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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;サイ編 桜花の章
39/75

;第十三話 幻であったなら 2



姫様の吐血事件より六日後。

一刻千秋と待ち侘びた医師が、ようやく城へ罷り越した。


念入りの診察を終え、気付けば逢魔が時。

早くも床に就かれた姫様は、久しく穏やかな寝息を立てている。


私は離れの別室にて、先んじて結果を聞かせてもらうことにした。

上様にお知らせするのは、もう暫く後回しだ。




「───労、咳……?」


「うん。

これまでの症状といい、今度の吐血といい。

ほぼ、間違いないと思う」



どうか、先日の出来事が偶然でありますように。

必然性があっても、一過性であってくれますように。


猛る心臓に鞭打ち、私は何度も祈った。

医師から突き付けられたのは、容赦のない現実だった。




「労咳のこと、君は知っているかい?」


「……大要の、ところは」


「そうか……。

今はまだ初期の段階だが、彼女の場合、酷く進行が速いようなんだ」


「ど、して……っ。何故これほど急に!?

姫様の周りに労咳を患う者はいなかった。なのにどうして……!」


「当節でなくとも、過去にはあったんだろう。無症状の保菌者が身内にいたとかね。

そこで彼女も、知らず知らずと……」


「だったら───。だったら、その時に発症していないのは何故ですか?どうして今頃になってそんなもの……!」


「逸らないで。ちゃんと説明するから」



狼狽のあまり、私は医師に詰め寄った。

医師は尚も落ち着いた調子で、詳しい見立てを教えてくれた。



「玉月くん、だったね」


「はい」


「君は彼女のお世話役、なんだよね?」


「はい」


「世話をするのが仕事なら、常に、彼女の側にいたわけだ」


「はい、毎日」


「だから聞くが……。

ここ最近になって、彼女自身に、変わったことは無かったかい?」


「いつから体調を崩されていたか、ということですか」


「それもだけど、もっと広い範囲の……。

何か、彼女がとても落ち込んだり、悲しんだりするようなことは無かったかな」



落ち込んだり、悲しんだりするようなこと。

医師の核心的な物言いに、私ははっと(・・・)させられた。

ここ最近で姫様を苦しめた原因といえば、他にない。



「(上様と、褥を共にした時から……?)」



思えば、あの日から様子がおかしかった。

ひだまりのようだった笑顔は暗雲に翳り、鶯色の瞳には覇気が宿らなくなっていった。


それを私は、気持ちが沈んでいるせいだろうと解釈した。

時が経てば、本来の明るさを取り戻してくれるだろうと浅慮していた。


あの頃には、終わらない悪夢が始まっていたというのか。

あれほど近くにいながら、察することも出来なかったというのか。

私は、あれほど、近くにいながら。




「───なるほど。

確かに、十五歳の女の子には、酷だったかもしれないね」


「私は気付いていました。彼女の様子が妙だと。

気付いていたのに、それが兆候であることに気付けなかった……!」


「自分を責めちゃ駄目だ、玉月くん。

初めて性交渉をした女の子が、それをきっかけに体調を悪くしたり、精神的に不安定になるのは、よくあることだ。

今までの彼女だって、そう思われても不思議じゃない」


「でも、でも……。

もっと早くに判明していれば、もっと───」


「いずれにせよ、避けられなかった事態だ。

嘆くよりも、今後どうすべきかを第一に考えよう」




全身が氷のように冷たい。

優しく宥める医師の声が、耳に入って頭に入らない。


逸るな。喚くな。冷静になれ。

なってしまったものは、もう取り消せない。

医師の言うように、嘆くよりもまず、今後どうすべきか。

どうすれば姫様の病を、一日でも長く食い止められるかを、第一に考えなくては。


そう、頭では理解しているのに。

溢れ返る雑音に邪魔されて、悪い想像ばかりを繰り返してしまう。


姫様が、労咳。労咳、労咳。

じゃあ、近い将来、彼女は────。




「元々は、田舎の生まれなんだよね?

お城へ嫁ぎに来たのは何時いつ頃?」


「初めて、お見えになられてからは……。

およそ五ヶ月、でしょうか」


「うーん、なるほど……」




医師いわく、病の発症が遅れたのには、ふたつの理由が考えられるという。


ひとつは、環境の変化。

慣れない城暮らしで気が休まらず、延いては、菌に対抗する力も衰えてしまったのではないか。

故郷や家族との別離が、本人の自覚以上に心痛であったかもしれない、ということだ。


もうひとつが、急激な体力の摩耗。いわゆる過労だ。

日増しに窶れていく姫様を無視し、上様は我欲で彼女を求め続けた。

やがて彼女は疲れ果て、あげく陰部に炎症まで起こしてしまった。

これを過労とせず、なんとする。


初めての晩以来、私は二人の褥に立ち会っていない。

控え役は、他の者に任せてある。


まさか、愛籠しているはずの彼女にさえ、手心を加えてやらなかったなんて。

あの男の狼藉には、つくづく反吐が出る。




「まともに食事も、休息もとれていなかったようだし……。

誘因を上げだしたら切りがないよ」


「彼女は、───姫様は、ずっと、隠しておられたということですか。

本当はずっと苦しかったはずなのに、耐えて……」


「そうだね。彼女は強い子だ。

けど、いくら我慢しても、進行は止められない。

今の医学じゃ、労咳は治せないんだ」



私はごくりと生唾を飲み込み、叶うなら聞きたくない答えを医師に促した。



「余命は?」


「……経過にもよるけど、二年、ってところかな。

栄養のあるものをしっかり食べて、安静にすれば、あるいはもっと長く」




二年。

そのうち、彼女が元気でいられるのは、あとどのくらいだろう。


労咳は、治らない。決して癒えることのない病だ。

天寿が削れていくのを感じながら、いずれ来たる死をただ待つしかない。

当人も、周りの誰も彼も。


おまけにそれは、人に感染する。

姫様の処遇が目に浮かぶようで、私は胸が引き裂かれる思いがした。




"───サイさんが側にいてくれて、わたしを見ていてくれるから、だから、こうして笑っていられるんです"。


"───わたし、サイさんが好きよ。

サイさんがわたしを嫌いでも、わたしは好き"。


"───サイ。今日までわたしを支えてくれて、ありがとう。

どうか、これからも側にいて。わたしに元気をちょうだいね"。




姫様が、死んでしまう。

いつか、彼女の笑顔を見られない日が、彼女の声を聞けない日がくる。


こわい。

どうして彼女なんだ。

天はなぜ、彼女を見放してしまったのか。




「いいかい、玉月くん。

分かっていると思うが、労咳は感染する病だ。

彼女の側に居続ければ、遠からず、君もそうなってしまうかもしれない。

それでも君は────」


「構いません。誰がなんと言おうと、私は姫様のお側にいます」


「……絆が深まるほど、後が辛いよ?」



医師が私の肩を強く掴む。



「あの子の運命を見届ける覚悟が、君にあるかい?」




覚悟はあるか、などと。

そんなもの、あるに決まっている。

きっと彼女には私が必要で、私にも彼女が必要なのだ。


果てに待ち構えるは、たとえ地獄でも。

語り草にもならない悲劇に終わるとしても。

私は変わらず姫様の、ウキさんの側にいたい。




「私は、私のすべてを、あの人に捧げたい」




たった今この瞬間から、私の生きる目的が変わった。


単にお仕えするだけでは足りない。

私の全身全霊を懸けて、彼女の残り少ない日々を豊かにする。

短くとも実りある人生だったと、温かな最期を迎えられるように。

ありったけの愛情と幸福を、彼女に注いでやりたい。




「あの人は、私のすべてなんです」




私は、姫様に救っていただいた。

今度は私が、その恩に報いる番だ。

二度と、迷いはしない。






こぼざくら




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