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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;ウキ編 めざめの章
31/75

;第九話 半分こ



「───この手で人を殺めたという事実が恐ろしくなり、私はまた、路銀を稼ぐ生活に戻りました。

あんな思いをするくらいなら、ひもじい方がマシだと」


「それで……?」


「あいにくと、それも長くは持ちませんでした。

飯屋も女郎屋も、もっと優秀な働き手を見付けたとかで、御払い箱。なけなしの貯えも、あっという間に底を着いた。

……このまま自分は、虫のように死ぬのだろうと。もはや、木の根を齧る余力もありませんでした」




殺しの依頼から二月ふたつきほどが経った、満月の夜。

あてどなく町を流離さすらった末に、少女はいやしの不運と出会った。


"辻斬り"。

人の身にありながら、人の道に唾吐つばくという、畜生にして化生の類だった。




「いるんですか、蝦夷にも」


「時勢によって、出たり出なかったり、ですね。

大きな町ともなると、特に」


「じゃあ、この町にも……?」


「いえ。隊士が目を光らせているせいか、少なくとも辻斬りの話は聞いたことがありません。

私が遭遇したのは、ここよりずっと南方の、港町の近くです」




刀を持った某が、通りすがりの某に、有無を言わさず襲いかかる。

斬って刺して八つ裂きにして、骸となれば足蹴にする。


理由はない。慈悲もない。

ただ、手元に刀があったから、近くを人が通ったから。

刀の切れ味を試すため、人に憂き目を見させるめに、辻斬りとは殺生を好むのだ。




「直感しました。ここにいては、私も巻き添えを食い、死ぬと。

しかし、その場を離れるより先に、男と目が合った。獣のような目でした」




少女の存在に気付くや否や、辻斬りの男は脇目も振らず、少女に迫った。

血塗れの顔で嗤い、狂気の雄叫びを上げながら。


辺りには他に誰もいない。

騒ぎを聞いて駆け付けてくれる者もいない。

状況が状況だけに、我関せずを通されるのは無理からぬこと。

助けを呼んだところで、きっと無意味だろう。


覚悟した少女は逃走を諦め、辻斬りに相対すると決めた。



勝算はなかった。

空腹で力は出ず、疲労で膝も笑っていた。

それでも少女は、辻斬りに背を向けなかった。


どのみち自分は、こいつに殺される。

ならば、せめて痛み分けにしてやる。

相討ちとまではいかずとも、一撃でいい。

二度とこいつが刀を振るえぬよう、その腕に一太刀浴びせるだけでいい。


悲劇を繰り返させてなるものか。

正しい誰かを見殺しにするくらいなら、愚かな自分が身代わりになるべきだ。

どうせ、自分が死んでも、悲しむ家族はいないのだから。


たとえ逃げ場があったとしても、少女は辻斬りに立ち向かったかもしれない。




「思いのほか接戦でした。

男はとても興奮した様子で、足元は覚束ず、太刀筋も荒削りで隙だらけ。

懐に入るのは簡単だった」


「勝ったんですか?」


「勝った、というより、ただ殺したんですよ。例の小刀で。

男を手負いにして、余裕があれば逃げようと算段したはずなのに。

気が付くと、私は男の心臓を貫いていた。無意識でした。

同時に悟ったのです」




"己には、殺しの才がある"。


初めて人を殺めた時は、あれほど動揺し、苦悩したはずなのに。

辻斬りを殺した時の少女は、恐ろしいまでに冷静だった。


呼吸に乱れはなく、手足に震えもない。

汗も出ない。涙も出ない。罪の意識もさほど湧かない。

むしろ、奸賊を討ち果たしてやった、という達成感すらあった。


一体なにが違うのか。

以前の彼と、今度の男、どこに差がある。

自らの変貌ぶりに驚いた少女は、ひとつひとつ思い当たる節を辿っていき、ある答え(・・・・)を導き出した。




「叔父の家を出て、三年目。

齢は十二を数え、私は始末屋として生きる決心をしました」




幼いながらに、少女は悟った。

殺生をしても辛くならないための方法、条件を。


以前の彼とは、口を利いてしまった。のが、いけなかった。

少女は知ってしまった。えらいと誉めてくれた優しい声を、頭を撫でてくれた温かい手を。


あの瞬間から少女は、ただの標的として、彼を認識できなくなった。

少女にとって彼は、赤の他人ではなくなってしまったのだ。


一時いっときでも触れ合えば、少なからず情が芽生えるもの。

少女は彼を、優しそうな人だと思った。そんな彼を、刺して殺した。

彼に途方もない苦しみを与え、彼の生涯に一方的な終止符を打った。


罪を犯せば、罰を受ける。

少女を蝕んだ毒とは即ち、慚愧の念であった。



片や、今度の男は違った。

男とは口を利くどころか、出会い頭すぐに戦闘が始まった。


なぜ辻斬りになったのか、なぜ人を殺すのか。

男の事情など、少女には知る由もなかった。


"吐き気を催す奸賊"。

"目の前で殺された青年の仇"。

"みんなが迷惑してる奴なら、別に殺したって構わない"。

男の狂気に当てられて、少女の内なる狂気もまた、呼び起こされてしまったのだ。




「運良く落ち延びて、でも生き残ったとは言えない。

死にかける度に死に損なって、それだけ。与えられた役目をそつなく熟して、食って寝て、それだけ。

なにも考えず、なにも感じない。

歩く屍も同然ですよ」




少女は心を閉ざした。

生きていく上で必要がない、あれば煩わしいからと切り捨てた。


ただ、仕事・・をした。

僅かばかりの報酬と引き換えに、醜い指が指し示したへ、刃を向けた。


元気そうな若人は、扱いやすい小刀で。

か弱そうな老人は、練習がてらの朧で。

女子供以外は誰でも、何でも。

年齢、体格、身分に問わず、依頼を請け負った。




"お前が名うての始末屋か?"。




やがて、三年の月日が過ぎた頃。

手腕を見込まれたサイさんは、上様より雪竹城に招かれた。


十四歳。

悲しくも、今のわたしと同じ年齢で。





「朧はとても美しい刀です。私が持つには上等すぎるほど。

でも、時おり匂うんですよ。どんなに綺麗に拭っても、濯いでも、何度鍛え直しても。

染み付いて落ちないんですよ、人の血の匂いが」



朧を掲げたサイさんが、鞘から僅かに抜いてみせる。

隙間に覗く刀身は、角度をつける毎に鈍い光を放った。



「こいつで何人斬ったかも、もう忘れてしまった。

相手の死に様は、今もはっきりと覚えているのに。数は記憶にないなんて」



刀身に映る自分を見たのだろうか。

抜いた分を鞘に納め直し、サイさんは深く項垂れた。



「私は知っていた。知っていたのに知らないふりをした。

誰にでも人生があり、どんな悪党にも家族はいる。

人を殺せば、悲しむ人が別にいる」



朧の鞘に、サイさんが額を合わせる。

朧の白さに負けないほど、サイさんの肌も青白くなっていく。



「私は彼だけでなく、彼とゆかりある全員の生涯を狂わせた。

それが如何に罪深く、赦されざる行いか、本当は知っていたはずなのに───」



早口で捲し立てると、サイさんは朧を床に叩き付けた。

がしゃん(・・・・)と激しい音が木霊して、わたしは肩をびくつかせた。



「ぁ、の────」



サイさんの纏う空気が、ヒリヒリと逆立っている。

なにか言葉をかけてやろうにも、相応しい寸言は出てこない。




「私は生きるために殺してきた。何人も、何人も何人も……!

あどけない童子を装って、騙して、裏切って殺して、次の朝には何食わぬ顔で町を歩いた。

なにもかも嘘だ。名前も性別も出生も。その気になれば依頼に来た奴を殺すことも出来たのに、なのに私はそうしなかった。

誰が悪いかも分からない。恨む奴が悪いのか、恨まれるやつが悪いのか分からない。

なにも考えなかった。殺した。金をもらった」



サイさんが、おかしい。

こんな彼女は、見たことがない。



「あんなに優しく笑う人が、悪人のはずないのに、私は殺した。

なんの咎もない人を私は────」



怯えるように、サイさんは自らの肩を抱いた。

強張った首筋には、血管と脂汗が浮かんでいる。



「サイさ────」



わたしは彼女の名を呼び、彼女の肩に触れようと手を伸ばした。



「───触るな!!!」



鋭く怒鳴ったサイさんが、わたしの手を払い除ける。

わたしを突き飛ばさない代わりに、サイさんの方から離れていく。



「サイさん、」



もう一度、名を呼ぶ。

呼吸を整えたサイさんは、居た堪れなさそうに顔を背けた。



「申し訳、ありません。姫様。どうも、頭が混乱して……。

でも、駄目です。私に触らないで」


「サイさん」



サイさんが目を伏せ、奥歯を噛み、自らの胸倉を握り締める。



「私は呪われているんですよ。

この身に触れれば、貴女までよごしてしまう」



先程までとは打って変わって、消え入りそうな細い声で、サイさんは呟いた。



「あの時、───貴女の前で、失態を晒してしまった時。思い出したんです。あの日のことを。

初めて仕事をした日も、あの小刀を使った。だから、当時の情景が、まざまざと蘇ってきた」


「………。」


「心に蓋をして、ずっと、あってないものと、言い聞かせてきたのに。溢れてしまえば、もう止められなかった。

誰を殺しても、なにも思わなかったはずなのに。貴女に見られたことが、なにより恐ろしかった。

すべて見透されるようで、私の醜い本性を、貴女に知られたらと思うと、たまらなく、怖かった」




胸の内の奥底に、封じてきたもの。

とても重く、熱く切なく、叫びたいほどに目まぐるしく、混沌としていて、掛け替えのないもの。

切り捨てたはずのが、あの日(・・・)を境に蘇った。


心を取り戻すということは、自らが犯した罪をも取り戻すということ。

自分の正体は紛うなき罪人であったことを、思い知らされることでもあった。




「姫様。私は悪人なんです。

貴女が信じてくれるような人間じゃ、ない」



サイさんの声が途切れる。

ひときわ大きな雨粒が、真上の屋根に落ちた音がする。


わたしは身を乗り出した。

彼女の頬に見えない涙が伝っている気がして、見ていられなかった。




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