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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;サイ編 桜花の章
37/75

;第十二話 現し世の泉 2



「恋、とは……。いわゆる恋慕の情、ですよね?

ひとえに契りを結ぶのではなく、もっと複雑で、真心を尽くした……」


「そうね。

今までに一度でも、───この人となら、共に身投げをしても構わないと思えるくらい、焦がれた相手はいる?」



身投げをしても、というのは恐らく、現し世の泉に準えての暗喩と思われる。

今の姫様が口にするには、如何せん生々しい表現だった。



「いませんよ。私にそのような相手は、後にも先にも現れない」


「本当に?

一度でも、一瞬でも、この人なら、って感じたことはない?」


「残念ながら。

露命を繋いで手一杯の日々でしたから、色事にうつつをぬかす余裕なんて、とても」


「そう……。そうよね。

ごめんなさい、不躾なことを聞いて」


「いいえ。姫様の方こそどう────」



"姫様の方こそ、どうなのですか"。

聞き返そうとして、私は口をつぐんだ。

人柱同然で嫁がされた姫様に、恋い焦がれる相手はいるか、などと。

それこそ、不躾も甚だしい。



「……駄目ですね。慣れない話をすると、変に浮わついてしまって。

お恥ずかしい」


「………。」



どうしてしまったんだ、私は。

何事にも動じぬ、冷血さが売りだったはずなのに。

姫様を側でお支えできれば、他には望まなかったはずなのに。



「(馬鹿者が)」



お一人で虚空を仰がれる姿には、どうしても。

胸が痛んで、心が乱れて、平静ではいられなくなる。

何事も手に付かなくなるほど、私的な感情に揺さぶられる。

肝心な時に限って、私は。




「───いるよ」


「え?」


「わたしの方はどうかって、さっきの。

わたしは、いるよ」



私の濁した茶を、一息で飲み干すように。

いずこに御座す人へ、想いを馳せるように。

響きの良い低い声で、穏やかな笑みを湛えながら、姫様は語りだした。



「正しくは、いた(・・)、かな。

この人になら、わたしの全てを捧げていいと思った。この人さえいてくれるなら、他には何もいらなかった。

……わたしも経験ないから、これが本当に恋なのかは、自信を持って言えないけど。

それでも、それくらい、大切で、かけがえのない人だったわ」



驚いた。

姫様は、恋をなさっていた。


聡明な姫様をして言わしめるのだから、相手はさぞ出来た男なのだろう。

しかし、"かけがえのない人だった(・・・)"と、口振りは過去を指している。


姫様の輿入れが決まって、やむなく引き裂かれたか。

元より、姫様の傍惚れに過ぎなかったのか。

いずれにせよ、その恋が別離に終わったことは、ここにいる彼女自身で証明されている。



「初恋は実らないって、小さい頃、お隣りのお姉さんが言っていたんだけどね?あれ、本当だったみたい。

その人とわたしは、どうあっても、結ばれない運命さだめなの」


「……その御仁とやらは、今どちらに?」


「さあ……。どうでしょう。

わたしの手の届かないところにいるのは確かね」



恋慕う相手が別にいながら、割り切った相手と形だけの夫婦めおとを演じなければならない。

齢十五の少女には耐え難い仕打ちとして、どこか引っ掛かる。



「(この感じは、いったい……?)」



先程の、動揺や憐憫とも、また違う。

姫様の恋した逸話を聞いて、少なからず私は、落胆している。


姫様が悪いのではない。

姫様が恋慕ったという御仁が悪いのでもない。

誰も悪くないのが却って気色悪く、そんな己の座りが悪くなっていく。


形容しがたい、むず痒さ、苛立たしさ。

姫様のお立場に同情を禁じ得ないせいと、例えてみても腑に落ちない。



「その人と結ばれることは叶わなかったけど、でも、いいの。

その人はわたしに、素晴らしいものを与えてくれた。授けてくれた。

だから、もう、いいの」



流るる雲の切れ間から陽光が差し、畳の上を一筋の川が渡る。

それは姫様と私とを線引きしているかのようで、彼女が俄に遠い存在に感じられた。

私が彼女に触れたならば、彼女は塵と消えてしまいそうだった。



「どうか、わたしの分まで幸せになってほしい。自由に生きてほしい。

────願うのは今、それだけ」



上様に花を散らされることで、多少なり変化があるだろうとは想定していた。

姫様と周囲の関係を含め、落ち着くには時を要するだろうとも。


ただ、なにか、変だ。

確かに彼女は変わったかもしれない。

表情も所作も雰囲気も、大人の女性として塗り替えられていく。


ただ、なにか違う。なにかがおかしい。

ひどく、嫌な予感がする。不吉な影が、じりじりと忍び寄ってくるような。







はなはし



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