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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;ウキ編 めざめの章
28/75

;第八話 会いたかった 2



わたしの抱擁を受けたあと、サイさんは無言のまま体を離した。

わたしはもう一度サイさんを見上げたが、今度の視線は交わらなかった。



「中へ、入りましょう」



落ちた傘には目もくれず、わたしの肩を抱いて、サイさんは一歩を踏み出した。

促されるようにして、わたしも自然と一歩が出る。


無理に歩けと強制される感じはない。

わたしの歩幅と歩調に合わせ、また転ばないよう導いてくれる。

城の案内をしてもらった日、松吉さんと別れた時が懐かしい。


俯いた先には、馴染みのある刀と、見覚えのない靴。

前者の刀は必携として、後者の洋靴や洋服は、彼女の私物に含まれていただろうか。

西洋からの舶来品に触れる機会など、写真屋での一件が最初で最後とばかり思っていた。


サイさんの横顔を、ちらりと覗く。

装いの他に、変わった点はない。はずなのに、どうしてだろう。

数日前とは、まるで別人に感じられるのは。


サイさんであって、サイさんじゃないみたい。

ふと湧き上がったそれ(・・)に、気まずさとは別の緊張を覚える。




「そこへ」


「あ、───はい」



縁側に腰掛けたわたしの足袋を、サイさんが屈んで脱がせてくれる。

サイさんも自らの靴を脱ぎ、順に敷居を跨いだ。



「けっこう濡れましたね」


「ごめんなさい、わたしが足止めをしたせいで……」


「構いません。

姫様こそ、寒くはないですか」


「はい。着替えるほどじゃないです」


「でしたら、髪だけでも乾かしましょう。座って」



わたしが正座、サイさんが立ち膝で、畳の上に向かい合わせになる。

サイさんは懐から手ぬぐいを取り出すと、わたしの髪を乾かし始めた。



「じっとして」


「はい」



これくらいは自分で、と遠慮する余裕はなかった。

会えたら話したかったこと、聞きたかったことも、どこかへ飛んでしまった。


ただ、サイさんに触れてもらえるのが嬉しくて、心地好くて。

こうして二人でいられる時間が、愛おしくて堪らなくて。

破裂してしまわないようこらえるだけで、今のわたしには精一杯だった。



「痛いところはないですか」


「……はい」



そして思い知る。

いつからか、この人こそが、一番だと。

わたしにとってサイさんが、最も離れがたい存在となっていたことを。




「肌が冷たい……。

やはり、このままでは風邪を召しますね。

替えの衣をお持ちしますので────」


「待って」



立ち上がろうとしたサイさんの袖を、わたしは咄嗟に捕まえた。



「あなたも、濡れたでしょう。拭かないと」



わたしのせいで巻き添えを食った彼女とて、冷えてしまったのは同じ。

心配なのも本当だが、引き留める口実になるなら、どんな理由でも良かった。



「私は平気です。この程度なら自然に────」


「いいから。

あなたが良くても、わたしが気になるの」



仕方なさそうに座り直すサイさん。

立ち膝から正座に姿勢が変わったのを、観念した証拠とわたしは受け取った。



「これ、借りますね」


「……どうぞ」



自分がしてもらった遣り方を真似て、サイさんの髪を乾かしていく。


わたしの陽に焼けた髪と違い、彼女の髪は一本一本に艶と腰がある。

櫛など無くとも、指で梳かせば十分整う。



「もう、いいです。大丈夫。お手数をかけました」



一段落したところで、サイさんから制止をかけられた。

完全にはまだ足りないが、しつこくすると却って迷惑になる。

わたしは借りた手ぬぐいを畳み、膝元に置いた。




「さっきは、取り乱してごめんなさい。

ともあれ、お怪我がなくて良かったです。

おかえりなさい、サイさん」


「ただいま戻りました、姫様。

長らくお一人にさせてしまい、申し訳ありません。

帰途に酷い土砂崩れがありまして、遠回りを余儀なくされた次第です。

ご心配をおかけしました」



何も悪いことはしていないのに、サイさんは深々と頭を下げた。

律儀なのは相変わらずだ。



「大事ないなら、わたしはいいんです。

それで、懇親会とやらは?上様はどうされていました?」


「先方とも、たいへん親しげなご様子で。楽しい時間を過ごしたと、上機嫌に申されていました。

今は、熱い湯に浸かって、旅の疲れを癒している頃でしょうか」


「そうですか。サイさんは?」


「え?」


「旅先で、なにかありました?」


「私ですか?」


「その服。洋装も、よく似合いますね」


「ああ……。これですか。

親睦の証にと、先方が用意してくださったものだそうです。

上様と自分と────」



サイさんの表情が俄に曇る。



「それから、松吉にも」



黒に近い鉄紺の上下。

どういった経路で入手された物かは別として、サイさんの引き締まった体型が際立つ衣装である。

面識のない人からすれば、異国の貴族と見紛われても、おかしくないだろう。

まさか女性・・で、用心棒・・・の立場にあるとは、一見して分かるまい。


加えて、この風格だ。

割り切ったというか、吹っ切れたというか。

まるで、戦に臨む武士が、腹を決めたかのような。

たった数日会わなかった間に、いっそう大人びたのが分かる。


城を発つ前は、むしろ挙動不審だったほどなのに。

ひょっとすると、本当に旅先で何かあったのかもしれない。




「姫様の方は、如何でしたか?

お一人の時間を過ごされてみて、不便を感じた点などあれば改善させますが、どうです?」



ひとつ咳ばらいをして、サイさんは論点を掏り替えた。

わたしは胸の内で、やっぱりなと肩を落とした。


話し上手で聞き上手で、尋ねれば何だって答えてくれる、物知りなサイさん。

そんな彼女が唯一、是が非でも伏せ続けているのが、いわゆる身の上話だ。

自らでは語らないどころか、必要に迫られた場面でも、言葉巧みに躱してしまう。


そうならそうと、わたしは構わなかった。

いつか彼女のつかえが取れたなら、改めて耳を傾けるつもりでいた。


今は違う。今は構う。

閊が取れるまでなどと、悠長にしていたら手遅れを招く。

近い将来、わたしの追い付けない彼方へと、彼女は行ってしまう気がする。


だから、ごめんねサイさん。

わたしはもう、待たない。




「先日、わたし宛てに文が届きました」


「……ふみ?」


「はい」


「差出人は?」


「両親から。

染介さんという行商の方が、ここまで届けてくださったんです」


「染介が……」



サイさんの眉が寄る。

"染介"の名前に引っ掛かったらしい。


サイさんとは知己の間柄だと、染介さん本人の口から聞いたのだ。

惚けさせてなんかやらない。



「"ここまで"とは、姫様のもとへ直接、訪ねて来たということですか?」


「サイさんを介するべきか、悩んだそうですが、生憎と不在でしたので」


「だ、からって、そのような……。

違反行為と知っているはずなのに……」


「心配せずとも、内密に上手くやれました。現物も処分しました。

絶対に他言しないと、染介さんは約束してくれて、両親も……。

同じようなことは、今後、二度とないはずです。

どうか、あの人を責めないであげてください」


「ですが────」


「だから。

此度の件を知っているのは、わたしと染介さんと、───もう二人(・・・・)だけです」



含みのある言い方をしてやれば、サイさんはぐっと息を呑んだ。



"───といっても、玉月さんからご両親に宛てられた書簡は、アタシが届けたんじゃあないんですけどねぇ?"



"もう二人"とは。

言わずもがなサイさんと、サイさんが両親に宛てた書簡を届けてくれた者を指す。


極秘の重役を任せたほどだから、サイさんにとっては分身にも等しい人物なのだろう。

何方かは存じ上げないが、無事に役目を果たしてくれたこと、此度のきっかけを与えてくれたこと、大いに感謝したい。



「条件にあった通り、たくさんの物資と人材が送られてきたそうで、日々の暮らしが楽になったと書かれていました。

ずっと気になっていたので、里の様子が、みながどうしているか分かって、良かったです」


「……申し訳、ありません、姫様。

掟に背くと知りながら、差し出がましい真似を───」


「謝らないで。咎めるつもりで言っているんじゃないです。

それに、返事を寄越した両親や、受け取ったわたしにも責はあります」


「それでも……!

結局はこうして、御身にまで、危ない橋を渡らせてしまった。

此度は、たまたま、運が向いただけで……。もし、どこかで抜かって、上様の耳に入っていたら───」



サイさんの顔から、みるみる血の気が引いていく。


サイさんに煩わされたのではなく、わたしが自分で立ち入ったことだ。

わたしの勝手を叱るならまだしも、サイさんが負い目を感じる必要はない。




"───ただの一度も、声を上げなかった。

じっと歯を食い縛って、耐えていたというわ"。



沙蘭さんの言葉が蘇る。

安逸にけたわたしを、我に返ったわたしが平手打ちする。



"あの子を助けられなかった自分を恥じるように、戒めるように───"。



ああ、そうか。

これは彼女が、自らに課した戒めなんだ。


きっと、自分が辛いのは平気でも、周りの誰かが傷付くのは、我慢ならないんだ。

たとえ濡れ衣を着せられ、烙印を押されて、八つ裂きの刑に処されたとしても、我が身なればと甘んじて受けるのに。

わたしの身に僅かでも危険が及ぶと、すぐさま抗議の声を上げるんだ。


この人は、そういう人だ。

残酷なほど優しくて、でも意地っ張りで。

わたしのことは大事にしてくれるのに、自分のことはどうでもいいんだ。



「そんな顔をしないで。あなたは何も悪くないわ。

すべて丸く収まったのだから、それでいじゃありませんか」


「だけど────」


「わたしを見て、サイさん」



俯くサイさんの顔を両手で持ち上げ、強引にわたしと目を合わせる。



「わたし、とても嬉しかったんです。

両親から文が届いたことも、サイさんが両親に文を書いてくれたことも」


「姫様」


「不思議ですね。

自分は天涯孤独の身の上と、両親は既にないものと、言い聞かせていた頃より。

離れていても、元気に暮らしていると、分かった今の方が、吹っ切れた気がします」


「ひ────」


「父さんも母さんも、心から、サイさんに感謝していました。

同封された写真のことも、喜んでた。どちらが子供かってくらいに」



サイさんの反論を無視し、一方的に捲し立てる。



「───サイさん、ありがとう。

守ってくれて、支えてくれてありがとう」


「そして、ごめんなさい」


「わたし、なにも知らなかった。あなたのこと」


「いつも自分のことで手一杯で、あなたが笑顔の裏に何を隠しているか、知ろうともしなかった」


「泣きたい時もあったはずなのに、無理に笑わせてしまってごめんなさい」


「でも、もういいんです。どうか隠さないで」


「わたしはあなたを知りたい。サイさんの全部を知りたい」


「なにがあっても、ぜんぶ、受け止めてみせるから───」




だから、どうか教えて。

あなたの真実を、わたしにちょうだい。


サイさんは、小さく頷いた。




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