;第五話 それでも、あなたは知りたい?
「───アナタが噂の新入りかしら」
「え?」
淀んだ気持ちを紛らわせようと、中庭で風に当たっていた時だった。
背後から声を掛けられ、振り返ってみると、見知らぬ人物が廊下に立っていた。
艶やかな打掛を纏い、やや濃いめの口紅を差した、若い女性だ。
女性の左右には、これまた見知らぬ女中が二人控え、女性を前に立てている。
わたしは内の誰とも面識がないが、彼女らの関係性は窺い知れた。
「噂の───、かどうかは分かりませんが……。
はい、わたしは新入りです」
「やっぱり。そう。アナタが例の、ねえ?」
女性は不愉快そうに鼻を鳴らすと、わたしに鋭い目を向けた。
「どれほどの女かと思ったら、なによ。ぜんぜん大したことないじゃない。
上様も、こんな乳臭い娘っ子のどこをお気に召したのかしら」
嫌味のつもりか、大きな独り言なのか。
女性は、わたしへの敵意を剥き出していた。
「ああ見えて、男を手玉に取る気があるのかも」
「初花も済ませたばかりのようで、末恐ろしいこと」
口元を袖で覆った女中たちも、わざとらしく密談を交わす。
わたしの全身をじろじろと眺めては、女性にひそひそと耳打ちし、"ねえ"と声高に頷き合う。
どうやら、わたしは三人ともに嫌われているらしい。
面識がない以上は、思い当たる節もなく。
どうすべきか、反応に困る。
「あの、すみません、わたし……。
ここへ来て、まだ間もないもので、あなた方のことを存じていないんです」
相手の出方がどうあれ、こちらに敵対する意思がないことは伝えなければ。
礼節を弁えつつ、女性の素性にも言及する。
「でしょうね。
才蔵のやつが、何やら目論んでいたようだし?」
「えっ、サイさんが……?」
女性の口から唐突に、サイさんの名前が出てきた。
"目論み"とやらに関しては見当もつかないが、女性にとっては嫌な出来事だったらしい。
眉間にこれでもかと皺を寄せて、跡に残りそうなほどだ。
「目論むとは、どんな……?」
わたしが聞き返すと、女性は溜め息を吐いた。
「アナタ、縁の間へは近付くなと言い付けられていたんじゃない?」
えにしの間。
確かに、その名には覚えがあった。
雪竹城の本丸には、ふたつの大広間がある。
うちの一つ、表向きにされている方が、"結の間"という。
通称"謁見の間"とも呼ばれ、主に上様への目通りに用いられる場所だ。
もう一つが、本丸の末端に設けられた、"縁の間"。
こちらの用途は不明だが、敷地の案内をしてくれた時に、サイさんが言っていた。
この向こうへは決して、近付いてはならないと。
そも雪竹城の本丸とは、上様の寝所を始めとした、関係者の居住区間となっている。
上様の側近や、住み込みで働く女中などがそうで、わたしの私室として与えられた座敷も、これに含まれる。
ところが縁の間だけは、長い回廊の先に隔離されていた。
余人がうっかり立ち入ってしまわぬよう、厳重な扉まで拵えて。
なぜ、同じ本丸で隔てるかは知らない。
ただ、わたしはサイさんの言い付けを守っている。
縁の間へ近付くことも、話題に上げることも、極力していない。
わたしは知らない方が良いのだろうと、自分に言い聞かせながら。
回廊の前を通るたび、どこか不穏な気配を感じながら。
「はい。あそこには入らないようにと言われて……」
「ハッ、やっぱりね。失礼しちゃう!
これじゃあまるで、私たちが黴菌みたいじゃない!」
「それは、どういう……?」
「縁の間っていうのはね、私たちの住み処なのよ。
上様の側室───、つまり囲われた女は、皆あそこで過ごしているの。罪人のようにね」
女性が早口で捲し立て、女中たちが小声で同意する。
まさか、縁の間が側室用の寝所だったとは。
どうりで、当事者の姿を見掛けないわけだ。
「(私室を与えられたのは、わたしだけ……?)」
サイさんからの言い付けが、尚更わからなくなった。
婚礼を控えた身といえど、わたしも上様の側室となる立場だ。
なのに古参の彼女らとは別で、わたしの方が手厚く遇されている。
婚礼前と婚礼後の差に過ぎないのか。
そうならそうと、どうしてサイさんは説明してくれなかったのか。
「アナタとこうして顔を合わせるのだって、本当ならもっと前に出来ていたはずなのよ」
「そうなんですか?」
「そうよ!何度もアナタの部屋を訪ねに行こうとしたんだから!
上様の新しいお気に入りが、どんな女か確かめてやろうってね!
それを────」
わなわなと全身を震わせた女性が、かっと目を見開いてこちらに詰め寄ってくる。
わたしが思わず後ずさると、女性は下唇を噛んで、わたしの肩を突き飛ばした。
「なんなのよ!才蔵のやつまで、私を悪者扱いして!
私が何したってのよ、こんな……。ちょっと話をしたかっただけなのに、ことごとく邪魔をして……!」
「姫様、騒ぎになります」
「どうかお静かに───」
「お前たちは黙っていて!」
瞳を潤ませて怒鳴る女性と、慌てて制止をかける女中たち。
先の発言から察するに、サイさんと女性との間で一悶着あったらしい。
ひょっとしてサイさんは、わたしとこの人を会わせたくなかったんだろうか。
今のように辛く当たられたり、嫌がらせをされるかもしれないと、懸念したから。
だから、わたしに悟られぬよう、密かに手を回していたのか。
わたしを、傷付けないために。
「なんとか言ったらどうなのよ!」
押し黙るわたしが気に食わなかったのか、女性は再びわたしを突き飛ばそうとした。
「───おやめ!」
すると、どこからか第三者の喝が割って入った。
動きを止めた女性と同時に、喝の飛んできた方へ振り向くと、廊下の奥で人影が揺れた。
女性とは異なる色合いの打掛を纏った、三十代ほどのご婦人だった。
「麻菊、この子を離しておやりなさい。
こんなことをしても、あなたの気持ちが晴れるわけじゃない。
自分でも分かっているでしょう?」
こちらに歩み寄ったご婦人は、麻菊と呼ばれた女性の背中を撫でた。
「ですが、沙蘭さま───」
「言いたいことは分かる。けど、この子には何の罪もない」
「………。」
「さ、ここは私に任せて。
面倒になる前に、お行きなさい」
「……わかりました」
穏やかながら力強い説得に、高ぶりが鎮められたのだろう。
意気消沈した麻菊さんは、女中たちを連れて去っていった。
三人が居なくなってから、ご婦人はわたしに向き直った。
「ごめんなさいね。
彼女、頭に血が昇ると、ときどき抑えが利かなくなってしまうのよ。
どうか気を悪くしないでちょうだいね」
ご婦人の温かい両手が、わたしの冷えた右手をそっと包む。
「いいえ、その……。取り持って頂いて、ありがとうございました。
えっと……。シャラン、さま?」
「うふふ、様はいらないわ。
私のことは気軽に、"沙蘭さん"と呼んでね。ウキちゃん?」
柔らかい笑顔と物腰が印象的なご婦人は、沙蘭と名乗った。
麻菊さんが様付けで呼んだほどだから、相当に位の高い人物であるのは間違いない。
「わたしを、ご存じなのですか」
「ええ。よく、話に聞いてるわ」
沙蘭さんも、わたしを知っているのか。
わたしは沙蘭さんも麻菊さんも、存在すら知らなかったのに。
「挨拶が遅くなって、すまなかったわね。
ついこのあいだ、城に戻ってきたところなの」
手を離される。
沙蘭さんをお見掛けすることがなかったのは、単に不在にしていたからのようだ。
「どこか、お出かけになっていたんですか?」
「ちょっとね。
───そんなことより、もっとちゃんと、ゆっくり話をしない?
私の部屋で、と言いたいところだけど……。
あそこは周りがうるさいから、あなたの部屋にお邪魔してもいいかしら」
「は、はい。もちろんです」
沙蘭さんも私室を持っている。
であれば、麻菊さんら側室の筆頭、という線は違うかもしれない。
「ところで、あの……。
重ね重ね失礼ですが、わたし……。
沙蘭さんのことをよく知らなくて、えっと……」
「ああ、そうよね。うっかりしてたわ。
こちらはまだ、名前しか教えていないものね」
失礼を承知で、わたしは尋ねた。
沙蘭さんはおどけたように、目を丸くして笑った。
「私は沙蘭。光倉郷舟の正室。
つまり、上様の奥さんってことね」
予想以上の答えに、今度はわたしが目を丸くしてしまった。