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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;ウキ編 めばえの章
20/75

;第五話 それでも、あなたは知りたい? 2



「───いい部屋を貰ったのね」



わたしの私室へ案内すると、沙蘭さんは感嘆の吐息を漏らした。


以前までは、来客用の応接間として使われていたという部屋。

訪れた者は口を揃えて、縁側から望む桜が絶景と喜んでいたそうな。



「沙蘭さん」



畳の上に二人分の座布団を敷き、沙蘭さんと向かい合わせで座る。



「先程は、まことに、申し訳ありませんでした。

上様の奥方様とは知らずに、わたし────」


「あら、そんなこと気にしていたの?構わないのに。

私のことは、"近所のお節介なおばさん"程度に思ってくれていいのよ?」



恐縮するわたしに反して、沙蘭さんはあっけらかん(・・・・・・)と声を弾ませた。



「そ、そんな滅相もありません!」


「うふふ、ウキちゃんは素直ねぇ。つい、からかいたくなっちゃうわ」



わたしが慌てて首を振ると、沙蘭さんは可笑しそうに笑った。

気さくな態度は上辺だけでなく、本心から振る舞ってくれているようだ。


正室と側室。妻と妾。

実のところ沙蘭さんは、わたしの存在をどう認識しているのだろうか。

麻菊さんと違って敵意は感じないが、腹に一物くらいは抱えていたりして。


弧を描く瞳に、自分の姿が映り込むたび、妙に後ろめたい気持ちになる。




「ほんと、噂どうり、天真爛漫で可愛い子。

真っすぐ過ぎて、却って心配になるくらい」


「先程も仰ってましたが、わたしのことが噂になっているのですか?」


「もちろんよ。

これまでも、たくさんの側室を迎え入れてきたけれど、あなたほど優遇された子はいなかったわ」


「そうなんですか?」



数いる側室の中でも、わたしは特別に優遇されているのだと、沙蘭さんは言った。

手厚くしてもらっている自覚はあれど、比較対象がなかったために、自分だけ(・・)が特別だとは気付かなかった。



「目をかけてもらっているとは感じましたが、てっきり、他の方々も同じとばかり……」


「まさか!あなただけよ。他の子らはもっと────」



沙蘭さんが途中で言葉を詰まらせる。

笑みを湛えていた顔も、弧を描いていた瞳も、みるみるうちに影を落としていく。



「沙蘭さん……?」


「……ええ、ええ。

無知を強いるのは、とても罪深いことよね」



自らに言い聞かせるように、沙蘭さんは二度頷いた。



「ウキちゃんは、

───上様のことを、どう思っているかしら」


「どう……、といいますと?」


「あなたから見て、あの方はどういう人間に映っているか、ということよ」



上様とは、どのような殿方であるか。

接点は少ないながらも、覚えた印象を数えてみる。



「そう、ですね。えっと……。

優しくて、雅やかで、わたしのことを、よく気にかけてくれて……。

失礼な言い方かもしれませんが、いい人だなと、思いました」


「そう……。

ごめんなさいね、急に変なことを聞いて」


「いいえ……」



素敵な私室を与えてくれたこと。素敵な衣装を拵えてくれたこと。

外出を許してくれたこと。わがままを聞き入れてくれたこと。

わたしが齢十五を迎えるまで、正式な婚礼は待ってくれること。


いずれも、わたしの身に余るご厚情ばかり。

この人となら、なんとかやっていけるかもしれない。

望まぬ縁談ではあったけれど、せめて相手が、この人で良かった。


昨日までのわたしは、確かにそう思っていた。




「こんな話、告げ口をしているみたいで、いい気はしないのだけれど。

あなたも、ここに身を置く女の一人。遅かれ早かれ、必ず思い知ることになるでしょうから、先に私が警告しておくわ」



沙蘭さんが姿勢を正す。

わたしも釣られて背筋が伸びる。



「少し長くなるかもしれないけれど、聞いてくれるかしら?」


「……はい」



今までの流れからして、上様に纏わる話と推測できる。


しかし、思い知る(・・・・)とは。

沙蘭さんは上様に対して、あまり良い感情を持っていないのだろうか。



「ウキちゃんは、縁の間について、どこまで知っていて?」


「サ、───玉月さんから、そこには立ち入らないようにと、言い付けられていました。なので、実情は全く。

先程の、麻菊さん?が、側室の住み処だと仰っていて、そんなことも、わたしは知らなくて……」


「そう。そうよね。ええ。

じゃあ、一から説明するわね」



張り詰めた空気が、肌を刺して痛い。



「お願いします」



呼吸の仕方さえも、忘れそうになるほどに。




**


縁の間とは、選ばれし乙女たちの極楽である。

そんな大法螺を、誰が最初に吹き始めたのか。


実情は真逆。

雪竹城に招かれた側室は、そこに寄せ集められ、質素で厳格な暮らしを強いられているという。


許可なく広間を出ることは禁止。内輪のみの贅沢や手習いも禁止。

一服の談笑には制限がかけられ、不当な物言いがあれば直ちに処断される。

上様からの求めには必ず応じ、上様以外の男性とは一切の交流を絶たねばならない。

たとえ相手が、血の繋がった縁者であっても。


自由を奪われ、名前を奪われ、友人を、家族を、半生を奪われ。

やがて女としての喜びを、人としての尊厳を失い、自らが何者であるのかさえ忘れてしまう。忘れさせられてしまう。


極楽とは程遠い。

縁の間とは即ち、粉飾に閉ざされた座敷牢も同然なのである。




「───あそこに住まう女の子達はみんな、自分を籠の鳥だって言うのよ。

翼をもがれた、足枷つきの金糸雀カナリアだって」



なにも、知らなかった。

皆がどれほど辛い思いをしているか、自分がどれほど恵まれているか。

今なら、麻菊さんの敵意にも納得だ。



「どうして、側室の皆さんだけが、そのような扱いを受けるのですか?

女中さん達よりも制約が厳しいだなんて……」


「単純な話よ。あの方は独占欲が強いから。

自分のものは固い箱に閉じ込めて、他の誰もさわれないよう、仕舞っておきたいの」


「では、なおさら、わたしがこうして、自由にさせてもらえる理由が分かりません」


「……そうね。

それはまた、別の話になるわね」



"ここから先は、もっと辛い内容になるけれど、どうする?"。

"やっぱり、今日はやめておく?"。

膝の上で結んだわたしの拳に、沙蘭さんの指先が触れる。


覚悟、なんて大層な心構えは出来ていないけれど。

いつかはぶつかる(・・・・)壁ならば、先延ばしにはしたくない。

自分だけの平穏など、受け入れられるはずもない。



「わたしは、大丈夫です。どうぞ、お気遣いなく」



わたしが頷くと、沙蘭さんも頷き返してくれた。



「昨年の秋頃……、だったかしらね。

側室の子の一人がね、脱走を企てた事件があったの」


「逃げようとしたんですか?」


「そう。

不満を抱えていたのは、みんな一緒だったんだけれど。その子は特に世間知らずで、堪え性がなくてね。

想像していた暮らしとは、まるで正反対だったものだから、嫌気が差してしまったのよ。

こんなところに幽閉されたまま、生涯を終えるくらいなら、いっそ死んだ方がマシだってね」


「それで、その子は……?」


「賭けに出たわ。

脱走に成功したなら、故郷こきょうへ帰れる。

失敗したなら、死罪の可能性だってある」


「結果は、賭けは、どうなったのですか?」


「……あなた、才蔵に世話してもらってるんだったわね」


「え……」



また、サイさんの名前が出てきた。

脱走の件にサイさんも関与している、のか。



「はい。いつも、とても、お世話になっています」


「……話を戻すけれど、脱走は───。

結果的には、失敗に終わったわ」


「結果()には?」


「ええ。

その子が行方をくらましたことは、割とすぐ発覚したの。

みんなで口裏を合わせて、なんとか隠そうとしたんだけれど、駄目だった。

道すがら、門番の一人に目撃されちゃったみたいでね。

あっという間に、上様の耳に入った」


「はい」


「そこで、白羽の矢が立ったのが、才蔵だったの」



ここでサイさんの出番ということは、まさか。

お願いだから、思い違いであってくれ。



「才蔵の剣の腕は、ここの誰より秀でていたし、誰しも彼の強さを認めていた。

……だからこそ、かしらね。上様は試したかったのよ。才蔵が本当に、信頼に足る用心棒かを」


「はい」


「見つけ次第、その子を斬り殺すようにと、才蔵は命じられたのよ」


「そんな……!」



ひどい。あんまりだ。

脱走を図った罰にしては、いくらなんでも重すぎる。

しかも、そんな非情な役目を、あの(・・)サイさんに命じるなんて。



「ほんとに、本当に、上様がお命じになったことなんですか。

その子を、───殺すようにと」


「信じがたいでしょうけれど、事実よ。

一見すると優男のようでも、内には恐ろしく残忍なものを飼っている人なの。

箍が外れたら最後、高ぶりが鎮まるまで、あの方は自分の名前すら思い出せない」


「上様が……」



すべて、作り物だったというのか。

わたしが拝してきた上様は、仮初めのお姿だったのか。


一から数えた上様との思い出が、わたしの中で音を立てて崩れていく。



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