;鬼の玉月才蔵
遡ること二年前、残暑厳しい夏の終わり。
雪竹城の新入り用心棒として、サイさんが召し上げられた頃の話だ。
当時のサイさんは流浪の身で、各地を転々としながら、路銀を稼ぐ日々を送っていた。
始末屋、掃除屋、代行屋。
有り体に言うならば、殺し屋。
人々の抱える恨み辛みを、血に変え金に変える仕事こそが、彼女にとっての生業だった。
ある日のこと。
風の便りで評判を知った上様が、サイさんを雪竹城に招いた。
"強者は強者と手を結ぶべき"。
"強者が歩むべきは、覇道にあり"。
名高い兵を支配下に置き、光倉家の威厳をより盤石にするために。
悩んだ末、サイさんは申し入れを承諾。
"雨風を凌げて、お腹いっぱい食べられて、行きずりに石を投げられない"。
人並みの暮らしを約束してもらう代償に、僅かばかりの自由と尊厳を失った。
時が過ぎ、申し入れから一月が経った、またある日のこと。
史上最年少の庭番として、サイさんの名前が挙げられた矢先で、事件が起こった。
町の男衆が、謀反を起こしたのだ。
重税の徴収、身贔屓の横行、一部隊士による弾圧行為の数々。
何より、上様の気まぐれで次々と娶られていく、乙女達の存在。
調べたところ、主犯格の多くが、身内の女を拐かされた者であったという。
"光倉の一族に目通りを"。
"返答如何によっては、実力行使も厭わない"。
城の門前にて異議を唱え、さもなくば突入すると刀を翳す男衆。
その数、目測十八人。
混迷を極める城内、慌てふためく上様。
ただでさえ由々しい事態に加え、主戦力の隊士らは外勤中。
守りが手薄となる好機を、男衆は狙って来たのだ。
"親衛隊は今しばらく戻りません"。
"呼び戻すまでには間に合いません"。
このまま攻め入られれば、本当に陥落してしまう。
交戦の準備が整うまで、どうにか持ちこたえなければならない。
決断を迫られた上様は、藁にも縋る思いで、丁か半かの賭けに出た。
たった一人、サイさんに、男衆を止めるよう命じたのだ。
彼女が選ばれた理由はふたつ。
最も強いこと、最も取るに足らないこと。
当時の上様にとってサイさんは、あくまで拾い物の小娘。
犬死にさせるには惜しいが、手塩にかける価値もなく。
放り出して時間を稼げるなら、むしろ重畳というわけだった。
しかし上様の目論見は、逆の意味で裏切られることとなる。
"劣勢だったはずでは"。
"万事休すどころか、根絶やしではないか"。
騒ぎを聞き付け、外勤より戻った隊士らは、地獄の光景を目の当たりにした。
灰色の雨がちらつく中、屍の山に埋もれた少女。
呆然と立ち尽くす彼女は、全身を返り血に染め、宵闇の空を仰いでいた。
十八人。
大の男十八人を、たった一人で全員斬り殺し、自らはほぼ無傷だったのである。
謀反騒動、鎮圧後。
徹底した残党狩りにより、関係者の殆どが捕らえられた。
下された罰は、それはそれは酷いものであったが、彼らが恐れたのは少女の方だった。
"鬼を見た"。
"雪竹城には、鬼がいるのか" 。
一心不乱に音もなく、身の丈ほどある刀を振り回す姿は、とても尋常な人間には見えなかった。
月光を映した刃の残像が、素人目に追える唯一だったと。
期待を越える成果に上様は喜び、大層な褒美をサイさんに取らせた。
だが、これで全ての終息とはならなかった。
謀反騒動を皮切りに、上様と並びサイさんまでもが、怨恨の矢面に立たされてしまったのだ。
"小さき鬼め、赦すまじ"。
"一族郎党、必ずや討ち取ってくれるわ"。
運よく逃れた残党や、男衆の遺志を継いだ同胞は、未だサイさんへの仇討ちに燃えているという。
そして、更に半月後。
諱を改めたサイさんは、"鬼の玉月才蔵"となり、ますますの憎まれ役に。
難攻不落と謳われるようになった雪竹城には、かつてを思わせる猛者は二度と現れていない。
側室の少女の脱走事件は、まだ先にして、また別のお話。
『狐の嫁入り』