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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;サイ編 桜花の章
36/75

;第十二話 現し世の泉



姫様が正式に輿入れなさって、およそ半月。

うに梅雨は明け、夏盛りの季節となった。


しかし近頃の空模様は、まるで秋の終わりのよう。

白昼にも空気は肌寒いほどで、空は厚い雲に覆われてばかりいる。

炎節の熱気はどこへやら、久しく太陽を見ていない。




「───姫様。私です」



薄暗い廊下を抜け、もっと薄暗い部屋の前で足を止める。

ひとつ深呼吸をして、障子戸の向こうに呼び掛けると、どうぞと短く返された。



「失礼します」



静かに障子戸を引き、擦り足で部屋に入る。

そこには連日と同じく、ぼんやりと外を眺めておられる姫様の姿があった。



「昼食をお持ちしました、姫様」


「ああ……。もう、そんな時間なのね。ありがとう」



抑揚のない声。

私の呼び掛けに振り向いてはくれるものの、目線は合わせてくださらない。


このところ、姫様は私を、人目を避けるようになった。

以前と比べて妙に態度がよそよそしくなり、お一人の時間を好まれるようになった。


こうして庭の景色を眺めるのも室内からで、気に入っていた縁側にさえ近寄ろうとしない。

自らの意思で部屋を出るのは、廁で用を足すか、湯殿で身を清める時くらいだ。


何をするでもなく、固い畳に座り込み、空の果てを仰いでは、夜の訪れに嘆息する。

覇気も生気も感じられない様は空虚そのもので、失礼ながら私は、不安を越した恐怖を彼女に覚えることがあった。




「また、手を付けておられないのですね」



持参した昼餉を配膳しようとして、はっとする。

今朝の分に手を付けられた形跡が、全く無いのだ。



「ごめんなさい。どうにも、食欲がなくて」



またか。

昨日も一昨日も、姫様は朝餉に手を付けなかった。

私が半ば強引に勧めることで、昼餉と夕餉は食べてくれるが、それも完食できずに残してしまう。

無理をすれば余計に体調を崩し兼ねないし、今朝分も裏で片付けるしかなさそうだ。



「お昼はちゃんと食べるから、心配しないで」


「はい」


「朝の分、そのまま下げてしまうこと、用意してくれた人に、わたしが謝っていたと伝えてくれる?」


「……はい。

お辛いでしょうが、昼食は少しでも、召し上がってくださいね」


「うん。いつも悪いね、サイ」



申し訳なさそうに肩を落とす姫様。

肉体的にも精神的にも、彼女は疲弊している。


無理もない。

初夜を迎えて以来、上様は二晩に一度は姫様を求めている。

よほど恋しいのか、帳が下りて間もない内から召し出し、私室に帰してくれるのは明け方になってから。

朝餉を食べる気がしないのは、当然かもしれない。




「して、姫様。ご気分の程は───」


「サイ、覚えてる?」


「え?」



"ご気分の程は如何でしょう"。

私の質問に被せて、姫様の方も質問を投げてきた。

いつもなら、他に務めがあるでしょうなどと、さりげなく退室を促されるのに。

姫様の方から切り出してくるとは、珍しい。



「すみません。

なんのこと、でしょうか」



質問の意図が読めず、私は眉を寄せた。

姫様は、思いがけない人物の名前を挙げた。



「"染介さん"。

サイの知り合いなんでしょう?

前に、両親からの文を、わたしに届けてくれた」


「ああ……。あやつのことでしたか。

そうですね。城には顔を出しておりませんが、元気にしていると思いますよ」


「そう……。なら良かった」



染介。

愛想のない私にも笑顔を絶やさないでくれた、清濁併せ呑む男。

友人とまではいかないが、彼が城を訪ねた折には、土産話なんかをよく聞かせてもらった。

本当にいいやつで、私にとっては男性で唯一、誼みを結べた存在かもしれない。


姫様が初めてお会いになられたのが三ヶ月前とすると、私が最後に会ってからは一年近く経つ。

目下の所在は知る由もないが、きっとあいつのことだ。

多少の困難はもの(・・)ともせず、どこぞで巧みな話術を披露しているに違いない。




「まさか、ここで染介の名前が出るとは意外でした。

なにか気掛かりでも?」



姫様は、また申し訳なさそうに肩を落とした。



「あんなことがあったから、平穏無事に暮らせているかと、思って……」


「姫様……」



自分と関わったせいで、あいつが不幸に見舞われていないか心配だという。

こんな状況でも、自分より他人を案じるとは、良くも悪くも姫様らしい。



「ご安心を。例の件は内密に済みました。

たとえ露見しても、あやつのことです。そう易々と、捕まったりはしませんよ。なにせ神出鬼没ですから」



軽口を交えて励ましてやる。

姫様は僅かに表情を和らげると、ようやく私と向き合ってくれた。




「染介さんのこと、あれからずっと気になっていたんだけどね?

今朝になって、ふと思い出したことがあるの」


「それは?」


「"現し世の泉"。

染介さんが話してくれたの。サイ知ってる?」



"うつの泉"。

確かに、ここいらでは有名な風説だ。

一見には然したる変哲のない泉だが、"ある伝説"が語り草となり、やがて聖地へと祭り上げられた。



「時同じくして、現し世の泉で末期まつごを迎えた二人は、来世で再び巡り会い、永久とわにその絆が分かたれることはない────。

ちょっと暗いけど、夢のある話よね」


「なるほど……。

染介が、そのように説明を?」


「ええ。詳しいことは、遊子の自分より、土着のサイに聞いた方がいいって……。

もしかして、ぜんぶ与太話だったりする?」


「いいえ、現し世の泉は実在します。城からも、さほど遠くありません。

ただ────」


「ただ?」



一昔前までは、伝説を信じた男女が多くそこで命を落としたという。

現世で成就の叶わなかった者らにとって、現し世の泉はまさに最後の楽園と崇めるに相応しい。


だが、所詮は後付けの伝説。

時代が移ろうにつれ風化は進み、神秘性も信憑性も殆ど失せた。

未だ崇めるのは偏人か行人くらいで、直近の村落ではむしろ、泉を入水の名所と敬遠する節さえあった。




「そう、なんだ。そっか……」



私の訂正を受けて、姫様は明らかに残念がった。



「(しまった)」



背筋が凍る。

事実を包み隠さず伝えるべきと考えたが、これでは姫様の幻想を打ち砕いただけじゃないか。

ただでさえ元気をなくされているのに、追い撃ちをかけてどうする。




「……ですが、真偽はどうあれ、の伝説に救われた者も、いたんじゃないでしょうか」


「どうして?」


「死に場所に泉を選ぶということは、自暴自棄に命を投げ捨てるのとは、違う。はずです。

もしかしたら、本当に生まれ変わって、来世で一緒になれるかもしれない。

僅かでも、そう望みを懐いたまま死ねたなら、その瞬間だけは、きっと不幸じゃなかった。

───と、私は思います」



静寂。

私は粛々と姫様の反応を待った。

姫様は縁側の引き戸に半身を凭れると、垂れた髪を一房すくって耳にかけた。



「サイは、恋をしたことがある?」



恋。

馴染みのない言葉に、私はつい呆けてしまった。

姫様は凭れた姿勢のまま、こちらを横目で流し見た。


哀愁を帯びた鶯色。

すべてを見透かす瞳に晒されると、うっかり有らぬことまで白状してしまいそうになる。



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