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目の前の、血まみれになってこと切れているどこか見知った男の顔を、壁際の棚にもたれかかって座り込んだまま、ぼんやりと見つめる。
遠いような、近いような不快な音が絶え間なく私の頭に響く。
現実味のない光景と、漂ってくる異臭に気分が悪くなる。
私は、何をしているのだろう。
自分の手を見つめると、乾き始めた血がべっとりとついていた。
私専用といってもいい学校にある研究室の中は、PCが床に落ちて画面にひびが入っていたり、研究データや論文が無秩序に散乱したりしている。
何が、あったのだろう。
うまく働かない頭で思い返す。
そう、殺されると思ったのだ。
ナイフを持った男が、急に目の前に現れて。
反射的に手近にあったPCや紙の束を投げつけた。
怯んで男が取り落としたナイフを掴み、逆に男を無茶苦茶に刺したのだ。
そういえば、そのナイフはどこだろう。
こと切れた男の体に、ナイフが刺さっている様子はない。
血まみれの、私の手の中にもない。
再び、物言わぬ男のほうを見て、その男の正体にようやく気づいた。
死体は、数日前に会った研究者の顔をしていた。
季節外れの虫が、床の上を這い回っている。
これが、現実のはずがない。
右手の爪で左手の甲を抉る強さで何度も何度も引っ掻いた。
皮膚がめくれ、右手の爪の間に血肉が詰まり、鈍い痛みを感じても目の前の光景は消えてくれない。
何かを叫ぼうとして、叫べなかった。
先ほどからずっと頭に響いていた不快な音の正体が、すでに私の喚く声だった。
コントロールを失い、私の体は何ひとつ私の思い通りに動かない。
この声を抑えたいのに、この右手を止めたいのに、この瞼を閉じたいのに。
唐突に、部屋の扉が勢いよく開かれた。
良く見知った、男子生徒の姿がそこにある。
その秀麗な顔は驚愕に染まって、私を見ていた。
終わった。
まだ、さいごではないのに。
この思考だけが、私の体をまともに動かせるものなのに。
今は、思考が命ずるままに取り繕う行動を起こせない。
視界が滲み歪んでゆく。
彼が、グレアムが私に近づいてくことを感じたのを最後に、私の体は唯一正しい選択として、私の意識を手放した。