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「そういえば、伝え忘れてたけど明日が締め切りのレポートがあるよ。でも君なら、余裕だよね?」
明瞭なはずの声は、膜を一枚隔てたようなぼんやりとした音として私の耳に届いた。
声の主に思い至ったところで、思考に沈んでいた私の意識が浮き上がる。
振り返れば濃い金色の髪をした男が悪びれることなく、むしろ微笑みすら浮かべて私を見ている。
特別な子供しか入れないとまで噂される学校に通う生徒の中でも、特別な子供の一人として派手な業績を上げている私が、学校から出される普通の課題のほかにも常に複数の独自のレポートや論文の締め切り、研究を抱えているのは周知の事実。
周囲に漏れるていどの私の予定量は、それだけで一般には過密といわれる。
実際はもっと酷い。
2か月先の予定まで事細かに入っているし、1年先まででも大まかな研究会やコンペティションが予定に組み込まれている。1日に複数の研究やレポートの締め切りを設定していることはざらである。
寝る時間など、3時間もとれたら良い方であり、教師や校医には再三私の予定に対して苦言を呈されている。
それでも、自主性を尊重する校風と私自身の能力と立場の特殊性から主張する意見を教師たちが無理矢理に変えさせることもできず、営利的な組織に所属しているわけでもないいち学生の身では法律にも抵触しないことから結果的に私の思うとおりに予定を立てられる。
学校側に予定を組まれてしまえば、私が望んでも勝手に予定を取捨選択されることが現在進行形で苦言を呈されている現状を見ても明らかであり、それを不都合で不合理に感じる私は自分の予定を私自身ですべて管理している。
そのなかで判断するなら私にある余裕など、とれもしない疲れをとるために設定している短い睡眠時間をさらに削ることでしか捻出できない。
それでも、いつものことだとピクリとも顔を変えずにレポートのテーマを聞き返す。
男は私の反応をどこかつまらなそうな顔で見ながら答える。
「そう。確かに聞いたわ」
「君、相変わらず諦めてないんだね。さっさとあきらめてくれればいいのに。ベリンダ・レイス」
何度目の言葉だろうか。
この男の口からは、私の望みを妨害しようとする言葉しか出てこない。
「いいえ、グレアム・ジェインビー。私は、さいごまで諦めることはないわ」
そう返して、寮への道を選ぶ。
この学校は、多くの生徒の特殊さゆえに授業はあれど出席日数が意味を持たない。
Giftedと呼ばれる、特別な子供たちへの教育に力を注ぐこの学校では、それぞれの生徒が神様から与えられた才能を伸ばし続けることを理念に掲げている。勿論、生きていくために必要な最低限の多様な知識も与えられるが、興味ある分野をどこまでも深く進めていくことが可能である。
例えそれが、最先端レベルの研究であっても。
芸術に優れたもの、科学に優れたもの、文学に優れたもの、工学に優れたもの、言語学に優れたもの、物理学に優れたもの、音楽に優れたもの、数学に優れたもの。
沢山の、神様に才能を与えられた子供たちが自分の好きなことを追求していく。
生徒達の才能に貴賤はない。
似た系統の才能の持ち主は何人もいるが、同じ系統でもその中で枝分かれした細部がすべて重なり合うこともなく、競争といった概念は少ない。
それでも、重なり合う部分があるものにとって、才能には優劣が存在することを知る。
それは、自分が劣っているのではなくて、相手がただ自分よりも優れているだけだ。
私は、この学校で誰よりも己の才能を示している。
同じ分野の人間の誰よりも優れていると、結果を出して証明している。
さほど興味を持たない分野のことも、一度か二度ですべてを吸収してしまう。
神様に与えられた才能。
私にとって、なんと空虚な響きだろう。
私はただ私の中に、悪魔の存在を知っただけである。
その悪魔すら利用して、望みを果たす力を得ただけである。