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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;サイ編 桜花の章
41/75

;第十四話 また一緒に、二人で、あの桜を見たいね



十二月、冬。

外ではしんしんと雪が降り積もり、息を吐けばこんこんと白い靄が舞う。

骨の髄まで凍てつくような、蝦夷では最も厳しいとされる季節こそが、冬だ。


私は今、姫様の寝所へと向かっている。

以前とは別の、新しい彼女の部屋である。


本丸の離れ、長い渡り廊下の先に設けられた見世蔵。

何人なんぴとも寄り付かない、暗く冷たく淋しい場所。


人呼んで、"開かずの間"。

安政の終わりまでは、罪人を軟禁する座敷牢として使われていた其処で、彼女は過ごしている。




「───私です」



入口の戸前を叩き、中に向かって声をかける。

返事を聞いて、中に入る。



「失礼します」



完璧な静寂。

家事に勤しむ女中たちの足音も、広間で語らう上様の話し声も。

あらゆる音が、ここには届かない。

まるでこの世には、姫様と私の二人しかいないような錯覚を覚えるほどに。



「替えの布団をお持ちしました。火鉢の具合はどうです?」


「ふふ、サイったら本当に心配性。

さっき確認してくれたばかりじゃない」


「そうですよ。私は心配性なんです。

私が鈍いばかりに、姫様を水火に取り残すようなことがあっては大変だ」


「もう、大袈裟なんだから。

……暖かくて、とても心地いいわ。ありがとう」


「それは良かった」



すべてが夢か幻だったのでは。

こうして何気ない言葉を交わすたび、己に都合の良い錯覚もまた覚えそうになる。


姫様が病に冒されていることも、私が姫様の世話役でなくなったことも。

目には見えないだけで、着実に刻まれているというのに。






***



あの時、私は初めて、上様の命に逆らった。



「───そなたが唯桜の世話をする必要はなくなった。

城を護る用心棒として、本来の務めに戻れと、そう言っているだけではないか」


「致しかねます」



説得を無視し、隷従を拒否し、何度も噛み付き食い下がった。

聞き入れてもらえないのであれば、この場で自決すると啖呵まで切った。


無論そんなつもりはなかったが、当時の上様の様相といったら、それはそれは見物みものだった。

所有物としか思っていない臣下に手向かわれる、ましてや自面尽くで撥ね付けられるなど、いずれにしても前代未聞だ。

その衝撃たるや、私の想像の更に上をいったことだろう。



「難儀だな。

そうまでして無駄骨を折りたい理由わけが、私には解せん」



雪竹城はじまって以来の珍事。

これで上様の怒りを買えば、当日の晩には私の首は落とされていたかもしれない。




「───火の粉を浴びるは元より承知。

ですが私は、あの御方に付き従っていたいのです」


「───誅罰をお与えになるのでしたら、どうぞ。

いかなる仕打ちも甘んじて受けます」


「───私の望みはただ一つ。

最期を迎えられるその時まで、あの御方の目に映っていたい。

それだけです」



私以上に姫様を労れる者はいない。

私以外に姫様の世話役は務まらない。

こちらの我を通すためには、上様の感情は度外視するしかなかった。



「そんな顔をしてくれるな。

そなたに腹を切られては、私も寝覚めが悪い」



"本業の片手間とするなら、唯桜姫への奉仕を許す"。

頑として譲らない私に呆れてか、最後には上様も観念してくれた。


とはいえ、名目での任は解かれてしまった。

私が姫様にお仕えする義務はなくなり、姫様も私に世話をかけることを良しとはしていない。

むしろ、私を突き放す大義名分ができたと、快諾さえするかもしれない。



「空威張りでないこと、働きで証明してみせよ」


「……必ずや」



だが、物は考えようでもある。

義務でなくなった以上、今後は規範に則らずとも良い。

本業を疎かにしない範囲でなら、私の意思で姫様のお側に居られるというわけだ。


たとえ、当の姫様が離隔を望むとしても。

姫様のためにならない望みには、耳を貸してやらない。

私を神妙にさせたくば、こちらも大義名分を要求するまでだ。



「(あの男の業突張りも、たまには役に立つ。

姫様の負い目が薄まるよう、せいぜい憎まれ役に励んでくれよ)」



ちなみに姫様は、裏でそのような悶着があったことを露知らない。

義務を果たしているだけと誤解されたままで、私は一向に構わない。




***



「───サイが戻るまでにね、麻菊さんがこちらに見えていたのよ」


「菊姫様が?お一人でですか?」


「ううん、小姓の人を連れて。

いろいろ話を聞かせてくれてね、楽しかった。

……といっても、面と向かって会うことは出来ないから、そこの戸を隔てて、なんだけど」


「そうですか。

姫様が楽しかったのであれば、私も嬉しいです」


「お見舞い品もいくつか頂いてね、みんなからって。

あ、それと────」


「なんです?」


「このところ、わたしに付きっ切りで寂しいから、たまには縁の間にも顔出しなさい、だって。

愛されてるわね、サイ」


「からかわないでください。

いい手遊てすさびにされているだけですよ」


「数少ない娯楽に、サイとの交流を選ぶなら、やっぱり愛されてる証拠ではなくて?」


「……そうですね。機会があれば、あちらにも参上するとしますよ。

姫様に構ってもらえなかった時にでも」


「ふふふ」




"───肺病を患った女なんて、置いていても得はないわ"。


"用済みと追い出されなかっただけ、むしろ有り難いこと。


"おかげで、わたしは生きている。

上様の情けに、感謝しなくてはね───"。



本日を以て、貴女の待遇は変わります。

今後の方針をお伝えした際にも、姫様は落ち着いた様子でそう答えた。


情け?感謝?有り難いこと?

あの男に、人の心が理解できようものか。

病気をもらうのは恐ろしいが、姫様ごと手放すのも惜しいからと、差し当たり講じた措置に過ぎないのだ。

仮にも一度は、寝食を忘れるほどに熱を上げた相手なのだから。


しかし、姫様は嘆かない。

家畜にも等しい扱いを受けてなお、彼女は誰のことも恨もうとしない。




「今朝は気分がいいの。

久しぶりに外を歩いてみたいんだけど、だめかな?」




どうしてそんなに、真っさらでいられる。

この聡明さは、達観ぶりは、あどけない少女のそれではない。


大人になった。違う。大人にならざるを得なかったのだ。

ひとたび嘆いてしまえば、沼に足を取られるように、身動きが出来なくなる。

それを姫様は分かっていた。だから姫様はよく笑う。

心は泣いていても、無理にでも笑顔を作る。そうして自分を保っている。


姫様は強い。姫様は賢い。

私にとって最も尊敬すべき人で、最も感心ならない生き方をしようとする。


私は、姫様を泣かせたい。

抱える毒を余さずぶちまけて、声を上げて泣きじゃくってほしい。

史上最も醜い貴女を、私だけに晒してほしい。




「いいですよ。

しっかり防寒して、二人で雪原を歩きましょうか」




ねえ、姫様。

どうすれば貴女の痛み苦しみを、私に分けてくださいますか。



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