たりにするんだぞ。
看取るっていうのは、一番に死を受けるってことなんだぞ。
今のあいつに、知己の喪失は耐えられないだろう。
下手をしたら、抜け殻だった当時に逆行か、後を追って自決なんて可能性もある。
そんなのごめんだ。
ようやく探し当てた俺の生き甲斐を、みすみす手放してなるものか。
俺はまだ、あいつを、心の底から笑わせていないのだから。
お嬢さん。雨希さんよ。
あんたの境遇には、つくづく同情するよ。
あいつの身内にへばり付いていた、冷たい氷の塊を解かしてやってくれたこと、感謝しているよ。
だけど、あいつは渡さない。渡すわけにはいかない。
あいつを好きなら、あいつのためを思ってくれるなら、どうか。
あいつを、連れて行かないでくれ。
『月花』