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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;サイ編 桜花の章
42/75

;第十四話 また一緒に、二人で、あの桜を見たいね 2



「これを巻くとね、驚くほど元気が湧いてくるのよ。片手で岩を持てそうなくらい」



姫様が頂き物の襟巻きを首に巻く。

外に出るたび、部屋の換気をするたびに、彼女はこれを欠かさず身に付けている。



「それはそれは。世話役も形無しですね」


「あら、サイの存在は岩どころじゃ済まないわ」



くすくすと笑いながら、姫様は自らの合羽にも腕を通そうとした。

私は彼女に待ったをかけ、己の外套と交換するよう申し出た。



「せっかくなら、人肌で温まったこちらをと思いまして」



姫様は嬉しそうに頷き、こちらに背を向けた。


私が姫様の服を、姫様が私の服を着る。

なんだか照れ臭い気もするが、姫様が喜んでくれるなら良かった。



「へへ。サイのにおいがする」



小さな肩に己の外套をかけてやると、姫様は袖口を鼻に当てがって小躍りした。



「照り返しがきついかもしれないので、光に慣れるまでは、顔を覆っているのがよろしいかと」


「ううん、いいの。

目の前がぱっと(・・・)ひらける感じが、好きだから」


「左様ですか。では───」



互いの準備が整ったことを確認し、出口の戸前を左右にこじ開ける。

眩いまでの陽光が差すと、暗かった室内はたちまち照らし出された。



「寒くはないですか?」


「だいじょうぶ」



新鮮な空気を胸いっぱいに吸い、姫様はうっそりと目を細めた。



「サイは?寒くない?」


「平気です」


「よかった。早速いきましょう」


「おっと。おみ足ではなりませんよ」


「ええー?今日も?」


「今日も明日も、明後日もです」



自力で歩きたがる姫様を宥め、一足先に段差を下りる。

姫様は残念そうにしながらも、いつものように私に負ぶさってくれた。



「いつもごめんね。重くはない?」



耳元で無邪気な声、肩に添えられた手。

背中越しに伝わる心音と、指が回りそうに華奢な太もも。

負ぶさった瞬間、かけられた彼女の体重に、私は息が止まった。



「全然。私の使っている蕎麦殻枕の方が重いくらいですよ」


「また、おかしいこと言って」



軽い。

三日前より、更に軽くなっている。

まるで綿のようだ。



「えいっ、それっ」



姫様が虚空に向かって腕を伸ばす。降る雪を捕まえたいらしい。

やっと手中に収まった頃には、どんなに大きな結晶も形を失っていた。



「だめね、こんなことをしたら。

わたしのせいで、みんな溶けてしまったら可哀相だわ」


「そんなことありませんよ。

踏みつけられて泥になるより、姫様のぬくもりで水になった方が、雪も幸せかもしれない」


「まあ、素敵な考え方。雪が大好きになりそう」



出会った当初は、陽に焼けた肌をしていた。

丸みを帯びた指は、畑仕事の名残で荒れていた。


けれど、今は。

この雪のように白く、透き通っていて。

骨と血管の浮き出た四肢は、少し握れば粉々に崩れてしまいそうで。


差し引かれた重さの分だけ、確実に彼女の命は削られている。

解っていたこととはいえ、改めて実感するのが、辛い。




「そういえばサイ、あれきりまた和装に戻っちゃったけど、洋装はもうしないの?」


「ええ。こちらの方がしっくりきますので。

ですが、姫様のお望みとあらば別です。あとで着替えて参りましょうか?」


「ううん、いい。

わたしも、お着物を着てるサイの方が、───好き、だから」


「左様ですか。

では、これからも、そうします」



後ろから抱き締めるように、姫様の腕が私の首に回る。



「ごめんね、サイ。

わたしが病気になんてなったせいで、あなたにまで辛い思いをさせて。

いつもいつも、世話をかけるばっかりで、うんざりじゃない?」



私の項に額を埋めながら、姫様が消え入りそうに呟く。



「なにを仰いますか。

私の意思でこうしているのですから、姫様が責を感じる謂れはないのですよ」


「でも、周りからも、色々言われたりするでしょう?

それに、近くにいたら、あなたも……」


「まったく。聞き分けのない方ですね。

私が、貴女といたいんですよ。何度もそうお伝えしたでしょう」



何度目になるだろう。

この状況も、このやり取りも。


数えきれないほど謝罪をされた。

自分が至らなかったばかりにと、自分のせいで迷惑をかけてと、姫様は愁いた。


数えきれないほど説得をした。

これは己の意志だからと、これが己の幸せだからと、私は断じた。


何度も、何度でも。

姫様が落ちれば必ず、私が拾いにいった。



「ご心配なさらずとも、私は丈夫が取り柄ですから。

この鉄の体は、ちょっとやそっとでは壊れませんよ」



おかげで、僅かながら明るさが戻った。

"ごめんね"よりも、"ありがとう"を多くくれるようになった。


それでも、どうしても、どうあっても。

きっと姫様は、二度と、心の底から笑うことは出来ないのだろう。




「ねぇ、サイ。ひとつ聞いてもいい?」


「はい、姫様」


「サイは、わたしのこと、……嫌いじゃ、ない?」



"嫌いじゃない"、か。

好きかどうかではなく、嫌われていないかを気にするあたりが、なんとも姫様らしい。



「嫌いなはずないでしょう。好きですよ、もちろん。

好きだからこそ、共にありたいと思っております」


「……ありがとう、サイ。

本当に、あなたは優しい人。わたしも、サイが大好きよ」



好き。

私は、姫様が好き。

そんな風に口にするのは初めてだが、嘘偽りはない。

姫様が私に想ってくださる以上の好きを、私は姫様に想っている自信がある。


ただ、なんだろう。なにか引っ掛かる。

好きと言って、言われて。妙に、胸がざわつく。




**



懐かしい場所に足が向いた。

以前までの姫様の私室。私と姫様が出会った場所だ。


未だ記憶に新しい。

縁側から臨む庭の景色を、姫様はとても気に入っておられた。

美しかった桜木は雪に隠れてしまったが、冬が明ければまた蕾をつけてくれるだろう。


ちょうど人通りの少ない時分だ。

外からこっそりと眺める分には、隊士や上様の側近たちに露見しないはず。




「姫様、姫様」



庭から一定の距離を置いたところで、歩みを止める。

夢うつつに微睡んでおられた姫様は、私の呼び掛けに顔を上げるなり、はっと恍惚の吐息を漏らした。



「ああ、懐かしいわ。

あそこで過ごした毎日が、やけに遠いものに感じる」


「そうですね。幸せな一時ひとときでした。

貴女と出会ったあの日のことを、今も鮮明に覚えていますよ」


「わたしもよ。

はじめてサイを見た時、お伽噺の中から飛び出してきたのかと思った」


「はは。姫様のお手にかかれば、森羅万象に幽玄ありですね」



首周りが白い布地で覆われる。

ご自分の襟巻きをほどいた姫様が、余りを分けてくれたようだ。



「冷えたでしょう」



姫様の体温の移った襟巻きは、火鉢よりも温かかった。



「ありがとうございます。とても、あたたかいです」



今が、永遠に続けばいいのに。

刹那的な感傷に浸りながら、姫様の香りにくるまれる。


春でも、冬でも。

私にとって姫様は、不易の万年桜だ。




「───そろそろ戻りましょうか。長居はお体に障ります」


「そうね」



庭を後にし、帰途に就く。

すると姫様は、いっそう強く、私を抱き締めた。




「サイ。

また一緒に、二人で、あの桜を見たいね」




希望と諦めが入り混じった声だった。


また一緒に、桜を見たい。

無論、私とて同じ気持ちだ。


あの庭で、あの縁側で、二人で。

木漏れ日に踊る花びらを慈しんだ、あの頃に戻れたなら、どんなに良いか。


同じだとも。

希望も、諦めも、両方。

姫様の抱く気持ちと、寸分違わず。



"玉月さん"。



また一緒に、二人で、本物の桜を。


その時まで、果たして姫様は無事でいられるだろうか。

次の春まで、生きていられるだろうか。


医師の見立てによれば、猶予はある。

だが、近頃の病状を鑑みるに、楽観はできない。

きっと大丈夫と、いつか治ると、嘘でも嘯いてやることさえ。




「─────、」




頬に涙が伝う。

両手が塞がっているせいで拭えず、溢れた涙は顎から滴り、雪原を濡らしていく。


いけない。

姫様に私の泣き顔を見られてはいけない。悟らせてはいけない。


俯いて奥歯を噛み、徒歩に意識を集中させる。

鶯色の瞳が覗き込んでくれるなと、傍らに願いながら。




"───桜、というのですよ"。




熱くなった目頭が、つんと痛み始める。

止めようのない鼻水が、だらだらと垂れてくる。

口を噤み、息を殺し、ぐしゃぐしゃになった顔のまま、歩き続ける。


他の誰に見付かってもいい。

指を差して笑われようともいい。

姫様が目を瞑っていてくれるなら、腑抜け腰抜けと謗りを受けて構わない。




"はじめて見たけれど、とても綺麗な花───"。




どうして。

どうして、彼女なのですか。


この世には、悪行の限りを尽くす奸物どもが、蔓延っているというのに。

そやつらは今なお、人々の上で胡座をかき、私腹を肥やしているというのに。


なぜ、姫様なんだ。

なぜ、病は姫様を選んだ。

これは一体なんの罰で、だとすれば一体なんの罪だというのか。


もっと業深く、人ならざる者が、すぐ側にいるだろう。

呪うなら私を呪えばいい。殺すなら私を殺せばいい。

不幸になるべきは私だ。


私が代わりに苦しむことで姫様を救えるのなら、喜んで嬲られよう。

私の寿命を姫様に分け与えることが叶うのなら、感謝して首を差し出そう。


ああ、神よ。仏よ。

終ぞ、あなたに祈りはしなかったけれど。

本当にそこで、天から我々を見下ろしておられるのなら。


どうか、この人を殺さないで。連れて行かないで。

私から姫様を、奪わないでください。




「ええ、姫様。

来年も、再来年も、その先もずっと、ずっと。

また二人で、一緒に、桜を見ましょうね」




時が経てば整理もつくなんて、嘘だ。

時が経つほど、終わりが迫るほどに、姫様への執着は増していく。


覚悟なんてできない。姫様と離れたくない。

私は姫様を、ウキさんを、失いたくない。






高嶺たかねはな




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