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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;ウキ編 めざめの章
33/75

;第十話 この身が朽ちるまで



七月の七日。

雪竹城に召し上げられて、およそ三ヶ月。

わたし千茅ちがや 雨希うきは、約束の十五歳となった。




「───さ、本番は既に始まっていますよ!」




婚礼の儀を目前に控えた昼下がり。

いつもなら昼食時とされる時分だが、本日ばかりはそうもいかない。


ただ今の雪竹城は、慶祝の空気に満ちている。

大広間では会場の準備が、厨では佳肴の用意が進められている。

わたしの私室では、女中さん達が手分けして、花嫁衣装を着付けてくれているところだ。




「"姫様をもっとお綺麗にし隊"、出動!」


「おー!」




耳に届くは、可愛らしい雀の声。

鼻を抜けるは、青々とした葉桜の匂い。


夏空の割に暑すぎず、時おり吹く風が汗を攫ってくれる。

まさに、祝い事には持ってこいな良き天気、良き日取りである。




「今の姫様を御覧になれば、きっと上様も、その美しさに惚れ直されることでしょう」


「私達でさえ、うっとりしてしまうほどですもの」


「女の夢ですわ」



背後で帯を整える一人が呟き、他二人も作業の片手間に同意する。


"惚れ直す"とは、また大仰な。

元より、上様がわたしに惚れている確証など、有りはしないのに。



「ありがとうございます。

皆さんが綺麗に仕立ててくださったおかげです」


「またご謙遜を!」


「私たちは介添えを務めたに過ぎません」


「美人さんをもっと美人にするのは、実に腕が鳴ります~」




なぜ、自分のような小娘に関心を持たれたのか。

ここまで執心するに至ったのか。

もはや是非を問うことも、問われることもない。


本日を以て、わたしは正式に、上様の女となる。

そのために、わたしはここにいて、それだけ分かれば、十分なのだ。




「お化粧の方はどう?崩れてない?」


「大丈夫!」


「よしよし、順調ね。

では姫様、次は御髪おぐしに移りますね」


「はい、お願いします」




はじめの頃は、それはそれは恐ろしかった。

迫る期日に鳩尾を痛め、指折り数えてを明かしたものだ。


今は違う。

十四歳だったわたしが遥か昔に感じられるほど、十五歳になったわたしは落ち着いている。

緊張はあれど、現実を受け止められている。


僅かでも成長した表れならば、僅かばかり自分が誇らしい。




「───姫様、私です。お加減の程は如何でしょうか」



着付けの仕上げに取り掛かろう、という時だった。

障子戸の向こうから、壁を叩く音と、こちらを窺う声が聞こえてきた。



「はい、ただいま。

───すみません、一度(はず)して頂けますか?」



緩みそうになる口元を引き締め直し、女中さん達に下がるようお願いする。

察してくれた女中さん達は、わざわざ縁側の方から遠回りで退室していった。



「どうぞ」



ひとつ咳払いをして、声の主に入室を許可する。

声の主は"失礼します"と断ると、静かに障子戸を引いた。


さあ、この姿を見て、どんな反応をしてくれるだろうか。

驚く顔を想像して、わたしは胸を躍らせた。




「こちらの準備、は────」



わたしを視界に入れるなり、声の主は固まってしまった。

ぽかんと口を開けて、大きく目を丸めて、その場に立ち尽くす。

まるで鳩が豆鉄砲を食ったような、信じられないものを見たとでも言いたげだ。



「ね、サイ。どうでしょ?どこか、おかしなところはない?」



仕立ててもらった打掛を自慢しようと、振袖を軽く翻してみせる。

声の主ことサイは、はっと我に返ると、慌てて障子戸を閉めた。



「驚きました。なんだか別人のようで……。

一瞬、我が目を疑った」



サイがこちらに歩み寄り、わたしに触れるか触れないかの距離で立ち止まる。



「そうよね。こんなに大変な服を着たのは、生まれて初めてだもの。

わたしも、今の自分は、自分でないみたい」


「………。」



右手で口元を覆いながら、わたしの全身をまじまじと眺めるサイ。

自慢をしたくせに恥ずかしくなったわたしは、誤魔化すように再び咳払いをした。



「それで、サイはどう思う?

わたし、ちょっとでも綺麗になった?」




あの雨の日(・・・・・)を境に、サイは本当の自分を出してくれるようになった。

尋ねれば何でも偽りなく答えてくれて、わたしの冗談に腹から笑ってくれるようにもなった。


わたしの方も、サイさん(・・)と、敬称付きでは呼ばなくなった。

古い馴染みのような口調で話して、不服がある場合には怒ったり抗ったりする。

わたしとしては畏れ多い部分もあるが、遠慮されるより嬉しいとサイは喜んでくれた。


今度こそ、親密な仲になった。

そう感じているのは、わたしだけじゃないと信じたい。




「綺麗です。───綺麗だ、本当に」



うっそりと、サイは破顔した。

気の利いた返しが浮かばなかったわたしは、赤面するしかなかった。



「あ、ありが、と……」




"綺麗"。

言葉自体は世辞や皮肉じゃなく、本心を述べてくれたものと思う。


でも、声は。

様々な感情が入り混じった、複雑な音をしていた。



「(綺麗、か)」



ただ着飾って、終わりじゃないから。

わたしの行く末を憂うあまり、手放しでは誉められないのだろう。

親しくなったからこそ、彼女はわたしを、寂しげな目で見る。




「あとは、御髪を整えるだけですか」


「あ……、うん。結って纏めて、簪とかで飾るんだって。

じきに女中さん達が戻ってくるだろうから────」


「姫様」


「うん?」


「僭越ながら、そのお役目、私に任せてくださいませんか」


「え……」



サイから意外な提案を持ち掛けられる。



「もちろんいいけど……。大丈夫?

わたし、そういうの全然だから、やり方とか教えてあげられないけど……」


「ご安心ください。心得ております。これでも評判の腕だったんですよ?」




そうか。

女中さん達は、わたしとサイの睦言を邪魔しないようにと慮った(・・・)のではない。

サイに髪結いの技術があることも承知していたから、任せられると引き払って(・・・・・)いったんだ。


どうりで、なかなか戻ってくる気配がないわけだ。




「ほんとにー?初耳ね~」


「おや、疑っておられるのですか?

でしたら尚のこと、披露して差し上げませんとね」



軽口を交え、くすくすと笑い合う。



「それに、気疲れも溜まると厄介です。

本番までには、まだ時間がありますから。今のうちに一息ひといき入れておきましょう」



そう言ってサイは、縁側の引き戸を半開から全開にした。

わたしは外の空気を胸一杯に吸い込み、強張った肩と腰を解した。



「さあ、姫様。どうぞこちらへ」



冗談めかしたサイに導かれ、慣れ親しんだ縁側へ。




**



「───わー、本当に上手ね!

これだけの腕があれば、お店をひらけるんじゃない?」


「買い被りですよ。

よほどの不器用でない限りは、三度も見聞きすれば習得できます」


「へー……。すごいなぁ。サイの新しい特技を発見したわ」


「痛くはありませんか?」


「ぜーんぜん」


「お尻の方は?」


「そっちもぜーんぜん。

サイは?お膝、痛くない?」


「ぜーんぜん、です」



纏めて、捻って、結い上げて、全体を装飾品で飾る。

あれよあれよという間に、サイはわたしの髪を整えていった。

最中さいちゅうに違和感なども無く、いかに彼女が手慣れているかが分かった。



「いかがでしょう」



最後に渡された手鏡で、わたしは自分の化けた姿を確認した。



「す───っ、すごい。本当にすごいよサイ!まるでお姫様みたい!」


「ふふ。貴女は元からお姫様でしょう?」


「あ、そっか。一応はそうなんだもんね。

角隠しは被らなくていいの?」


「ええ。不要になった(・・・)そうです」


「そもそも、あれって何のために被るんだろうね?お洒落のため?」


「妻が鬼に化けないように、との願いを込めているとか、なんとか。

娶る側としては、いつまでも貞淑でいてほしいってことですね」


「へぇー、だから"角を隠す"……」


「ここにはもう、名実とものがいますから。

化けるものでも、隠せるものでもないらしいと、慣わし自体が消えたわけだ」


「え、あ、わたしはそんな───」



背後で立ち上がったサイが、縁側を下りて草履を履く。


わたしが余計なことを聞いたせいで、気を悪くさせてしまったか。

身構えるわたしを余所に、サイはどこへも行かなかった。



「怖くは、ないですか」



正面に立ったサイが、真剣な表情で問う。

この状況、この質問には、俄に覚えがあった。



「("怖くないか"……)」



怖くない、とは、やっぱり言えない。

不安は尽きないし、恐怖も残る。

回避できるものなら、そうしたいと思う。


されど、拒絶はしない。観念するでもない。

きっとこれが、わたしの運命。生まれた時からこうなることが決まっていたのだと、何時いつしかそんな風に考えるようになった。




「ありがとう、サイ。わたしは大丈夫。

緊張はするけど、今日まで三ヶ月も猶予を貰ったんだもの。

いいかげん、胆が据わったわ」


「……左様ですか。姫様は、お強いひとだ」


「そうね。強くありたい」



太陽が雲に隠れ、辺りが一時的に暗くなる。



「わたしね、自分一人では、ちっとも強くなんかないのよ。

悲しいことがあると直ぐ、ご飯が喉を通らなくなって、誰とも会いたくないって気持ちになる。

でも、サイにだけは、悲しい時も楽しい時も、いつでも会いたいって思う。どんなに小さな話でも、サイの話なら、聞きたいって思うの。

サイが側にいてくれる間だけ、わたしは元気な、強い人間でいられるのよ」


「……勿体ない御言葉です」


「ふふ、相変わらず真面目。そういうとこ素敵よ」



サイに向かって右手を差し延べ、握手を求める。



「サイ。今日までわたしを支えてくれて、ありがとう。

どうか、これからも側にいて。わたしに元気をちょうだいね」


「……貴女という人は。

感謝申し上げるのは、私の方だ」



自らの両手でわたしの右手を掬うと、サイは地面に跪いた。

深く頭を垂れる姿は、出会った時と同じ。



「御身のご厚情の数々に、私がどれほど救われてきたか。

御身にしては、思案の外なのでしょうね」



太陽を隠した雲が晴れ、辺りに白昼の光が戻る。

サイは首だけを動かして、照らされたあちこちに目を配った。



「この空が、草木花が、移ろいゆく全てが、こうも美しいとは知らなかった。

共に眺めた桜は光り輝いていて、私は初めて、慈しむという感情を得たのです。

貴女と出会ってから、私の世界はがらり(・・・)と色を変えました」


「サイ……」



サイの指先が、わたしの手の甲を撫でる。



「あれ以来、私は一度も泣きませんでした。痛くとも悲しくとも、決して泣くことはなかった。

己の涙は涸れてしまったに違いないと、そう思ったほど」



いずこの自分を懐かしむように、サイは瞼を伏せた。

また自責の念に駆られているのでは、とわたしは心配になったが、彼女の手は温かかった。



「ですがあの日、あの雨の日。

私は貴女の前で、心の底から泣きました。

そして悟ったのです。今までずっと、私は、人の温もりにこそ、飢えていたのだと」



出会った時と同じ場所、同じ立ち位置。

淑やかな撫子色は、鮮やかな萌木色に。

たゆたう彼女の髪の後ろで、風に散らされた若葉が舞う。



「きっと私は、貴女と出会い、貴女を想い、貴女に寄り添うため、そのために、この世に生を受けたのでしょう」



サイの手が離れる。

彼女の瞳に映る自分自身と目が合う。



「これからもずっと、なにがあっても、私は貴女を守り抜く。

貴女と共に生き、願わくは、貴女に尽くし果てたい。

───どうか末永く、いっそこの身が朽ちるまで、お側に置いて下さいませ。姫様」




サイと過ごした三ヶ月。

長いようで短かった、二人だけの日々。


明日からも止まらずに、時は流れてゆくけれど。

わたしはもう、かつてのようには笑えないかもしれない。


わたし達の関係は変わらない。

変わってしまうのは、わたしだけ。



「(馬鹿ね、わたし)」



ああ、人の心とは、なんと酷だろう。

最後の最後で芽を出してしまうなんて、わたしはなんて愚かな女なのだろう。



「(初恋は実らないって、知っていたはずなのに)」



ごめんなさい、サイさん。

この締め付けるような、甘くほろ苦く、切ない想いの正体を、わたしは知っている。


わたしは、あなたを。







酒涙雨さいるいう

;雨希編 結



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