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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;ウキ編 めざめの章
25/75

;第七話 雨希へ



サイさんが城を発ってから、今日で十日。

季節はもうじき、初夏を迎える。


予定では七日後のはずだったが、未だ帰ってくる気配はない。

ひょっとすると、旅先で何かあって、帰りたくても帰れない状況なのかもしれない。


無事ならば結構だけれど、会えない期間が延びるほどに、わたしの想いは募るばかりだった。




「───いい天気だなぁ」



縁側に腰かけ、晴天を仰ぐ。


側室としてやるべきことも、わたし個人がやりたいことも、特にない。

先日まで話し相手になってくれていた沙蘭さんも、もういない。


決まった時間に寝起きして、決まった通りに食事や入浴を済ませて。

手持ち無沙汰になったら、ぼんやりと外の景色を眺めて過ごす。


里にいた頃の目まぐるしさが嘘のように、平穏な日々。

それは却って息苦しさを覚えるもので、今の自分には何もないことを、ほとほと実感させられた。




"───思い当たる節は、あるわ"。



サイさんの過去。

サイさんが雪竹城に召し上げられて、今日こんにちまでの二年間。

数字にすると呆気ないが、そのたった二年の間に、玉月才蔵という人物の半生が集約されていた。


当時の彼女は、わたしと同じ十四歳。

拙く脆く、あどけなさの残る少女だった。

しかし、殺人の心得だけは、既に持ち合わせがあったという。


なぜ彼女は、始末屋なんて悲しい仕事を生業としていたのか。

召し上げられる以前はどこで暮らし、どんな生活を送っていたのか。

ご家族は、ご家族と呼べるような存在は、いるのかいないのか。


改めて、わたしはサイさんについて、殆ど知らない。



"知ったら最後、二度と才蔵と笑い合うことは出来ないかもしれない"。

"それでも、あなたは知りたい───?"。



これまでに、何人斬ってきたのだろう。

どれだけの命を、奪ってきたのだろう。


わからない。想像もつかない。

ただ、不思議と恐れは懐かなかった。

いつかの惨劇には酷く胸が痛んだが、サイさんに対する気持ち自体は、変わらなかった。


変わったことがあるとすれば、憐憫の情が芽生えてしまったこと。

狂おしいまでの悲痛を抱えてなお、気丈に振る舞い続ける彼女を、どうにか癒してあげられないだろうかと、願ってしまうことだ。


だって、心があるのだ。

彼女の正体がなんであれ、彼女にも確かに心があるのだ。


楽しくて笑い、悲しくて俯き、わたしのためにと怒ったり嘆いたりしてくれる。

件の男を手にかけた時だって、殺生を可笑しむ様子はなかった。

むしろ、ずっと隠してきたもの、守ってきたものを暴かれて、自らの卑劣に耐え兼ねるような、自らの尊厳を限ったような。




「会いたいなぁ」



ああ、会いたい。

サイさんの顔を見たい。声を聞きたい。

サイさんに触れたい。触れられたい。


たとえ、あなたが鬼でも、怪物でも。

わたしはあなたを嫌ったり、蔑んだりできない。


これって、いけない感情ですか。

あなたの罪を踏まえた上で、あなたの誠を信じたいわたしは、罰当たりな女ですか。




「───あ、いたいた。

ウキさん!チガヤ ウキさーん!」



思案に耽っていたところへ、溌剌とした声が響いてきた。

酸いも甘いも噛み分けたような、大人の男性の声だった。



「いや~、ようやくここまで辿り着きました!」



声のした方へ目を向けると、なにやら大荷物を背負せおった、商人風の男が現れた。

正門からここまで、直接やって来たようだ。



「お久しぶりです、お嬢さん。

アタシのこと、覚えておいでですかねぇ?」



人の好い笑みを携え、わたしに会釈する男。

まるで面識がある口ぶりだが、この人は何処の誰だったか。



「えっと……」



不躾ながら、男の全身を眺めてみる。

あまり裕福とは言えなそうな身なりに、日向ひなたを思わせる温かな面差し。

間延びした特徴的な喋り方に、ややくびすを浮かせた歩き方。

加えて、この大荷物とくれば、実際に行商人なのだろう。


行商人。

わたしと面識があって、ちょっと風変わりな、男の行商人。



「あ……!

あなたは、あの時の───!」



蘇った記憶。

わたしは思わず手を打った。



「はい~!

いやはや、その節はたいへん世話になりまして。

またお会いできて嬉しい限りです、ウキお嬢さん!」



彼の名前は、染介ぜんすけさん。

わたしを"ウキお嬢さん"と呼んでくれる人は、彼以外にいない。



「こちらこそ、会えて嬉しいです、染介さん」


「名前まで!

あ、どうかそのまま……」



ちゃんと挨拶しようとすると、座ったままでと制止された。



「それにしても、しばらく見ない間に、こんなにご立派になられて……。

アタシはすごく驚いていますよ!」


「いいえそんな、わたし自身は、ぜんぜん……。

施してもらうばっかりで……」


「なるほど。謙虚なところは、お変わりないようですねぇ。

あと、その愛らしいお顔立ちも」



自分の頬を代わりにつついて、染介さんはケタケタと笑った。

彼の安否が気掛かりだったので、息災と分かっただけでも、わたしは嬉しかった。




"───もしもし、お兄さん!だいじょうぶ!?お兄さん!"。


"あう……。なん、あ、だれ───?"。



あれは、わたしが十歳を迎えたばかりの頃。

飯炊き用の水を汲みに行った川辺で、一人の青年が行き倒れていた。

頬がこけるほどに窶れた、若かりし染介さんだった。


訳を尋ねると、腹が減って動けないのだと、染介さんは言った。

わたしは里から人を呼び、染介さんを連れ帰って、彼の介抱に終始した。

母の美味しい手料理はもちろん、わたしの不格好な握り飯も、染介さんは喜んで食べてくれた。


数日後。

すっかり元気を取り戻した染介さんは、別れ際にこう告げた。

いただいた御恩は、一生忘れない。

いつか必ずお礼をしに、再びこの地を訪れるでしょう、と。


まさか、ここで再会を果たすとは。

駆け出しなんだとぼやいて(・・・・)いた当時に比べ、表情も肌つやも随分明るくなった。

五年の歳月をかけ、行商が板に付いたようだ。

空腹で行き倒れることは、もうないだろう。




「こうしてまたお話をできるなんて、夢にも思いませんでした。

辛い目に遭ってないかって、みんな心配していたんですよ?」


「アッハッハッハ。まこと、申し訳ない。

近頃は商売の方も乗ってきましてねぇ?なんとかやらせてもらってますよ。

贅沢はできませんが、また行き倒れる心配は無用です」


「ふふ。ご苦労が実って何よりです」


「なんの!

それもこれも、あの時みなさんが手を差し延べて下すったおかげですとも!

感謝しております」


「え、あ、わたしは、たまたま、通りがかっただけで、感謝されるようなことは────」



染介さんに深々と頭を下げられ、わたしは慌てて話題を変えた。



「ところで、今日はどうして、こちらへ?

わたしに会いに───、なんて理由じゃ、普通は通してもらえませんよね?」


「おっと、これは失敬。紹介が遅れました。

実はアタシ、半年ほど前から、こちらのご贔屓に与ってましてね?

いい商品が入った時なんか、よく寄らせてもらうんですよ」


「つまり、上様じきじきに、商いの許しを出されたと?」


「そうなりますかねぇ」


「すごい!大出世ですね!」


「いやぁ~、へへへ。お恥ずかしい」



照れ臭そうに誇らしそうに、染介さんはうなじを撫でた。

一度(まみ)えたきりの縁でも、知人が幸福を得るのは喜ばしい。




「ですが、今日ばっかりは、商いに来たわけじゃあないんですよねぇ」



ふと、染介さんは悪戯っぽく鼻を鳴らした。



「どういうことですか?」


「まあまあ。

今に分かりますんで、ちょいとお待ちを」



勿体を付けた染介さんは、背負い篭を地面に置き、中身を漁り始めた。



「あったあった。

くしちゃ大変だと思って、底に仕舞っておいたんですよねぇ」



取り出されたのは、漆塗りの箱だった。

掌ふたつ分の大きさで、薄い長方形をしている。

握り飯を詰めるにしては、物々しい様相だ。



「ささ、どうぞ」


「なんですか?」


「文ですよ。ふ・み!」


「文……?わたしにですか?」


「左様でありやす」



受け取った箱の蓋を開けると、確かに一通の文が納められていた。

思いがけない土産に首を傾げつつ、文の裏面を確認してみると、もっと思いがけない差出人の名前が記されていた。



「うそ……。これって───」


「はい。

お嬢さんのお父上、お母上から、承って参りました」



見覚えがある、どころではない。

この柔らかい筆跡といい、間違いなく母からだ。


どうして、今になって。

別れた縁者とやり取りすることは、側室の掟で固く禁じられている。

だからこそ淋しさを押し殺して、両親は最早ないものと、自分に言い聞かせてきたのに。



「あり、ひょっとしてご存知ないです?」


「へ……。なにを、ですか?」


「此度の件、一任されてるのは、玉月さんなんですよ」



またしても、わたしにとって重要な場面で、サイさんの名前が出てくるのか。

呆然とするわたしに構わず、染介さんは続けた。



僅か五日前。

行商の道すがら、染介さんは里へ立ち寄ったという。

あの日の約束を果たすため、感謝の品々を篭いっぱいに積み込んで。


立派になった染介さんを、里のみんなも歓迎した。

中でも手厚く持て成したのがうち(・・)の両親で、互いの近況を事細かに報告し合ったそうだ。


わたしの輿入れを知った染介さんは、両親にこう話した。

雪竹城ならば、自分も馴染みがある。

成長されたご息女に、いつかお目にかかる機会があるやもしれない、と。


すると両親は、無理はしなくていいんだけどと断った上で、染介さんにある頼み事(・・・・・)をした。

そうして巡り巡ってきたのが、手元にある文というわけだ。



「なんでも、ちょっと前に、玉月さんの方からご両親宛てに書簡を出されていたとか……」


「玉月さんとお知り合いなんですか!?」


「えっ?ああ、はい。知り合いというか、まあ。面識はありますな。

といっても、玉月さんからご両親に宛てられた書簡は、アタシが届けたんじゃあないんですけどねぇ?」



単に両親からの文、というだけでなく。

サイさんから先に、わたしの両親へ送っていた。


自ら規則を破るような人じゃないのに。

上様に知れれば、辛い罰を受けるかもしれないのに。


わたしの周りで驚くべきことがあった時、必ずサイさんが一枚は噛んでいる。



「その漆器も、元は玉月さんの私物だそうで。

自分らの懐には輝きが過ぎるからと、一緒に預かってきたんでさ」


「そう、でしたか」


「ふぅ〜……。

やれやれ、肝が冷えた。無事に済んで一安心だ。

ちょうど上様のご不在が重なったのは、幸いでしたなぁ」



紙面越しに、両親とも再会。

どんなつもりで、どんな言葉を、二人はわたしに寄越したのだろうか。




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