表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
現し世は桜花の化身  作者: 和達譲
;ウキ編 めばえの章
10/75

;第二話 以後お見知りおきを



翌朝。

寝付きが悪かったせいか、起床しても体は気怠いままだった。

見慣れぬ天井や静かすぎる空気に、違和感を覚えてしまったせいもあるだろう。

長旅の疲れは遅れてやって来るものと聞いてはいたが、本当にその通りになるとは。


とはいえ、腑抜けてもいられない。

里で暮らしていた頃と違い、周りは知らない人ばかりなのだ。

せめて、起き抜けのみっともない姿だけは晒さないように。

重い足を引きずって布団を仕舞い、身支度を整える。




「───姫様、目が覚めておいでですか」



縁側で朝日に当たっていると、玉月さんが訪ねて来た。

もう少し彼女の到着が早かったら、着替えが間に合わないところだった。



「はい、起きてます。

玉月さんですね、どうぞ入ってください」



寝惚け眼を擦りつつ返事をする。

ゆっくりと障子戸を引いた玉月さんは、あさげの膳を持参していた。



「おはようございます、姫様」


「おはようございます、玉月さん」


「昨晩はお休みになれましたか?」


「そうですね、少しは───。眠ったような気もします」



わたしは無理に笑顔を作って答えた。



「左様ですか」



わたしの空元気を見抜いたか、玉月さんは僅かに眉を下げた。



「朝食をお持ちしたのですが、いかがなさいますか?」


「……ありがとうございます、いただきます。

しっかり食べて、はやく元気にならなくてはね」



実を言うと食欲はなかったが、せっかく用意してもらったので頂くことに。



「はい。元気の源は食事に有り、です。お口に合えば良いのですが……」



備え付けの座布団と、持参した膳とを配置した玉月さんは、座敷の隅へ移って正座をした。

わたしが食べ終わるまで待っていてくれるようだ。


座布団に座ったわたしは、膳の内容に改めて目を配った。

昨夜の歓迎会と大差ない、いかにも高級そうな料理の数々。

器の意匠や光沢さえも、まばゆく感じられる。



「ぜんぜん、違うのね」


「姫様?」



わたしの独り言に、玉月さんが反応する。

そういえば、彼女は人より感度が鋭いんだった。



「ああ、ごめんなさい。なんだか、里のことを思い出してしまって。

いいかげん、未練がましいと分かってはいるのですけど……」


「………。」


「里で食べるご飯は、どれも質素で薄味で、品数も少なくて……。とても充実したものとは言えなかったけれど……。

でも、おいしかったんです。家族みんなで食卓を囲む時間が、わたしは好きだったから」


「姫様……」



玉月さんの声に憐憫が孕む。

わたしは慌てて、漆塗りの箸に手を伸ばした。



「や、やだ、わたしったら!駄目ですね、いつまでもこんな調子じゃ。

ごめんなさい。さっきのはどうか気にしないで。いただきます」



里は里、自分は自分。

わたしはもう、城の人間なのだから。

今更こんなことを言っても、仕様がないのだから。

過去は振り返らず、感傷に浸らないように。


気を取り直して、大根のお漬物を齧る。

たぶん塩辛いはずだが、歯触りしか分からない。




「姫様。

食後のご予定は、既にお決まりでしょうか」



しばらくの間を置いて、玉月さんが切り出した。

特に考えの浮かばなかったわたしは、いいえと首を振った。



「でしたら私が、城の中をご案内させて頂きます。

間取り図をご覧になるより、覚えも早いでしょうし」



わたしの心を読んだかのような提案。

いずれ誰かに頼みたかった役を、玉月さんから持ち掛けてくれるとは有り難い。



「そうですね。では、お願いします」


「承知しました」



会話が途切れると、気まずい沈黙が流れた。

うっかり目が合っても困るので、玉月さんの方を見られない。



「(あんなこと、言うんじゃなかった)」



これでは、また余計な同情を引いてしまう。

自分の浅慮さを悔いながら、誤魔化すように汁物を啜る。




「姫様」



膳の半分ほどを食べ進めた頃だった。

再び玉月さんに呼ばれて顔を上げると、彼女は厳しい表情に変わっていた。


今度は説教をされるか。

なんであれ真摯に受け止めようと、わたしは箸を置いた。



「差し出がましいことを申しますが、姫様。

無理に忘れる必要はないと、存じます」


「え……」



てっきり苦言を呈されるかと思いきや。

玉月さんの口振りは、変わらず優しかった。



「ふるさとの思い出は、どうぞ姫様の胸の内に秘めていてください。

本心を偽って笑うより、時に過去を懐かしみ、涙を流すことも大切だと、私は心得ます。

……すみません。やはり、出過ぎた真似ですね」



自嘲するような吐息を漏らし、玉月さんは俯いた。

わたしは食事の作法など忘れ、玉月さんの自嘲を前のめりに否定した。



「そんな!そんなこと、ありません。嬉しいです。

自分では、そうは思えなかったから……」


「………。」


「ありがとうございます。

これからはたまに、たまーに、昔のことを思い出したりして、ゆっくり、慣れていきます」


「……はい。

私で良ければいつでも、姫様の思い出話をお聞かせください」



どこか冷ややかな雰囲気を持つ玉月さん。

しかし、彼女の紡ぐ言葉のひとつひとつには、繊細な労りや慰めが内包されている。


今のもきっと、社交辞令なんかじゃない。

そうでなければこんなにも、わたしの胸を打つはずがない。



「(涙を流すことも大切───)」



忘れなきゃと強いるより、忘れなくていいと許した方が、すとんと自分の中に落ちた気がする。

許してくれた人が玉月さんだから、なのだと思う。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ