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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;ウキ編 めばえの章
21/75

;第五話 それでも、あなたは知りたい? 3



「玉月さんは、

───遂行、したんですか、命令を」


「いいえ。むしろ、その逆」



"むしろ"。"その逆"。

サイさんは、命ぜられた任を遂行しなかった。

最悪の展開を避けられて何よりだが、まだ安心はできない。


結果()に失敗だったと、沙蘭さんは言った。

サイさんは少女を殺めていないが、すべてが丸く収まったわけでもない、ということだ。



「才蔵はね、逃がしてやろうとしたのよ」


「逃がす……?

わざと、命令を無視したと?」



沙蘭さんは、まるで我がことのように、誇らしげに続けた。



「上様の命を受けた才蔵は、ただちに脱走者の討伐へ向かったわ。腰には刀を差してね。

けれど、それを抜くことはしなかった。

自分が時間を稼ぐから、その間に出来るだけ遠くへ逃げるようにと、才蔵はあの子の背中を押したのよ」


「サイさんが……」



やっぱりサイさんは、残忍な人斬りなんかじゃなかった。

事の顛末がどうあれ、人助けのため奔走した。

哀れな少女に一時でも、救いを齎そうと尽力したのだ、あの人は。


しかし、胸を撫で下ろしたのも束の間。

語られる物語の最後は、とても悲しく、苦かった。




「あの子を送り出した後、才蔵は手土産を一つ持って、上様の元へ参じたわ」


「手土産?」


「髪よ。あの子の髪を一房刈って、自分の手拭いにくるんだの」


「なんのためにですか?」


「証拠、かしらね。無事に役目を果たしてきたと、信じ込ませるために。

実は嘘だったと看破されても、あの子が逃げ果せるには十分と考えたんでしょう」


「でも、失敗に終わった、ですよね……?」


「……筒抜けだったのよ、ぜんぶ。最初から。

こんなこともあろうかと、他の隊士に才蔵の足取りを追わせていたの」


「な────」



当時を思い返しているのか、沙蘭さんの声が怒りに震えだす。



「だったら、なんで、なんでサイさんに────」


「それも含めて試す、ってことなのよ。残念ながら」



わたしは少女の身内じゃない。

現場に居合わせたのでもない。

とある昔話として、又聞きをさせてもらった程度の、第三者に過ぎない。


それでも、又聞きをした分にも、想像をしただけでも。

わたしまで、我がことのように、胸が張り裂けてしまいそうになる。

当時のサイさんを思うと、不憫でたまらない。



「サイさんは、その子は、どうなったのですか」


「……才蔵・・は、罰せられたわ」


「どんな風に」


「体罰。拷問と言ってもいいかもしれない。

痛み苦しみを与えて、無理矢理に従属させようってことだったんでしょうね」


「その時の、サイさんは」


「ただの一度も、声を上げなかった。じっと歯を食い縛って、耐えていたというわ。

あの子を助けられなかった自分を恥じるように、戒めるように」


「"たすけ、られなかった"……?」


「ええ」



わたしが初めて、上様に目通りをした時。

ほんの一瞬、彼女が上様を睨んだのを、わたしは見た。


ずっと見当がつかなかったが、今なら分かる。

サイさんは、上様を嫌悪し、軽蔑しているのだと。



「才蔵を付けていった奴らが、内々に始末したそうよ」



沙蘭さんの表情や雰囲気から、明るい結末を迎えられないことは、予感していた。

予感していたのに、いざ突き付けられた現実を、受け止めきれない。

サイさんと少女、二人を襲った悲劇に、涙が溢れて止まらない。


昨年の秋頃となると、最近だ。

サイさんの心に刻まれた傷は、まだ癒えていないはずだ。


あんなに優しい人に、そんなに痛ましい過去があったなんて。

気が付かなかった。気が付けなかった。

わたしは本当に、無知だ。




「ウキちゃん、」



みっともないと承知しつつ、わたしは咽び泣いた。

沙蘭さんは、わたしの丸まった背中を摩りながら、申し訳なさそうに呟いた。



「やっぱり、まだ早かったわね」



わたしは静かに首を振り、普段の二倍も三倍も重く感じる体を起こした。



「ここに、身を、置かせて頂く、一人として。知っておかなければ、ならないことだと、思います。

沙蘭さんが、構わないのでしたら、続きを話してください」



涙を拭い、沙蘭さんを見据える。

沙蘭さんは呆気に取られてから、"わかった"と咳ばらいをした。



「また話を戻すけれど、どうしてあなただけが優遇されるか、だったわね」


「はい」


「……あの方も、脱走の件を経て、少しは懲りたみたいでね。

縁の間のしきたりも、当初と比べると緩和されたように思うわ。

とりわけ、ウキちゃんのことはお気に召したようだし。あなたにだけは嫌われたくないのよ、きっと」


「嫌うなんて、とんでもないです」


「そうよね。あなたは優しい子。

でも、いつ心変わりされるか分からない。上様はそれが怖いのよ。

だから存分に持て成して、あなたの嫌がることは絶対にしないはず。

あの時のように、ここから逃げ出したいなんて気を、起こさせないためにもね」




行き届いた厚遇は、わたしを留め置くための手段。

親しみ易い言動は、わたしをがさないための虚構。


上様に対する印象が、この短期間でがらり(・・・)と変わってしまった。

自分の短絡さや薄情さに、自分で呆れてしまうほどに。



無論、感謝の気持ちは変わらない。

自分が如何に恵まれているかも、理解が深まった。


ただ、これから、どうしよう。

残忍な本性を知った上で、わたしはまた、上様の前で笑えるだろうか。




「本当に大丈夫?一気に色々言い過ぎちゃった?」


「そんなことはありません。

お陰様で、頭の中を整理できました」


「そう?なら良かったけど───」



障子戸越しに、廊下を駆ける足音が響いてくる。

恐らくは女中だろうが、わたしと沙蘭さんは息を止め、足音が遠ざかるのを待った。



「……とにかく、あの方の機嫌を損ねないよう、気を付けること。

あなたなら、多少のわがままも聞き入れてもらえるでしょうし、あなたが拒めば、迂闊に手を出せない。

だから、笑いなさい。どんな時も。

辛くても悲しくても、あの方に余計な勘繰りをさせては駄目よ」


「はい。肝に銘じます」



改めて、身が引き締まる。

周りの意見も取り入れながら、自分の頭で考える癖をつけなければ。




「───さてと。

そろそろ、お暇させてもらいましょうか。

あんまり長居をすると、迷惑になるものね」



一区切りついたところで、沙蘭さんがお帰りになろうと腰を上げた。

わたしは不躾にも、沙蘭さんの手首をとっさに掴んでしまった。



「あら。まだ何か、聞きたいことがあった?」


「あ……。え、と───」



まだ、行かないでほしい。

まだ知りたいことが、一番に聞きたいことが残っているのだ。

自分から引き留めるのは忍びなく、目線だけで訴える。



「……今出ていくと、変なのに捕まりそうだし。

もうちょっとだけ、ご厄介になってもいいかしら?」


「は、はい。喜んで!」



あえて抑揚なく断って、沙蘭さんは座り直した。

わたしの訴えが通じたというか、察してくれたらしい。



「ちなみに、お時間の方は……?」


「平気。今日から三日は、城に留まるつもりだから。

その間は暇人なの、私」


「三日……。

三日が空けたら、またどこかにお出かけになるのですか?」


「お出かけってほど、大した用じゃあないんだけどね。

ほら、ここって退屈でしょう?ついつい町を出歩きたくなって、城にいる方が少ないくらいなのよ」


「そ、そうだったのですか」


「ふふ、そうだったのです」



空気を一新するように、沙蘭さんは冗談めかして笑った。

相手に気を遣わせない気遣いを、沙蘭さんは心得ておられる。



「だから遠慮しないで。ウキちゃんが話し相手になってくれるなら嬉しいわ。

聞きたいことでも、言いたいことでも、私で不足がなければ、なんでも答えてあげるわよ」



とはいえ、上様の奥方(・・・・・)

ただでさえ忙しくされているそうだし、これ以上の手間をかけさせるわけにいかない。

"なんでも"のお言葉に甘えて、単刀直入に尋ねるとしよう。



「沙蘭さんは、玉月さんとは親しい間柄なのでしょうか?」


「才蔵と?うーん……。

親しいかと言われれば、そうでもないし。かといって、不仲というわけでもないし……。

そもそも、あまり接点がないわね。彼とは」


「そうですか……」


「知りたいのは、才蔵のこと?」


「はい」


「いいわ。あなたが聞きたいというなら、教えてあげる。

具体的に、まず何から話せばいいかしら」



うっすらと眉を寄せた沙蘭さんだが、はぐらかさないと約束してくれた。




「実はわたし、先日、玉月さんと一緒に町へ出たんです────」



一緒に過ごすうち、サイさんの笑顔が増えていったこと。一時的にでも、名前で呼び合えるようになったこと。

途中で別行動になり、サイさんが戻ってこなかったこと。探しに出た先で、見知らぬ男に絡まれていたこと。

そしてその男を、サイさんが殺めたこと。


本題に入る前に、わたしからも話をした。

先日あった事件について、わたしとサイさんの関係性を含めて。



「あの時、男はサイさんに向かって、"鬼"と叫んでいました。

男がサイさんを嫌っているだろうことは、傍目にもよく分かりましたが、殺そうとするほどとは……」


「そう……。なるほどね」



口元に人差し指を添え、沙蘭さんは思案に耽った。



「沙蘭さんは、ご存知ないですか?

男とサイさんの間で、何があったのか。

"鬼"って、一体どういう意味なんでしょう?」



推測だろうと伝聞だろうと構わなかった。

わたしと余人とで、認識の差があるかを、まず知りたかった。



「思い当たる節は、あるわ。

ただ、私は当事者でなし、まことを外れた意見になるかもしれない。

構わない?」


「ぜひ」


「あと────」



わたしの肩に、沙蘭さんの手が乗せられる。



「辛いわよ」


「え?」


「さんざん脅してきたけれど、その件については比じゃない。

知ったら最後、二度と才蔵と笑い合うことは出来ないかもしれない。

それでも、あなたは知りたい?」



本音を言うなれば、躊躇はある。

同時に、もっと知りたいとも思うのだ。


サイさんのこと、サイさんを取り巻く者たちのこと。

サイさんとわたしに訪れるであろう、未来のことを。


だからきっと、後悔はしない。

たとえ、彼女の抱える闇が、わたしには重すぎたとしても。






栗花落つゆり



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