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現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;ウキ編 めばえの章
11/75

;第二話 以後お見知りおきを 2



「───覚えられそうですか?」



午後。

朝食時に約束した通り、玉月さんが雪竹城を案内してくれた。



「うーん……。まだあんまり、ですけど……。

そのうちに自然と覚えられる、はず。と、思いたいです……」


「左様ですか。

後ほど間取り図の方も確認して、一緒にお浚いと参りましょう」


「お願いしますぅ」



物覚えは良い方なのだが、いかんせん敷地が広すぎる。

これまでに訪れた場所と名前を一致させるだけでも、三日はかかりそうだ。

最初は自室の近くから、段階を踏んで覚えていくとしよう。



「こちらが最後となります」



最後に回ったのは、三ノ丸の奥。

女の細腕一本では開きそうにない、重厚な扉で閉ざされた部屋だった。

謁見の間ほどではないにせよ、広大な空間が続いているだろうことは、想像に難くない。



「───腰が引けているぞ!もっと勇を鼓していかんか!」


「はい!」


「お前は腕が下がってきてるな。鍛練の足りない証拠だ!」


「はい!すみません!」



男達の怒号に加え、謎の衝撃音が木霊する。

頑丈さと柔軟さを併せ持つ何かが、ぶつかり合うような。

とりあえず、みんなで茶の湯をしているわけでないのは確かだ。



「た、玉月さん。ここって、もしかして───」



扉越しにも伝わる熱気に、わたしは圧倒されつつ高揚した気持ちになった。



「お察しの通りです。

"修練場"、またの名を"手合い場"。雪竹城を守護する隊士は、日々ここで鍛練を重ねているのです」



修練場しゅうれんじょう、またの名を手合てあ

衝撃音の正体とは、竹刀で打ち合う音だったようだ。

恐らくは、先日に見掛けた黒装束の男達が戦っているのだろう。


"兵士"ではなく"隊士"と呼ぶ辺り、あくまで上様の使役する駒、という意味合いが強そうだ。



「ということは、玉月さんも、いつもはここで?」



玉月さんの帯刀をこっそりと窺う。

玉月さんは一瞬息を呑んでから頷いた。



「以前は、ですね。

今となっては然程、足しげくは通っておりません」



なにやら含みのある返答。

触れるべきでない話題だったか。



「そろそろ参りましょう。軟派な輩に絡まれても面倒だ」


「え、あ……。そう、ですね」



修練場の中が静かになり、玉月さんの態度が忙しくなる。

わたしの自室へ戻りたいというより、この場を離れたい様子だ。



「じゃあ、お部屋まで戻るとしますか」


「はい」



一足先に踵を返した玉月さんを、追い掛けていった時だった。




「───玉月!」



何者かが、玉月さんを呼び止める声がした。

とっさに後ろを振り返ると、若い男がこちらへ歩み寄ってきた。

修練場の扉が半分開いているので、今しがた出てきたと思われる。



「こんなところで一体なにをしてるんだ?優雅にお散歩か?」



すらりとした長躯、浪人然とした総髪、本心を汲み取らせない蛇顔。

件の黒装束を纏った姿は、まるで意思持つ影法師。

貫禄の割に肌はきめ細かいので、わたし達と変わらない年頃かもしれない。



「関係ないだろう。

手前こそ、こんなところで油を売っていないで、さっさと鍛練に戻ったらどうだ」


「ハ、相変わらず虫の好かない女だ。

少しくらい殊勝な口を利いてもバチは当たらないぜ?」



切れ長な目を更に細めて、ぶっきらぼうに喋る男。

対して、負けじの眼力で男を睨み返す玉月さん。


互いに引かず譲らず、一触即発の雰囲気。

こんなに敵意を剥き出しにした玉月さんは初めてで、こうも玉月さんの怒りを買う人も初めてだ。




「で、こちらのお嬢さんが噂の新妻?」



男の視線が、玉月さんからわたしに移る。

男はそのまま、わたしの全身を隈なく眺めた。



「フーン」



最後に自分の顎を一撫でした男は、なるほどとでも言いたげに鼻を鳴らした。



「(なんだろう、このひと)」



怖い。嫌な感じがする。

品定めか値踏みでもされているみたいだ。



「おい」



小さく舌打ちをした玉月さんが、わたしを庇うようにして一歩前に出る。



「この方を何方どなたと心得るか。お前ごときが容易く───」


「あー、ハイハイ。わかってるさそんくらい。

ちょいと興味があっただけだ」



玉月さんから距離をとった男は、胡散臭い笑みを浮かべてわたしに一礼した。



「では、以後お見知りおきを。千茅ちがや雨希うきサマ?」


「どうして、わたしの名前を……」



男は何故か、わたしの名前を知っていた。

わたしは食い下がろうとしたが、間髪を入れずに玉月さんが割り込んだ。



「行きましょう、姫様」



わたしの肩を抱いた玉月さんが、問答無用で廊下を突き進んでいく。

わたしと男を引き離したくて堪らないのか、優しい手付きとは裏腹に強引だ。



「(いない)」



玉月さんに連行されながら、来た道を首だけで振り返ってみる。

そこにはもう、男の姿はなかった。




「───申し訳ありません、姫様。不愉快な思いをさせてしまいました」



歩調が緩やかになるにつれ、玉月さんも落ち着きを取り戻したようだった。

先程までの剣幕はどこへやら、わたしに謝る横顔は借りてきた猫を連想させる。



「玉月さんが謝ることじゃないですよ。わたしは平気ですから」


「すみません……」



抱かれていた肩が解放される。

ちょっと名残惜しいとは、言わないし言えない。



「松吉のことは、どうかお気になさらないでください。

ああして、人をからかうのが好きな奴なのです」



松吉しょうきち。あの男は松吉というのか。

玉月さんの口振りから、それなりの知己であることが分かる。

もっとも、親しくはなさそうだけれど。



「あの、玉月さん」


「はい」


「ひとつ、聞いてもいいですか」


「なんでしょう」



松吉さんとやらの顔を、今一度思い起こしてみる。

怖くて嫌な感じで、でも玉月さんに対しては、悪意があるようでなかった。

あの態度は、まるで。



「さっきの───、ショウキチさん、でしたか。

玉月さんを女だと言っていましたけど……」


「ああ……。

ヤツは概ね、私の素性を把握していますよ。昔馴染みでもありますので」


「昔馴染み、なら、みんな知っていることなんですか?」


「いいえ。極少数の、限られた者だけです。

今のところは上様と、松吉を始めとした、上様の側近くらいのものですか」


「そうなんですか。

ところであの、お二人が少し、その……。

不仲、のように見えたのは、なにか理由があるのですか?」



ただの知己ではなく、昔馴染み。

わたしは納得しつつ、重ねて玉月さんに質問した。

途端に玉月さんは言い淀み、修練場の前で見せたような、困惑した表情に変わった。



「あっ、ごめんなさい!わたしったらまた不作法な……。

気になることがあるとつい、人に聞いてしまうんです……」


「いいのですよ。

姫様がお望みとあらば、私の知りる限り、なんでも教えて差し上げます」



因縁があるのだと、玉月さんは遠い目をして語った。



「昔、自分の女にならないかと言い寄られたことがありまして」


「そ、そうだったのですか。だからあんな……」


「ああ、誤解なさらないでください。こちらにその気はないと伝えてありますし、それに……。

先程も申しました通り、ヤツは人をおちょくるのを生き甲斐とするような男です。

そこに深い意味などあろうはずもない」



早口で捲し立てる玉月さん。

まだ松吉さんへの苛立ちが残っているのか、瞬きの回数も増えた。

言動には出すまいと、意地で感情を押し殺している感じだ。



「(本当におちょくっただけ、なのかしら)」



玉月さんには悪いけれど、彼女の新しい一面を知れたようで、わたしはちょっと嬉しかった。






宿雨しゅくう



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