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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;雨と桜と、隠れた月
23/75

;第六話 綺麗な月だな 2



「そういやお前、こないだ関係者の身内に仇討ちされかけたんだって?

柄にもなく、女を装っていたらしいじゃないか」


「………。」


「そのうえで見破られるとは、大した目利きだ。

積年の恨みってやつは恐ろしいねぇ」


「………。」



反論がないのを良いことに、俺は立て続けに挑発した。



「しかも、そんな血生臭い応酬を、あのお嬢さんの目の前でやったんだってな?

そりゃあ彼女も災難ってもんだ。お前の傍にいるやつは、命がいくつあっても────」


「ッ黙れ!!」



またしても、あの娘で鎌を掛けた途端に、玉月は反応した。

ぎろりとこちらを睨む双眸は、まさしく鬼の如き獰猛さを湛えている。

俺はたまらず生唾を飲み、歯を剥き出して笑った。



「(愉しい)」



お前の澄まし顔を暴けるのは俺だけ。

お前を怒らせるのも、抑えられない激情を引き出せるのも、俺だけ。

この世でただ一人、お前の醜い本性を弁えているのが、俺だ。



「(気持ちいい)」



とはいえ、さすがの俺も、ここまで激昂した姿は初めて見る。

取っ組み合いの喧嘩になった時でさえ、俺ばかりが逆上せあがって、さっさと一抜けを決められてしまったくらいなのに。


喜びに勝る苛立ちが沸き、噛み締めた奥歯から苦い唾液が滲みだす。



「(違う)」



どれだけ俺が手を焼いても、お前は目の色ひとつ変えなかったじゃないか。

たった数日、共に過ごしただけの娘には、こうも心揺さぶられるのか、お前は。



"お前のおかげで、目が覚めたよ"。



気に入らない。

丸くなったお前は、女々しく落ちぶれたお前なんか、ちっとも面白くないんだよ。




「ハッ、賢しいツラしやがって。あの娘の姉にでもなったつもりか?」


「な……。私はそんなこと───」


「じゃあ何だって言うんだよ。

あんなに初心うぶで綺麗な娘を、こっちの世界に引き入れようってのか?」


「そんなわけないだろ!」


「どうだか。

望もうと望むまいと、離れない限り、いずれはそうなる。

あの娘のために、お前は剣を棄てられるか?」


「それは────」



玉月の声から棘が落ちていく。

玉月の頬から艶が引いていく。

水面みなもに雫を垂らすように、少しずつ。



「出来ないだろう。

牙を抜けば、お前は何も持たない。何も残らない。

分かったら、必要以上にあの娘に近付くのはやめろ。肩入れをするな。

無情で冷徹な鬼に戻れよ。その方がずっと楽になる。

お前だって、あの娘をよごしたくはないんだろう?」



とどめを刺してやれば、玉月の瞳は涙を浮かべた。

混じりけのない、悔しさからの涙だ。


心底、綺麗だと思った。

同時に、憎らしいと思った。


その涙を齎したのは俺でも、その心に在るのは俺ではない。

俺のせいで泣くお前は、俺のためには泣いてくれない。



「(苛々する)」



どうしてお前は、俺を見ない。

俺はいつだって、お前を見ているのに。

俺を見ないお前を、俺は見たくない。



「結局、誰からも愛してもらえないんだよ、お前は」



玉月に向けた皮肉。

口にすると、自分を卑しめているようにも聞こえて、笑えた。



「しょう────」



玉月が俺の名を呼ぼうとする。

俺はこれ以上なにも言われたくなくて、言わせたくなくて、開きかけた唇に強引に口付けた。


柔らかい。のに、酷く冷たい。

玉月自身は温かいはずでも、俺は骨まで冷えていくようだった。


罪悪感に眉を寄せつつ、玉月の口内へ舌を差し入れる。

玉月の温もりを求めて、玉月と痛みを分け合いたくて。



「む、ンぐ、ッ───!」



我に返った玉月は、喉を鳴らして手足をばたつかせた。


出口が塞がっているため、訴えは言葉にならない。

必死の抵抗は、虚しい物音を立てるに過ぎない。



「(弱い)」



掴んだ手首を握り締めると、本来のかたちがよく分かる。


華奢な腕。女の体だ。

こんな棒きれのような腕と体で、一体どうして重い刀を振り回せるのか。

軽くねじってやるだけで、今にも折れてしまいそうなのに。




「………〜〜〜ッッ!」



玉月が俺の下唇を噛んだ。

正攻法では敵わないと判断したんだろう。


とっさに唇を離す。

俺の胸板を跳ね退けた玉月は、畳の上を勢いよく転がっていった。

俺は離された距離を敢えて詰めず、仰向けに座り直した。



「ゲホッ、ゴホゴホッ、く───」



起き上がった玉月は、口元を手で隠して咳き込んだ。

俺に塞がれていた分、空気を取り込んでいるようだ。


俺はそんな玉月をぼんやりと眺めながら、出血する傷口を舌で舐めた。



「突然、なにするんだ、」



落ち着きを取り戻した玉月が、上擦った声で凄む。

俺は俯き、玉月と目を合わせることを拒んだ。



「なにって、分かんだろ。接吻だよ」


「そんなことを聞いてるんじゃない!どうしてお前は───」


「理由なんかねーよ。

なんとなく、苛ついたから、嫌がらせしてやろうと思っただけさ」


「松吉……」



そこへ、何者かの足音が近付いた。

刺客にしては忙しなく、隊士にしては歩幅が狭い。

先方の家人か、こちらの側近連中だろう。


もうじきに、宴会がお開きになる頃合いだ。

上様の遣いとして、言伝にやって来たのかもしれない。


邪魔が入ったことに再び舌を打つが、こればかりは仕様がないと受け入れる。

玉月も気付いたようで、身なりを整えて備えた。



「───ああっ、才蔵殿!」



やがて障子が引かれると、廊下から上様の小姓が現れた。



「こちらにおられましたか!

なかなか姿が見えませんで、探しに来てしまいましたぞ!」



人懐こそうな笑顔が印象的な青年。

彼はまだ、雪竹城に召し抱えられて間もない。

だから、上様の本性をよく知らない。

玉月が起こした事件についても、詳しくは知らない。


知ってなお笑顔でいられるかは、考えるまでもない。



「手間をかけたようだな。すまなかった。

……して、どうした?宴の方は、もう済んだのか?」


「はい、じきに!」



小姓に対して、玉月も幾ぶん朗らかに応じた。

俺との扱いの差は雲泥だ。



「それで、ですね。

床に入られる前に、こちらの領主様が是非、お二方にもお渡ししたい物があるとのことで」



"お渡ししたい物"はともかく、"お二方"とはなんだ。

小姓の言伝が引っ掛かった俺は、玉月との会話に割って入った。



「ちょっと待て。二人ってことは俺もか?」


「はい!

上様より献上されました御進物を、たいへん気に入られたようでして。

そのお返しをしたいだとか、なんだとか……。

そんな感じのことを申されておりました!」


「ふーん……」



先方いわく"お渡ししたい物"とは、"お返ししたい物"でもあるらしい。


上様からは、高価な酒と着流しを献上したんだったか。

それのお返しとなると、あちらも嗜好品の類を見繕ったのだろう。

納得しつつ、疑問は残る。


上様へのお返しなのだから、上様お一人分を用意すれば十分なはずだ。

身分の低い俺達にまで施してやろうとは、気っ風が良いのか、自分の方が栄えていると誇示したいのか。

金持ちのすることは、やはり解せない。




「なんだか知らんが、そっちに顔出しゃいいんだな?」


「はい!

できるだけ、お急ぎくださいますように、とも……」


「あい分かった。

支度して行くから、伝えてくれるか」


「承知しました。

では、客間にてお待ちしております」



さりげなく主導権を取った俺が、玉月に代わって返事をする。

頭を下げた小姓は、来た道をそそくさと引き返していった。


早くも帯刀まで済ませた玉月は、小姓の足音が遠ざかるなり立ち上がった。

俺から背けた横顔には、怒りも激しさも残っていないようだった。



「先に出る。

手前もさっさと追い付いてこい」



仕事に私情は持ち込まない。

切り替えの早さは相変わらず。


俺にとっては、つまらないこと、この上ない。

まったく、領主のおっさんも、いい時に呼び付けてくれたもんだ。



「それと────」



障子に手をかけた玉月が、言いかけて押し黙る。

なんだよと続きを促すと、玉月は畏まった咳ばらいをした。



「今夜のことは、水に流してやるから。あのような悪ふざけは、二度とせ。

次は指をへし折る」


「……そりゃ恐いな」



思いのほか、容易く赦された。

せっかくだが、水に流してくれとは頼んでいない。

指をへし折るなどと脅されて、素直に反省してやるつもりもない。


お前は無かったことにしたいんだろうが、そうはさせない。

俺は今日という日を二度と忘れないし、忘れさせやしない。



「玉月よ」



玉月が障子を引くと同時に呼び掛ける。

動きを止めた玉月は、あくまで俺の独り言を、律儀に待った。



「お前は機微ってもんの通じねえ、朴念仁の阿呆だからな。

一応、言葉にしといてやる」



今度こそ、玉月と目を合わせる。



「俺はお前をからかうが、ふざけたことは一度もない。俺はお前に、嘘はつかない。

恨むなら恨めばいい。指だろうが爪だろうが、欲しけりゃ好きなだけくれてやる。

だが、指をやる代わりに、俺はお前の命をもらう」



"俺が仕留めるその時まで、勝手に果てやがったら承知しねえ"。

最後に俺がにやりと笑うと、玉月の瞳がきらりと光った。



「望むところだ」



障子は開けたまま、玉月が座敷を出ていく。

小姓よりも軽い足音が、惜しみのない足取りで、静寂を置いて去っていく。


息を吸えば、玉月の残り香が鼻を抜ける。

桜に似た、優しい香り。あいつの纏う、風のにおいだ。



「"望むところだ"……」



柱に凭れ、外の景色に視線を移す。

粲然たる三日月が、天高く俺を見下ろしている。



「────ふ、」



名前はある。定義もある。

人の心を持って生まれたならば、誰しも一度は落ちる穴。

飯が喉を通らない者がいれば、朝露まで慈しむ者もいるという。


名前を、知っている。

今の自分が何者かを、落ちた穴の正体を、知っている。

あいつがあいつである限り、俺が俺である限り、認めるわけにはいかないだけで。



「綺麗な月だな。ギン」



柄でもない。

指先で唇に触れれば、まだ微熱を帯びていた。






空明くうめい




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