;第三話 お祭りみたい 4
大通りの片隅にある、真新しい洋風建築。
本土では異人館とも呼ばれる、世にも珍しい建物の中に、町で唯一の写真屋はあるという。
「───ごめんください」
玉月さんが入口の扉を手前に引く。
見たことのない造りだが、異国の扉はこれが普通なのだろうか。
洋風建築自体に馴染みがないので、わたしには勝手が分からない。
「これはこれは、別嬪さんが二人も!いらっしゃいませ!」
建物の奥から、店主と思しき人物が現れる。
これまた馴染みのない洋服を着た、恰幅の良い中年男性。
喋ると目元の笑い皺が寄り、整えられた口髭が小さく動く。
「飛び入りなのですが、撮影してもらえますか?」
「もちろんですとも!
順番待ちがありますので、少々お時間を頂くことになりますが……」
「だそうです。構いませんか?」
「はい。玉月さんが良ければ」
わたしに断ってから、玉月さんは店主に撮影依頼をした。
「承りました。
四半刻もすれば撮影可能と思いますが、その間はどうされますか?お外で過ごされます?」
「ご迷惑でなければ、中で待たせてもらっても?」
「でしたら、別室へご案内いたします」
店主が踵を返す。
わたし達の順番は暫く後だが、落ち着ける場所に通してくれるようだ。
わたしは自分のぽっくり下駄を脱ごうとして、玉月さんに止められた。
「お待ちを。
履き物はそのままでいいんですよ」
「えっ?」
「下駄にせよ雪駄にせよ、ここでは履いたままでいるのが作法です」
「なるほど。
だから敷居がないのですね」
異国、とりわけ西洋の方では、室内で履き物を脱ぐ習慣がないらしい。
入口の扉も難なく開けていたし、玉月さんは異文化にも精通しているようだ。
違和感を拭えないながらも、下駄のまま店主の後に続く。
外観もさることながら、内装はもっと珍しさに満ちていた。
「(日本じゃないみたい)」
七宝繋ぎに似た文様をあしらった壁に、赤い布を敷き詰めた床。
馬や猫などの動物を象った置き物に、江戸切子を始めとした硝子細工の数々。
方々で広まっているとされる西洋化だが、まさか蝦夷でも片鱗を拝めるとは。
わたしとしては、履き物の着脱を省ける利点より、畳の上で座ったり横になれない欠点をこそ強く感じる。
崩した姿勢で一休みも出来ないのは、地味に辛そうだ。
「(あれが写真かしら)」
渡り廊下を進んでいくと、精巧な絵を収めた額縁が何点か、壁に吊るされていた。
恐らくは、"写真"の現物だ。
貴婦人に紳士、育ちの良さそうな童達から、帯刀した武士まで。
いずれも"やんごとない出"ばかりだろうことは、想像に難くない。
きょろきょろと周囲を見渡しながら、わたしは備に感嘆の声を上げた。
すると玉月さんが、くすくすと控えめに笑った。
「あ───、すいません。わたしったら、はしたないですね。
物珍しくて、つい……」
「良いではありませんか。感性が豊かな証拠です。
写真屋に入るのは、これが初めてなのでしょう?」
「はい。新しいものは、からっきしで……」
突き当たりの扉を前に、店主が立ち止まる。
別室とやらに着いたのかと思いきや、事情がありそうだった。
「申し訳ありませんが、先方のご様子をちょーっとだけ、確認に行かせてください。直ぐですので!」
「わかりました」
わたし達の許しを得るや否や、店主は自分一人で扉の向こうへ消えていった。
押し掛けた負い目もあるので、わたし達は待機に従う他なかった。
「───そういえば、今日は刀を差してらっしゃらないんですね」
武士の写真を鑑みて、気付いたことがある。
玉月さんが肌身離さずいた刀が、どこにも見当たらないのだ。
「ああ……。
女の格好で帯刀をすると、悪目立ちしますので。城に置いてきました。
ですがご安心ください。警護の者が目を光らせていますので、姫様に危険が及ぶことは、まずないでしょう」
もしかしたら、誰かに聞き耳を立てられているかもしれない。
念のため、と玉月さんは声を潜めた。
わたしも玉月さんに身を寄せて、声と息を潜めた。
「それ、説明には聞きましたけど……。
本当にいるんですか?警護をしてくれるって人……」
「いますよ、三人」
「えっ、三人も?そんな風には全く……」
「不自然のないよう、おのおの町人に紛していますから。
詳しいことは、後でお教えしますね」
今日一日を見守ってくれるという、仮の護衛役。
わたしが鈍感だっただけで、実は三人も配備されていたらしい。
本職である玉月さんが無防備になるため、急きょ人員を増やしたのだろう。
わたしの軽はずみな思い付きが、とんだ大事になってしまった。
「ちなみに、今はどこで?」
「店の近くを彷徨いているはずです。一人は軒先に立っています」
「軒先に────」
目視できる範囲を確かめようと、玄関先に振り返った時だった。
「どうも失礼いたしました!お入りください!」
開いた扉から店主が顔を出し、わたしは意識を前に戻した。
「一先ずは」
「そうですね」
玉月さんとの内緒話は一時中断。
突き当たりの部屋にお邪魔する。
「(写真と同じ……)」
廊下と打って変わって白塗りの壁に、身の丈近くある格子窓。
撮影用ないし休憩用の腰掛けは、大きいものが一脚と小さいものが二脚。
専門道具と思われる絡繰は、少なくとも五種類に及ぶ。
大きい腰掛けには、紋付き袴と振り袖姿の男女が座り、従業員と話し込んでいる。
睦まじい様子からして、男女が恋仲なのは一目瞭然だ。
こちらに気付いた男女は、はにかみながら会釈をしてくれた。
わたしと玉月さんも会釈で返し、男女の前途を祝福した。
「あのお二人、これから撮影?なんですよね?
わたし達がいたら、邪魔ではありませんか?」
男女に悟られないよう、店主に尋ねる。
「ご心配なく。
仰る通り、ここは撮影をするための場所ですので。
別室はほら、あちらに」
向かって右手を、店主は指差した。
扉の影から覗いてみると、もうひとつ別の扉が、奥に構えていた。
あそこが"別室"で、"先方"とは男女のことだったわけだ。
「我が"二継写真館"では、礼服や装身具等の貸し出しも行っておりましてね?
なにか必要なものがあれば、事前にお選び頂く手筈となっているのですよ」
「着替えたりするってことですか?」
「そういう場合もございます。
撮影のお客様でしたら、追加代金は頂かないことになっていますし、近頃は西洋のドレスなんかも多く取り揃えていて……。
どうでしょう?お二方も、試してみませんか?」
店主の提案に、思考が止まる。
西洋の服、ましてやドレスなど、お目にかかったことすらない。
しかも貸し衣装は撮影代に含まれ、なにを選んでも自由だという。
またとない機会ではあるが、せっかく頂いた単衣を着替えてしまうのは、面目ない。
「せっかくですけど、わたしはこのままで……」
「左様ですか……。そちら様は?」
「自分もこのままで結構です」
「左様ですか……」
わたし達が遠慮すると、店主は残念そうに肩を落とした。
「なら小道具だけでも……、せめて見るだけでも!
実際に手に取ってみたら気が変わるやもしれませんし!」
無償でも利益に繋がるのか、自分の宝物を自慢したいのか。
尚も店主が食い下がるので、ここはお言葉に甘えさせてもらう。
「気が変わるかは分かりませんが……。
そうですね。そうさせてもらいましょうか」
「ええ」
「左様ですか!
先方が済みましたらお声がけに伺いますので────」
「おやっさーん」
店主に被せて、従業員が声をかけてくる。
いよいよ、男女の撮影が始まるようだ。
「それまでどうぞ、ごゆっくり」
店主が男女の元へ急ぐ。
わたし達は一息ついた。
「写真屋というより、芸人を名乗った方が似合いますよね」
「え?」
「ご主人ですよ。
はじめ見た時、どこぞの喜劇役者かと思いました」
「わたしも同じことを考えました!面白い人でしたね」
急に可笑しくなって、わたし達は吹き出した。
まさか、玉月さんの口から冗談を聞けるとは思わなかった。
本当の友達になったみたいだ。
「我々も移動しましょうか。彼らの迷惑になる前に」
「はい。順番になるのが楽しみです」
玉月さんが別室の扉を開ける。
売りにしているだけあり、礼服も装身具も充実の品揃えだった。
横に長い棚が和服、縦に長い棚が装身具、木製の人形に立て掛けられているのが洋服。
性別、年齢別、体型別の品まであり、痒いところに手が届く。
「品数が増えている……」
感動するわたしとは対照的に、玉月さんは冷めた反応をした。
もしや、彼女は初見じゃないのか。
「あの、玉月さん。
玉月さんは前にも、ここへいらしたことがあるのですか?」
「え?
……ああ、そうか。まだお話していませんでしたね。
ありますよ。城で仕えて間もない頃に、一度だけ」
思い出したように、玉月さんは頷いた。
一度でも経験があるなら、作法や形式に詳しいはずだ。
「当時は確か、貸し衣装屋と別だったはずですが……。知らぬ間に合併したようですね。
随分と、立派になったものです」
能弁に語る玉月さんだが、表情は虚ろ。
この話題は、あまり掘り下げるべきじゃなさそうだ。
「あ、見てみて玉月さん!兜!」
「へえ、よく出来てますね」
「本物じゃないんですか?」
「本物は本物でしょうが……。
ほとんど傷付いてませんし、装飾品に過ぎないかと」
まずは小道具を見物する。
頭形兜に腹当、祝儀扇に番傘。
どうして集めたのかはさて置き、いずれも綺麗な状態に保たれている。
「姫様、姫様」
玉月さんも何かを見付けたらしく、人形の列にわたしを連れて行った。
「ご覧ください、この衣装。
きっと、姫様にお似合いですよ」
行灯袴に形状の似た、淡い色合いの洋服。
引き締まった袖口と、ひらひらと重なった裾が、優雅な印象を与える。
「ドレス、というやつですかね?」
「ここへ。側に寄ってみてください」
玉月さんに促され、洋服の隣に並んでみる。
玉月さんは洋服とわたしとを見比べて、満足げに目を細めた。
「まるで異国の姫君ですね」
誉め言葉には違いなかろうが、わたしは妙な引っ掛かりを覚えた。
含みがあるというか、手放しには喜べないというか。
「(異国の、姫君……)」
玉月さんはこれを、わたしに似合うだろうと言ってくれた。
さながら、異国の姫君のようだと。
異国の、姫君。
わたしが、姫君で、似合う。
「(そうか)」
引っ掛かりの正体が分かった。
たった今ではなく、当初からの違和感だったんだ。
「姫様?どうなされました?」
「それ!呼び方です、呼び方!」
「呼び方───、ですか?」
俄に興奮したわたしに、玉月さんが唖然とする。
「玉月さん。
今からわたしのことを、名前で呼んでください」
単刀直入に切り出す。
玉月さんは三秒ほど硬直して、はっと我に返った。
「と、突然なにを仰います姫様。
そんな滅相なこと、私には────」
狼狽える玉月さんに構わず、わたしは畳み掛けていった。
「今のわたし達は友達、ですよね?
友達なら名前で呼び合うくらい普通ですし、"姫様"なんて丁重にされていたら、周りの人が変に思うかもしれません」
「ですが姫様────」
「ウキです!ウキと呼んでください!」
はにかむ玉月さん、落ち込む玉月さん、焦る玉月さん、困る玉月さん。
今日だけでも、色んな玉月さんを知ることが出来た。
わたしが化粧をさせてくれと強請った時も、そう。
意外と、押しには弱い質なのかもしれない。
「ね、お願い。今日だけでいいですから」
玉月さんを壁際まで追い詰める。
玉月さんは浅い溜め息を吐くと、わたしの両肩に手を添えた。
「わかりました。
姫様がそう望まれるのであれば、そうします。
ただし、今日だけです。城に戻ればいつも通り、よろしいですね?」
「嬉しい!充分です。ありがとう玉月さん!
できれば、敬語もやめてもらえると、もっと嬉しいんですけど……」
やっぱり、聞き入れてくれた。
調子に乗ったわたしは、もう一声と玉月さんの顔色を窺った。
しかし、二つ目のわがままは撥ね付けられてしまった。
「なりません。けじめですので。
承知できるのは、一時的な呼び名に改めるだけです」
厳しくも心苦しそうに、玉月さんはわたしを諌めた。
「そう、ですよね」
また、やってしまった。
こんな顔をさせたいんじゃ、なかったのに。
「ごめんなさい。調子に乗ってしまいました」
わたし達はあくまで、主従の関係。
本当の友達みたいだと錯覚したのは、玉月さんがそのように付き合ってくれたから。
望もうと望むまいと、本来を損なう野放図は、犯してはならない。
いくらなんでも、わがままが過ぎた。
「……私はともかく、貴女こそ、私に敬語を使う必要はないではありませんか」
玉月さんが、わたしの二の腕を撫でる。
幼稚で厚かましい女だと、呆れてはいないのか。
「そんなわけにはいきません。
目上の方には当然、尊敬語を────」
「私が二歳上ですが、年上と目上は違います。
それに、元来の私は、用心棒の身ですから。畏まった扱いを受けるのは、どうにも慣れなくて。
姫様のご厚情には痛み入りますが、私のためを思ってくださるならば、もう少し砕けて頂けると幸いです」
捨て置くでも、引き摺るでもなく。
姉のように母のように、寄り添おうとしてくれる。
目上と年上は違うと本人は遜るが、それでも二年の歳月は大きい。
わたしは改めて、玉月さんの聡明さを実感した。
「今すぐには、無理そうですが……。
玉月さんが許してくれるなら、ゆくゆくは、そんな風に出来たらと、思います」
「承知しました」
いつもの"承知しました"が、わたしの空いた隙間を埋めてくれた。
「でしたら、こちらも呼び名を改めましょうか」
「玉月さんの、ですか?」
「はい。
私だけ姓で呼ばれるのは不公平でしょう?」
「そ、うかもしれないですけど……。
でも、玉月さんのお名前は才蔵と────」
「はい。いけませんか?」
「だ、だめですよ!少なくとも今は!」
玉月さんからの反撃に、わたしは頭を抱えた。
たとえ響きは立派でも、"才蔵"は男性としての名前だ。
女性らしく装っている時にそう呼んでしまうのは、矛盾甚だしい。
「せっかく女物を着ているのだから、名前もちゃんとそれらしく、えーと……」
"あなたの本当の名前は?"。
喉元まで出かかった疑問を、すんでのところで留める。
才蔵。玉月才蔵。
どんな経緯があって、そんな名前になったのか。
気になるけれど、無理強いはしたくない。
いつか彼女が、自ずと話してくれたなら、聞かせてもらうとしよう。
「(トシコ……、ヨネ……。いやいや、玉月さんの印象に合わない。
せめて、男でも女でも通じるような、それでいて元から遠すぎず、親しみのある────)」
わたしがウキと呼んでもらえるのは一時的でも、わたしが玉月さんをどう呼ぶかは今後に関わるはず。
ならば、場所を問わず人目を選ばずに済む命名をしなくてはいけない。
待って待ってと玉月さんを制止しながら、こめかみの辺りを指で突いて思案する。
「───お二方!
準備が整いましたので、こちらへどうぞ!」
思案の途中で、店主が"お声がけ"に来た。先方の撮影が終わったようだ。
わたしは一瞬で頭が空になり、同時に神憑りが起きた。
「サイ!"才蔵"の頭をとって、サイ!」
玉月さん、もといサイさんは、嬉しそうにわたしの手を取った。
「ありがとう。
今日という日を忘れません、ウキさん」
どこからともなく吹いた風は、桜の香りがした。
『片時雨』