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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;サイ編 桜花の章
35/75

;第十一話 これで其方は私のものだ



打掛を脱ぎ、髪をほどき、長襦袢のみとなった姫様が、上様に連れられて褥に入る。

私は屏風越しに二人の会話を耳にしながら、立て膝を着いてその場に忍んだ。


チリチリ、カラカラ。

風が吹くたび涼を奏でてくれるのは、縁側に吊るされた硝子風鈴。

一昔前までは魔除け厄除けの道具に過ぎなかったこれも、今や夏の風物詩だ。


しかし私は、用心棒の私には、涼を愉しむ余裕がない。

暑さに喉が渇こうと、汗が滲もうとも、措置に一計を案じてはならず、不快に舌を打ってもならない。


私は用心棒。主に仕え、主を守る者。

こと夜枷に於いては風鈴など、気を散らす雑音に他ならない。




"───怖いか?"。

"───いいえ"。




とうとう、この時が来てしまった。

彼女が城へ招かれた日から、すべては決まっていたというのに。




「(いい加減、往生際が悪いにも程がある)」




当の姫様が気丈でおられるのだ。

私は私で、与えられた職務を全うすればいいのだ。


万が一にも刺客が入り込まぬよう、警戒に務める。

二人が恙無く朝を迎えられるよう、神妙に徹する。




「(集中しろ。邪念を払え)」




私が姫様にしてやれるのは、

できるだけ最中の様子を記憶しないでおくことと、

翌日には何事もなかったように接してやることだけだ。




"───、……、…"。




空気が揺れる。汗の匂いがこうに混じる。

屏風越しに漏れる姫様の声が、段々と切なさを帯びていく。




「(駄目だ、聞くな。

考えちゃ駄目だ。覚えるな)」




頭で分かっていても、心頭滅却に至れない。

破裂しそうな己が心音の陰に、小さく蹲った姫様が透けて見える。




"───平気か?"

"───はい"。




姫様の声に重なって、上様の声もまた響く。

幼子をあやすような、いかにも育ちのい風な、整えられた低音。


私は思わず朧の柄を握り締め、込み上げる怒りを抑えんと膝を抱いた。

叫べない代わりに奥歯を噛めば、苦い唾液が口いっぱいに広がった。




"───唯桜"。




この男はいつも、同じ恰好で女を抱く。

一番に愛しているのはお前だと。一生をかけて愛でてやると。

その言葉を信じ、ひたむきに耐えて尽くして、文目も分かず腐っていった哀れな子らが、何人いたことだろう。


欲すれば是非とも手に入れ、飽きが回れば見向きもしない。

自分からは容易に棄てるくせをして、相手から棄てられるのは我慢ならない。


反抗する者、愚弄する者、余所に靡いて戻らぬ者。

忠義にそぐわぬ不届き者は、斬って捨てて良しとする。


大事にはしてやらないが、大事にされるのは当然と権力を振り翳し。

思い通りにならないのなら、いっそ無くしてしまった方がいいと殺意を撒き散らす。


和顔愛語を装ってはいるが、実体は酷く放逸で残忍。

底の浅い見栄を張り、片生いな支配欲ばかりを満たそうとする。


それがこの男、光倉郷舟の本性であり、

誰よりこの私が、骨身に沁みているはずなのに。




"───雨希"。




姫様の決意を前に、私は無力だ。

彼女が受け入れることを受け入れた以上、私に異を唱える筋はない。

彼女がじわじわと毒牙にかけられていくのを、私はただ黙認するしかない。




「(ちくしょう。はらわたが煮えそうだ)」




彼女の真っさらな肌に、穢れた手が触れているのか。

彼女の美しかった日々に、今夜が上塗りされてしまうのか。


悔しい。虚しい。忌々しい。

偽りの甘言を囁く口を、せめて縫い付けてやりたい。




"───うえさま"。




否。最も赦せないのは、私自身だ。

怨敵ほど恨めしい相手に、結局はこうして遜るしかないのだから。

上様の甘言が嘘であるなら、私は存在そのものが嘘だ。




「───くそ、」




姫様、辛いのでしょう。泣きたいのでしょう。

本当は逃げ出してしまいたいのでしょう。


縋ってください。頼ってください。

貴女が一言、助けてと、私に言ってくれたなら。

たとえ命を賭してでも、貴女を連れて逃げますよ。

貴女が望むなら、たとえ黄泉こうせんであろうとも、喜んでお供いたします。


姫様。貴女の苦しむ姿を、私は見たくない。

貴女の嘆きを、押し殺した悲鳴を聞かされるのは、我が身を裂かれるより辛い。


終ぞ、こんな気持ちになったことはないのに。

屏風の向こうにいるのが貴女だと思うと、どうして私は、こんなにも。




"これで其方は私のものだ────"。




昼間の晴天は、幻だったのかもしれない。

突如として降り始めた冷雨は、まるで彼女の心を映し出しているかのようだった。






はなかり』




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