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それだけを望む   作者: 二尾 二穂
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2-7(完)

 親愛なるヘンリー


 あなたがこのデータを見ているということは、私は死んだのでしょう。

 できれば、悲しんでほしくはありません。このデータがあなたの目に触れたということは、私はとても満足して死んだからです。

 

 このデータは、あなたに伝えることがあって、これを持ってきた人に託したものです。

 修正できないROMのデータなので、ここに書かれていることは私の言葉で間違いありません。もし、ここに書いてあることと、これを託された人間の言うことに齟齬があるならデータの方を信じてください。しかしながら、ROM自体が偽物であった場合には、ここに記したことはすべて無意味です。

 それを分かっていてなお、これを記し、彼に託したのは私の自己満足です。


 はっきりと言っておきましょう。これを託した人は私の味方でなければ、あなたの味方でもありません。

 あなたの味方は、あなたの現在の両親や兄弟です。

 それを間違えてはいけません。


 さて、では私の死因について真相を明らかにしておきます。

 私の死因は脳腫瘍による身体機能の停止、もしくは、薬物の過剰摂取による心臓発作によって死んだのだと思います。第三者による殺害や自殺の可能性は限りなく低いです。

 私の脳には手術が難しい場所に腫瘍があります。

 けれど、その腫瘍のお陰で脳の思考を司る領域が刺激され死の危険と共に私は天才に準ずる頭脳を手に入れました。それが事実かどうかは分かりませんが、少なくとも、私が担ぎ込まれた病院で脳のCT検査を行った医師はそう判断しました。

 反面、このまま腫瘍が大きくなれば運動機能や内臓機能の働きが低下し、情動を司る領域のほとんどが機能しなくなっていくとも宣告されました。


 早くて一か月。

 どれだけ長くても5年以内。

 それが、私に下された寿命でした。

 寿命を知って、私はあなたに会いたいと願いました。

 日夜襲ってくるようになった頭痛を誤魔化すために、麻薬と表裏一体の鎮痛剤を飲みながら、あなたとの再会だけを望んでいました。

 鎮痛剤という名の麻薬はその依存性から私の体を蝕みましたが、同時に信じられない覚醒をもたらしました。

 眠らずとも頭は冴え渡り、痛みは消えて、あなたに会えないかもしれないという不安を吹き飛ばしたのです。

 私はただ、諦めることなく進めばそれでよかったのです。

 

 それでも、今では精神と肉体との乖離が起こり、薬を求めての幻覚や幻聴が始まり、望み以外のことに煩わされるようになりました。

 無意味に終わるかもしれないと分かってなお、このデータを残すことに決めたのは、私の脳が完全にダメになったとしても、あなたが自身の出生(ルーツ)を知りたいと望んだときのためです。

 あなたに届くことはなかったとしても、誰に見られることなく破棄されるとしても、だから何も残さないという選択をするわけにはいきません。


 私は、ジェシカ・レイスという名の女性から生まれました。彼女は私に父親の名前を語りませんでしたが、何かから逃げ隠れている女性でした。

 スラムで売春婦をしながら、私を隠すように育てました。

 なので私は、彼女がDVの激しい夫から私を連れて逃げてきたのだと思っていました。

 彼女は聡明で教養があり、スラムには似つかわしくない人でした。そのせいか、スラムの男に注目されることも多く、私が9歳になってすぐの頃に家に見知らぬ男が押し入ってきました。

 彼女はそのとき家を留守にしていて、私だけが家に居ました。

 男は私を捕まえると、アルコールと麻薬で意識を奪い、私の体を蹂躙しました。

 その結果、生まれたのがあなたです。


 勘違いしてほしくないのですが、私はあなたを産んだ経緯を幸運だったとは思いませんが、あなたが生まれてきてくれたことをこの上ない喜びだと思っています。

 それから、あなたを産む頃には妊娠中毒によってか私が意識をまともに保っていることは少なく、母の手引きで非合法の産科医院に入院し、帝王切開をしたのだと出産した後に聞きましたが、それが事実かは分かりません。

 記憶にある限り、医療体制が整った閉鎖的な場所で私の回復とあなたの成長を待って、ある日、母は私とあなたに孤児院へ行くように言いました。

 その日のうちに母は私とあなたを住んでいたスラムに連れ帰り、私は母の言葉の通りに行動し、母とはそれ以来、一度も会っていません。

 母は最後まで何も語りませんでしたが母と恐らくはあの医療施設のような場所を手配した何者かとの間で、何らかのやりとりがあったのだろうと推測しているだけです。


 例えば、あなたと離れ離れになった後で運ばれた麻薬中毒者の多い貧民街近くの病院に、精神科医ではなく手術に高額な費用が掛かる脳神経外科医がいる可能性がどれほど低いか。

 その医者が、取るに足らない身寄りもない子供にイエス・キリストより親身になってくれる可能性はどれほど低いか。

 いくらかは遺伝的な素質があろうと、天才と万人に認められる頭脳を親子でもつ可能性がどれほど低いか。

 私の母は何から逃げ、何と取引したのか。


 すべては、推測です。

 沢山の偶然と奇跡が重なった結果なのかもしれません。

 けれど、私にはそう思えませんでした。


 ヘンリー、私は死にます。

 その死が、人として自然なものなのか不自然なものなのかは分かりませんが、私は私の死を受け入れています。

 でも、ヘンリーは生きてください。

 私よりも、ずっとずっと長く生きてください。


 心強い味方を得て、平穏な家庭を築き、あなたの心のまま自由に生きてください。


 どうか、幸せに。


 私はあなたに、それだけを望みます。

 

 永遠の愛を。


 べリンダ・レイス











この作品にお付き合いくださり、ありがとうございました。


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