;第九話 半分こ 2
「ひ────」
勢いをつけて、サイさんに抱き付く。
わたしに押し倒される形で、サイさんは床に仰向けになった。
「やめて、ください」
わたしは透かさず彼女の腹に跨がり、想いの丈をぶちまけた。
「これ以上、自分を悪く言わないで。
サイさんを傷付けるようなこと、もう言わないでください」
サイさんが一瞬なにかを言いかけて、やめた。
わたしはサイさんの胸倉を掴み、ぐいと上に持ち上げた。
「呪われてなんかない。
あなたは、悪人なんかじゃない」
「……ひめさま」
すっかり意表を突いたらしい。
サイさんの全身から、攻撃色が抜けていく。
「悪いのは、近付いてきた大人達の方よ。
自分の手を汚さず、右も左も分からない、幼いあなたに付け込んで、すべてを押し付けて……!
子供に人を殺させて平気なんて、そいつらの方がよっぽど悪人じゃない!呪われているのは彼らの心よ!」
「姫様。それでも、私が犯した罪です。
如何なる事情があっても赦されないことを────」
「誰が決めるっていうんですか!!」
ぼろぼろと、滝のように溢れる涙を止められない。
自分の中で、こんなに滅茶苦茶な感情が湧いたのは、初めてだった。
「この世の誰が、あなたの敵になろうと、わたしはサイさんの味方をする。
誰になんと言われようと、わたしはサイさんの側にいる!
たとえ神様仏様があなたを赦してくれなくても、わたしがあなたを赦す。あなたのぜんぶを受け止めてみせる」
「っひ────」
わたしの目から零れた涙が、サイさんの目尻に落ちる。
頬を伝っていくと、本当にサイさんが泣いているみたいだった。
「ねぇ、サイさん。
真っすぐ、わたしの目を見て。わたしはあなたの目の前にいる」
彼女に枯れて欲しくない。
その一心で、わたしは淀みなく話し続けた。
呼吸さえ忘れてしまいそうなのに、口だけが独りでに動いた。
「私は────」
サイさんが改まって切り出す。
わたしは彼女の胸倉から手を離し、彼女の乱れた前髪を梳いてやった。
サイさんは細かく瞬きをすると、ごくりと生唾を飲み込んだ。
「私は、依頼があれば、誰でも殺しました。女子供以外は、本当に誰でも。
仮に、姫様の父君が相手としても、当時の私ならやったかもしれない」
「そんなことないわ。妻子ある父親と知れば、きっと手を引いた。
そうでなくとも、あなたは追い詰められていた。生きるために仕方なくやったことよ」
「私は、これだけの罪を重ねていながら、貴女の前で、笑ってしまったことがある。
一瞬でも、己のしたことを、忘れてしまった時がある」
「人間なのだから、笑う時は笑うものよ。
それよりわたしは、あなたがわたしに心からの笑顔を見せてくれたことが、嬉しい」
サイさんの目からも、はらはらと透明な涙が流れ始めた。
わたしと違って、表情は変わらない。声も呼吸も落ち着いている。
涙だけが止めどなく流れ、彼女の長い睫毛に小さな水晶を連ねていく。
とても、綺麗だ。
この人は泣いた顔も美しい。
一体全体、こんなに美しい人のどこが、汚れているというのだろうか。
「勝手に、報われた気になってたんですよ。貴女の世話役を仰せつかった時から。
守るべきものができて、きっとこの日のために、剣を振るってきたのだと、都合のいいように……っ」
「いいじゃない。
報われたいと願う気持ちは、罪じゃないわ」
「貴女のためと、口では言いながら、本当は自分のためだった。誰かのためと、免罪符が欲しかっただけだった。
今日までの自分を肯定できる、理由がほしくて、貴女を言い訳にした。
貴女でなくとも、私は良かったんです。私に理由を与えてくれる人なら、誰でも……!」
嗚咽まじりに告白するサイさん。
わたしは彼女の頬に触れ、親指の腹を這わせた。
サイさんはその手を掴み、抱えるように縋ってきた。
もっともっとと、わたしの体温を欲しがる姿は、酷く頼りなさそうだった。
"───これからは、私がいます。
いつ如何なる時も、貴女のお側におります"。
凛々しくて、勇ましくて。
わたしに無いものを、たくさん持っていて。
一歩前を歩いてくれる背中を、一歩後ろから見守ってくれる気配を、大人だなと憧れていた。
違うんだ。
彼女だって一人の人間で、一人の女性で、完全無欠じゃないんだ。
不安を押し込めて、わたしの手を引き、悲しみを押し殺して、わたしに笑いかけていたんだ。
お世話役だから、年上だからと、どこか偏った視点で、彼女を見ていた。
"───ごめんなさい、姫様"。
"私は、こういう人間なんです"。
わたしは、自分中心にしか、考えていなかった。
「だとしても、わたしはサイさんがいい」
「ひめさま」
「サイさんは、わたしでなくても良かったかもしれない。けどわたしは、サイさんじゃなきゃ駄目なの。
サイさんじゃなきゃ、やだよ、わたし」
サイさんの表情が、ついに歪んだ。
顔中を涙で濡らして、目元を真っ赤に腫らして、くしゃりと紙を丸めるように。
互いが鏡になったように。
「サイさん。
これからは、わたしに分けて。悲しいのも苦しいのも、ぜんぶわたしに分けて。
そうしたらわたしは、楽しいとか、嬉しいとかを、あなたに分けるから。
ぜんぶ半分こよ、駆け引きはなし」
「っあ────」
「わたし、サイさんが好きよ。サイさんがわたしを嫌いでも、わたしは好き。
これからは、わたしが、あなたを一人にさせない」
精一杯に破顔してみせる。
溜まっていた涙がまた一粒零れると、今度はサイさんの唇に落ちた。
無言で上体を起こしたサイさんは、わたしの腕を引いて抱き寄せた。
わたしからした時以上に、強く激しく抱擁される。
少し苦しいけれど、温かくて気持ちいい。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
衿元が湿ってきた。
耳元で泣きじゃくる声がする。
ああ、こんなことが、前にもあった。
意識する間もなく抱き締め返す。丸い頭を撫でてやる。
親が子にするように。彼女の傷が、今だけでも、癒えますように。
「あなたが生まれてくれて、良かった」
わたしは、あなたを生んであげられなかったけれど。
今は亡き、本物のお母様の分まで。
空虚に潰えただろう、幼少の寂しさが埋まるまで。
この意地っ張りでかわいい子に、人の愛とは何たるかを、時間をかけてゆっくりと、教えてやりたいと、思う。
『干天の慈雨』




