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僕が彼女に初めて対面したのは2年半ほど前。
彼女は弟を取り上げられた当時、弟の名を呼んでいても彼女自身の名を孤児院で明かしていなかったから、報告書にもその名が記載されていなかった。
だから、1年ほど前から天才の名をほしいままにしていた彼女の存在に気づけなかった。また再調査をしたところ、彼女は弟がいなくなってからほどなく病院に送られ、退院後は別の孤児院に入っていたことから、“天才”が孤児院出身と聞き、その孤児院の名前を聞いてもすぐには分からなかった。
義務教育を飛び級で終えて、プログラムの特許料で孤児院を出て暮らしているが、高校にも大学にも進んでいない。
改良してはいるが何世代も型落ちのPC一台でどんな最新のPCを駆使した人間も敵わない功績を積み上げる。
両親が、その話を聞いて動かないはずがない。
すぐに学校に要請し、学校を通して天才の援助と入学を申し出ると、どんなスポンサーにも頷かなかった天才は意外なほどあっさりとその申し出を受けた。
おそらく、彼女は知っていたのだ。
この学校が実質はジェインビー家によって運営されていることに。
そうして、僕の目の前に現れた彼女はこう要求した。
『あなたの養弟に会わせてください』
『……どうして、見ず知らずの君と弟を会わせないといけないんだ?』
『あなたたちと会ったことはありませんが、あなたの養弟と私とが、見ず知らずの人間の手によって別離した家族だからです』
彼女の口から放たれた言葉に、衝撃を受けた。
反射的に彼女を敵だと認識した僕は、淡々と要求を突きつけるその顔を睨む。
『私の同意も得ず無理やりあの子を取り上げたあなたたちと、会わせてほしいとあなたに願っている私。どちらが穏当な手段をとっているかは明白です。あの子の家族だと名乗るなと言われるなら名乗りません。正式な手段じゃなくてもいい。私とあの子とを会せてください』
『戯言に付き合うつもりはない』
『聖ルイス教会付属の孤児院で、大嘘垂れてあの子を奪ったのはどこの誰ですか?』
下町訛り混じりの言葉には、まぎれもない皮肉があった。
そして、続いた言葉に絶句する。
売女の子供を引き取ろうなんてモノ好きが、この先現れるなんて思うのか? お前が断るって言うなら、そいつにはろくでなしの人生しかない、どうせ父親も母親も麻薬中毒者で人殺しにも手を染める悪党だろ? そんな人間の子供は同じ道をたどるものだ。
『私の説得に使われた言葉です。あの子だけでも救ってやろうって言われているのだから、ありがたく差し出せ、と。だから、見極めたいんです。あなたたちも、そう言った職員と同列の人間なのかを……』
『君は、僕たちとその下劣な言葉を口にした者とが同類だというのか? 両親は兄と同じ才能を持った子供に兄と同じように最高の教育を施したいと願い正式な手続きを経て、弟を引き取った。それを非難される謂れはない』
『たぶん、そうでしょうね』
彼女はあっさりと肯定した。
『私もたった1人の家族を奪われそうになって頑なになっていたのは認めます。利用価値のある人間を集めて何をする気なんだ、利用価値が無くなればどうする気なんだと内心では考えていましたが、反面、分かってもいたんです。手放した方があの子が幸せになることくらい。それでも、手放したくなかった』
理性的な、どこまでも理性的な言葉で彼女が合理的な選択を行えなかったを認める。
けれど、同じだけ理性的な言葉で、
『そして、あなたたちは私と話ができるなんて思っていなかった。そうでしょう?』
合理的に行動するがゆえに、すげなく切り捨ててしまった変えようのない事実を突きつける。
けれど、どうしてだろう。
彼女の言葉には、狂気があった。
隠しきれない、異常な執着があった。
『私は父親を知りません。母親は売女でした。あの子の父親も良く知りませんが、畜生にも劣る人間であることは確かです。それを分かっていて、仮にあの子が才能を持っていなかったとしても、あの子を引き取るのでしょうか?』
真正面から問われたのは、もしもの話。
もしも、あの子に才能が無かったら。
『私は、あなたたちに直接そう問いたかった。それが無理だったから職員にいいました。それでも、引き取ると言っているんですか、と。返ってきた言葉はさきほどと大差ありませんでした。だから私は、あの子を手放したくなかった』
彼女は危険だと、頭の中で警鐘が鳴る。
『すべては、きっかけにすぎない。弟の才能が無くなろうと、あの子はもう僕たちの家族だ』
彼女はふっ、と微笑を浮かべた。
『言葉では何とでも言えますが、あなたの表明する意思だけは分かりました。その言葉が真実かを確かめるためにも、ぜひあなたの養弟に会いたいのですが、都合をつけてくれませんか?』
『……断る』
『どうしてですか?』
そのとき口にした言葉を、僕はこの先ずっと後悔することになる。
『11歳までそんな環境で育ち、人格形成された人間を不用意に弟に近づけたくはない。なにより、弟は恐らく君を覚えていない。なら、君の存在なんて忘れていたほうが幸せだ』
彼女は表情を変えなかった。
『だったら、どうすればいいですか? どうすれば、認めてくれますか?』
すぐさま出てきた言葉は、どこまでも前向きで、だからこそ苛立った。
『君が無害で、弟に近づくことが弟の利益になると僕に認めさせたらいい』
『具体的には?』
『結果を出して、僕を超えること』
彼女は、それを反論もなく了承した。




