;第六話 綺麗な月だな
「───やっぱり此処にいたか」
「………なんの用だ、非常識」
先客に遠慮なく障子を引けば、怪訝な双眸がこちらに振り向いた。
刀の手入れ中だったようで、周囲には打ち粉やら拭き紙やらが並べられている。
"人の部屋に立ち入る際は、立ち入って良いかを予め断るべし"。
奉公人なら誰でも身に付く作法とはいえ、上様以外にそんなことを気にする俺ではない。
引いたばかりの障子を閉め、畳の上にどっかりと胡座をかく。
玉月は更に眼光を鋭くしつつも、出ていけとは追い返さなかった。
身分的には俺が上だし、言う通りにならない相手だと、理解しているのだろう。
教育の賜物だな。
「まったく職務怠慢だな。
腐っても用心棒のくせに、こんな離れの座敷で油売りとは」
「上様は先方と晩酌中だ。
その傍らに三人、外の見張りには五人の隊士が控えている。
刺客でも差し向けられん限り、私の出る幕はない」
「堅物だねぇ。
ここいらにゃ脅威がねぇってことくらい、俺だって分かってらぁ」
「ならばなんだというのだ。
暇の許しはもう得ている。怠慢などと貶される筋はない。
手前は私をからかうために、こんな離れの座敷まで、わざわざ足を運んだのか?ご苦労なことだ」
さも迷惑そうに、玉月は早口で捲し立てた。
そうだ、図星だ。
確かに俺は、コイツをからかいに来た。
どうせ一人でいるのだろうと、感傷に浸っているに違いないと、分かっていたから。
「くっくっく。今夜はいつにも増して気が強いな。
まだ山賊どもの肉の感触を忘れられないか?」
玉月が作業の手を止める。
俺はしてやったりとほくそ笑み、数刻前の出来事を反芻した。
道中、俺たち一行に無謀にも仕掛けてきた、頭の悪そうな山賊どものことだ。
あんまり歯応えがなかったんで、俺と玉月だけで始末してしまったが、殺しは殺し。
山賊だろうと殿様だろうと、酷くやろうと楽にやろうと、命を奪ったことには違いない。
コイツが一人になりたがる理由なんざ、それしか思い付かなかった。
「そんなこったろうと思ったよ」
返事を促す前に、駄目押ししてやる。
玉月は俺に一瞥くれると、無言のまま作業に戻った。
なんだよ、無視かよ。
空振りに舌を打つも、めげずに突っ掛かる。
「ケッ、鬱陶しいやつだ。
たかが山賊だろ。縁がなければ仇討ちの心配もない。
上様の行く手を阻む者は、誰あろうと斬り伏せる。それが俺たちの仕事だ。違うか?」
「用がないなら出ていってくれるか。気が散る」
「───ッ、てめえ……!」
なぜ、なにも言い返さない。どうして怒らない。
昔のお前だったら、負けずに吠えて、噛み付いてきたはずだろうが。
いつからそんな、人間くさい顔をするようになった。
「あーあ、気色の悪ィったらねぇや。これまで何人殺ったと思ってる?
昔のお前は、もっと割り切れていただろう。なあ?」
「………。」
「……ああ、そうか。あのお嬢さんか」
沈黙が居た堪れなくて、俺はふと鎌を掛けた。
すると玉月は、途端に感情を発露させた。
「───ッ姫様は関係ない!!」
突然の怒号が鼓膜を貫き、余韻が座敷中に響き渡る。
"あのお嬢さん"が誰を指すかは、俺は明言していない。
にも拘わらず、玉月は激しく反応した。
とどのつまり、例の新妻が、玉月の脳裏に陣取っていたということだ。
恐らくは、俺がからかいに来るより、ずっと前から。
なるほど、読めたぞ。
山賊ごときに躊躇しやがったのも、いつぞやの孤高主義をぶり返したのも。
あの娘が、お前の新しい弱点だ。
「いいから、もう出て行け。
私も後で、控えの連中と交代を────!」
仕上げた刀を鞘に納めながら、玉月は浅く溜め息を吐いた。
俺は玉月の肩を後ろから掴み、力いっぱいに引き寄せて押し倒した。
畳に背中を打ち付けた玉月は、反射的に目を瞑って呻いた。
俺はすかさず玉月に覆い被さり、玉月の腹に跨がった。
少し遅れて状況を把握した玉月は、珍しく狼狽えた表情に変わった。
そうだよ、これだよ。
俺はお前の、こういう顔を見たかったんだよ。
「どけ、松吉。手前の悪ふざけに付き合っている暇はない」
「なんだ、暇をもらったと言わなかったか?」
「それとこれとは別だ。
手前こそ、上様に酌の一つでもして来てやったらどうだ。親衛隊長だろう?」
圧倒的不利の状況に於いても、玉月は毅然とした態度を崩さなかった。
上様にお酌をしてやれなどと、また面白い冗談を言ってくれる。
「ハッ、手前味噌で茶々くりあってる最中にか?やなこった」
俺の物言いに驚いたのか、先程とは違う意味で玉月の目が見開かれる。
「随分な言いようだな。
上様の耳に入れば、仕置きは免れんぞ」
コイツの慧眼なら、とっくに看破していると思ったが。
どうやら俺には、自負以上の才があったようだ。
「この俺が、あの青二才めに、本心から忠誠を誓っているとでも?
鈍ったか、野暮天め」
"上様"と聞けば、締まりのないニヤケ面が真っ先に浮かぶ。
今頃は、この町の領主とやらと酌み交わし、互いの自慢話で花を咲かせていることだろう。
ああ、くだらない。
金持ちってやつは、本当にくだらない生き物だ。
あんな馬鹿どもに侍ってやるくらいなら、コイツで遊ぶ方がよほど有意義だ。
「俺が奴に従うのは、お誂え向きだからさ。
城主の側近ってのは待遇がいいからな?適当にへこへこ頭下げて、そつが無いフリをしておけば、望むものは大体手に入る。
おまけに、人を斬っても罪に問われねぇときた。
とんだシミッタレの、割に合った御役目だよ」
「……明日にでも私が告発してやろうか」
「やりたきゃやれよ。
もっとも、その時は俺と共倒れ───、いや。
心中の可能性もあるってことを忘れんなよ」
嗜虐心が抑えきれず、つい意地悪な言い方をしてしまう。
生真面目なコイツに、人の寝首を掻くような卑劣が出来ないことは、百も承知している。
俺同様に、あるいは俺以上に、上様を軽んじた底意もお見通しだ。
いくら目の敵といえど、仮にも身内を売ってまで、自分を立てるやり方は好まないはず。
「(上様と俺、どっちも同じだけ嫌いなら、せめて俺を選んでくれるだろう?)」
そのうえ今のコイツには、身一つで動けない事情がある。
俺達ほどの手練ともなれば、お尋ね者にされたところで、屁の河童だというのに。
かわいそうに。
守りたいだとか、失いたくないだとか。
えらく煩わしい重荷を背負ったな、玉月よ。
「なんでも構わんが、いい加減そこを退け。邪魔だ」
逃がれようと藻掻く手首を、いっそう強い力で畳に縫い付けてやる。
第三者が引き剥がしにでも来ない限り、俺の囲いから自力で脱することは不可能だろう。
「くそったれ……」
どうにもならないと観念したのか、玉月は弱々しく外方を向いた。
露になった首筋が、行灯に照らされる。
婀娜に誘われた獣が、俺の中で目を覚ます。
「いい格好だな、玉月。
こうしていると、本当に女みたいだ」
「チッ」
「いかに剣の腕が優っていようと、剣を持たねば赤子同然。
捩じ伏せられてしまえば、お前は男の力に抗えない」
「五月蝿いな。くどいぞ松────」
「鬼の名が泣くぜ?雪竹城の介錯さんよ」
"鬼"という言葉に、玉月の肩がびくりと揺れる。
表しがたい不快感が、明らかな嫌悪感へと塗り替わっていく。
ああ、可笑しい。
獅子をも負かす威勢はどこへやら、小さく怯える様子はまるで、捨てられた子猫のようじゃないか。
「あの頃と比べると、人臭くなったものだな?
いつも能面のような顔をして、てっきり心を失くしたかと思ったが」
雪竹城には鬼が出る。
いつからか、そんな噂が広まっていた。
部隊鎮圧の夜。
血の海に佇むコイツを目撃した某が、町中に触れ回ったんだそうだ。
あれは角持たぬ鬼、化生の類に違いないと、怖れと蔑みの念を込めて。
当時の俺は巡回に出ており、現場に到着した頃には事後だったわけだが、それはそれは驚いたもんさ。
たかだか齢十四の小娘が、全身を返り血に染め、死屍累々を御覧じていやがったんだから。
美しいと、怖ろしいと、勝てないと。
コイツになら、剣豪の座を譲ってやっても惜しくはないと、思った。
憧れすら懐いてしまったのだ。
不遜で狡猾な、この俺がだ。




