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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;ウキ編 めばえの章
19/75

;第五話 それでも、あなたは知りたい?



「───アナタが噂の新入りかしら」


「え?」



淀んだ気持ちを紛らわせようと、中庭で風に当たっていた時だった。

背後から声を掛けられ、振り返ってみると、見知らぬ人物が廊下に立っていた。

あでやかな打掛を纏い、やや濃いめの口紅を差した、若い女性だ。

女性の左右には、これまた見知らぬ女中が二人控え、女性を前に立てている。


わたしは内の誰とも面識がないが、彼女らの関係性は窺い知れた。



「噂の───、かどうかは分かりませんが……。

はい、わたしは新入りです」


「やっぱり。そう。アナタが例の、ねえ?」



女性は不愉快そうに鼻を鳴らすと、わたしに鋭い目を向けた。



「どれほどの女かと思ったら、なによ。ぜんぜん大したことないじゃない。

上様も、こんな乳臭い娘っ子のどこをお気に召したのかしら」



嫌味のつもりか、大きな独り言なのか。

女性は、わたしへの敵意を剥き出していた。



「ああ見えて、男を手玉に取るがあるのかも」


「初花も済ませたばかりのようで、末恐ろしいこと」



口元を袖で覆った女中たちも、わざとらしく密談を交わす。

わたしの全身をじろじろと眺めては、女性にひそひそと耳打ちし、"ねえ"と声高に頷き合う。


どうやら、わたしは三人ともに嫌われているらしい。

面識がない以上は、思い当たる節もなく。

どうすべきか、反応に困る。



「あの、すみません、わたし……。

ここへ来て、まだ間もないもので、あなた方のことを存じていないんです」



相手の出方がどうあれ、こちらに敵対する意思がないことは伝えなければ。

礼節を弁えつつ、女性の素性にも言及する。



「でしょうね。

才蔵のやつが、何やら目論んでいたようだし?」


「えっ、サイさんが……?」



女性の口から唐突に、サイさんの名前が出てきた。

"目論み"とやらに関しては見当もつかないが、女性にとっては嫌な出来事だったらしい。

眉間にこれでもかと皺を寄せて、跡に残りそうなほどだ。



「目論むとは、どんな……?」



わたしが聞き返すと、女性は溜め息を吐いた。



「アナタ、えにしの間へは近付くなと言い付けられていたんじゃない?」



えにしの間。

確かに、その名には覚えがあった。


雪竹城の本丸には、ふたつの大広間がある。

うちの一つ、表向きにされている方が、"むすびの間"という。

通称"謁見の間"とも呼ばれ、主に上様への目通りに用いられる場所だ。


もう一つが、本丸の末端に設けられた、"えにしの間"。

こちらの用途は不明だが、敷地の案内をしてくれた時に、サイさんが言っていた。

この向こうへは決して、近付いてはならないと。


そも雪竹城の本丸とは、上様の寝所を始めとした、関係者の居住区間となっている。

上様の側近や、住み込みで働く女中などがそうで、わたしの私室として与えられた座敷も、これに含まれる。


ところが縁の間だけは、長い回廊の先に隔離されていた。

余人がうっかり立ち入ってしまわぬよう、厳重な扉までこしらえて。


なぜ、同じ本丸で隔てるかは知らない。

ただ、わたしはサイさんの言い付けを守っている。

縁の間へ近付くことも、話題に上げることも、極力していない。


わたしは知らない方が良いのだろうと、自分に言い聞かせながら。

回廊の前を通るたび、どこか不穏な気配を感じながら。




「はい。あそこには入らないようにと言われて……」


「ハッ、やっぱりね。失礼しちゃう!

これじゃあまるで、私たちが黴菌みたいじゃない!」


「それは、どういう……?」


「縁の間っていうのはね、私たちの住み処なのよ。

上様の側室───、つまり囲われた女は、みんなあそこで過ごしているの。罪人のようにね」



女性が早口で捲し立て、女中たちが小声で同意する。


まさか、縁の間が側室用の寝所だったとは。

どうりで、当事者の姿を見掛けないわけだ。



「(私室を与えられたのは、わたしだけ……?)」



サイさんからの言い付けが、尚更わからなくなった。


婚礼を控えた身といえど、わたしも上様の側室となる立場だ。

なのに古参の彼女らとは別で、わたしの方が手厚く遇されている。


婚礼前と婚礼後の差に過ぎないのか。

そうならそうと、どうしてサイさんは説明してくれなかったのか。



「アナタとこうして顔を合わせるのだって、本当ならもっと前に出来ていたはずなのよ」


「そうなんですか?」


「そうよ!何度もアナタの部屋を訪ねに行こうとしたんだから!

上様の新しいお気に入りが、どんな女か確かめてやろうってね!

それを────」



わなわなと全身を震わせた女性が、かっと目を見開いてこちらに詰め寄ってくる。

わたしが思わず後ずさると、女性は下唇を噛んで、わたしの肩を突き飛ばした。



「なんなのよ!才蔵のやつまで、私を悪者扱いして!

私が何したってのよ、こんな……。ちょっと話をしたかっただけなのに、ことごとく邪魔をして……!」


「姫様、騒ぎになります」


「どうかお静かに───」


「お前たちは黙っていて!」



瞳を潤ませて怒鳴る女性と、慌てて制止をかける女中たち。

先の発言から察するに、サイさんと女性との間で一悶着あったらしい。


ひょっとしてサイさんは、わたしとこの人を会わせたくなかったんだろうか。

今のように辛く当たられたり、嫌がらせをされるかもしれないと、懸念したから。


だから、わたしに悟られぬよう、密かに手を回していたのか。

わたしを、傷付けないために。



「なんとか言ったらどうなのよ!」



押し黙るわたしが気に食わなかったのか、女性は再びわたしを突き飛ばそうとした。




「───おやめ!」



すると、どこからか第三者の喝が割って入った。

動きを止めた女性と同時に、喝の飛んできた方へ振り向くと、廊下の奥で人影が揺れた。

女性とは異なる色合いの打掛を纏った、三十代ほどのご婦人だった。



「麻菊、この子を離しておやりなさい。

こんなことをしても、あなたの気持ちが晴れるわけじゃない。

自分でも分かっているでしょう?」



こちらに歩み寄ったご婦人は、麻菊あさぎくと呼ばれた女性の背中を撫でた。



「ですが、沙蘭さま───」


「言いたいことは分かる。けど、この子にはなんの罪もない」


「………。」


「さ、ここは私に任せて。

面倒になる前に、お行きなさい」


「……わかりました」



穏やかながら力強い説得に、高ぶりが鎮められたのだろう。

意気消沈した麻菊さんは、女中たちを連れて去っていった。


三人が居なくなってから、ご婦人はわたしに向き直った。



「ごめんなさいね。

彼女、頭に血が昇ると、ときどき抑えが利かなくなってしまうのよ。

どうか気を悪くしないでちょうだいね」



ご婦人の温かい両手が、わたしの冷えた右手をそっと包む。



「いいえ、その……。取り持って頂いて、ありがとうございました。

えっと……。シャラン、さま?」


「うふふ、様はいらないわ。

私のことは気軽に、"沙蘭さん"と呼んでね。ウキちゃん?」



柔らかい笑顔と物腰が印象的なご婦人は、沙蘭しゃらんと名乗った。

麻菊さんが様付けで呼んだほどだから、相当に位の高い人物であるのは間違いない。



「わたしを、ご存じなのですか」


「ええ。よく、話に聞いてるわ」



沙蘭さんも、わたしを知っているのか。

わたしは沙蘭さんも麻菊さんも、存在すら知らなかったのに。



「挨拶が遅くなって、すまなかったわね。

ついこのあいだ、城に戻ってきたところなの」



手を離される。

沙蘭さんをお見掛けすることがなかったのは、単に不在にしていたからのようだ。



「どこか、お出かけになっていたんですか?」


「ちょっとね。

───そんなことより、もっとちゃんと、ゆっくり話をしない?

私の部屋で、と言いたいところだけど……。

あそこは周りがうるさいから、あなたの部屋にお邪魔してもいいかしら」


「は、はい。もちろんです」



沙蘭さんも私室を持っている。

であれば、麻菊さんら側室の筆頭、という線は違うかもしれない。



「ところで、あの……。

重ね重ね失礼ですが、わたし……。

沙蘭さんのことをよく知らなくて、えっと……」


「ああ、そうよね。うっかりしてたわ。

こちらはまだ、名前しか教えていないものね」



失礼を承知で、わたしは尋ねた。

沙蘭さんはおどけた(・・・・)ように、目を丸くして笑った。



「私は沙蘭。光倉郷舟みつくらごうしゅうの正室。

つまり、上様の奥さんってことね」



予想以上の答えに、今度はわたしが目を丸くしてしまった。




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