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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;ウキ編 めざめの章
32/75

;第九話 半分こ 2



「ひ────」



勢いをつけて、サイさんに抱き付く。

わたしに押し倒される形で、サイさんは床に仰向けになった。



「やめて、ください」



わたしは透かさず彼女の腹に跨がり、想いの丈をぶちまけた。



「これ以上、自分を悪く言わないで。

サイさんを傷付けるようなこと、もう言わないでください」



サイさんが一瞬なにかを言いかけて、やめた。

わたしはサイさんの胸倉を掴み、ぐいと上に持ち上げた。



「呪われてなんかない。

あなたは、悪人なんかじゃない」


「……ひめさま」



すっかり意表を突いたらしい。

サイさんの全身から、攻撃色が抜けていく。



「悪いのは、近付いてきた大人達の方よ。

自分の手を汚さず、右も左も分からない、幼いあなたに付け込んで、すべてを押し付けて……!

子供に人を殺させて平気なんて、そいつらの方がよっぽど悪人じゃない!呪われているのは彼らの心よ!」


「姫様。それでも、私が犯した罪です。

如何なる事情があっても赦されないことを────」


「誰が決めるっていうんですか!!」



ぼろぼろと、滝のように溢れる涙を止められない。

自分の中で、こんなに滅茶苦茶な感情が湧いたのは、初めてだった。



「この世の誰が、あなたの敵になろうと、わたしはサイさんの味方をする。

誰になんと言われようと、わたしはサイさんの側にいる!

たとえ神様仏様があなたを赦してくれなくても、わたしがあなたを赦す。あなたのぜんぶを受け止めてみせる」


「っひ────」



わたしの目から零れた涙が、サイさんの目尻に落ちる。

頬を伝っていくと、本当にサイさんが泣いているみたいだった。



「ねぇ、サイさん。

真っすぐ、わたしの目を見て。わたしはあなたの目の前にいる」



彼女に枯れて欲しくない。

その一心で、わたしは淀みなく話し続けた。

呼吸さえ忘れてしまいそうなのに、口だけが独りでに動いた。




「私は────」



サイさんが改まって切り出す。

わたしは彼女の胸倉から手を離し、彼女の乱れた前髪を梳いてやった。

サイさんは細かく瞬きをすると、ごくりと生唾を飲み込んだ。



「私は、依頼があれば、誰でも殺しました。女子供以外は、本当に誰でも。

仮に、姫様の父君が相手としても、当時の私ならやったかもしれない」


「そんなことないわ。妻子ある父親と知れば、きっと手を引いた。

そうでなくとも、あなたは追い詰められていた。生きるために仕方なくやったことよ」


「私は、これだけの罪を重ねていながら、貴女の前で、笑ってしまったことがある。

一瞬でも、己のしたことを、忘れてしまった時がある」


「人間なのだから、笑う時は笑うものよ。

それよりわたしは、あなたがわたしに心からの笑顔を見せてくれたことが、嬉しい」



サイさんの目からも、はらはらと透明な涙が流れ始めた。

わたしと違って、表情は変わらない。声も呼吸も落ち着いている。

涙だけが止めどなく流れ、彼女の長い睫毛に小さな水晶を連ねていく。


とても、綺麗だ。

この人は泣いた顔も美しい。

一体全体、こんなに美しい人のどこが、汚れているというのだろうか。



「勝手に、報われた気になってたんですよ。貴女の世話役を仰せつかった時から。

守るべきものができて、きっとこの日のために、剣を振るってきたのだと、都合のいいように……っ」


「いいじゃない。

報われたいと願う気持ちは、罪じゃないわ」


「貴女のためと、口では言いながら、本当は自分のためだった。誰かのためと、免罪符が欲しかっただけだった。

今日までの自分を肯定できる、理由がほしくて、貴女を言い訳にした。

貴女でなくとも、私は良かったんです。私に理由を与えてくれる人なら、誰でも……!」



嗚咽まじりに告白するサイさん。

わたしは彼女の頬に触れ、親指の腹を這わせた。

サイさんはその手を掴み、抱えるように縋ってきた。

もっともっとと、わたしの体温を欲しがる姿は、酷く頼りなさそうだった。



"───これからは、私がいます。

いつ如何なる時も、貴女のお側におります"。



凛々しくて、勇ましくて。

わたしに無いものを、たくさん持っていて。

一歩前を歩いてくれる背中を、一歩後ろから見守ってくれる気配を、大人だなと憧れていた。


違うんだ。

彼女だって一人の人間で、一人の女性で、完全無欠じゃないんだ。

不安を押し込めて、わたしの手を引き、悲しみを押し殺して、わたしに笑いかけていたんだ。


お世話役だから、年上だからと、どこか偏った視点で、彼女を見ていた。



"───ごめんなさい、姫様"。

"私は、こういう人間なんです"。



わたしは、自分中心にしか、考えていなかった。





「だとしても、わたしはサイさんがいい」


「ひめさま」


「サイさんは、わたしでなくても良かったかもしれない。けどわたしは、サイさんじゃなきゃ駄目なの。

サイさんじゃなきゃ、やだよ、わたし」



サイさんの表情が、ついに歪んだ。

顔中を涙で濡らして、目元を真っ赤に腫らして、くしゃりと紙を丸めるように。

互いが鏡になったように。



「サイさん。

これからは、わたしに分けて。悲しいのも苦しいのも、ぜんぶわたしに分けて。

そうしたらわたしは、楽しいとか、嬉しいとかを、あなたに分けるから。

ぜんぶ半分こよ、駆け引きはなし」


「っあ────」


「わたし、サイさんが好きよ。サイさんがわたしを嫌いでも、わたしは好き。

これからは、わたしが、あなたを一人にさせない」



精一杯に破顔してみせる。

溜まっていた涙がまた一粒零れると、今度はサイさんの唇に落ちた。

無言で上体を起こしたサイさんは、わたしの腕を引いて抱き寄せた。


わたしからした時以上に、強く激しく抱擁される。

少し苦しいけれど、温かくて気持ちいい。



「ごめんなさい、ごめんなさい」



衿元が湿ってきた。

耳元で泣きじゃくる声がする。


ああ、こんなことが、前にもあった。

意識する間もなく抱き締め返す。丸い頭を撫でてやる。

親が子にするように。彼女の傷が、今だけでも、癒えますように。



「あなたが生まれてくれて、良かった」



わたしは、あなたを生んであげられなかったけれど。

今は亡き、本物のお母様の分まで。

空虚に潰えただろう、幼少の寂しさが埋まるまで。

この意地っ張りでかわいい子に、人の愛とは何たるかを、時間をかけてゆっくりと、教えてやりたいと、思う。







干天かんてん慈雨じう




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