出席番号8番 クドウ(旧姓) ユキ
クドウがホンダと結婚したのは、大学を卒業してからだった。
しかし、付き合い始めたのは高校生の頃だった。
クドウは、ホンダを追いかけるようにして、同じ高校に進んだ。
クドウは、中学生のときからホンダのことが好きだった。
しかし、中学時代に想いを伝えることはできなかった。
高校に入ってからも、ホンダとの距離は変わらず。
遠くから見守る日々が続いた。
クドウとホンダの2人の関係は、付き合い始める日まで、友だちまでもいかない、ただの知り合いだった。
高校時代に勇気を出してホンダに声をかけたあの日。
あれはクドウにとって人生最良の決断だったと思っている。
クドウは、同じ高校に進み、同じ茶道部だったホシノと団子屋でゆっくりしてから、山登りに戻った。
クドウとホシノは、大学1年の夏休みには会って遊んだりもした。
しかし、それ以降は自然と連絡も途絶えがちとなり、大学を卒業する頃にはすっかり疎遠になっていた。
だが、こうして久しぶりに会ってみれば、昔のように楽しくおしゃべりができる。
気兼ねせずに話せる友だちというのが、貴重な存在だということが、この歳になると骨身に染みる。
クドウは、結婚したがホンダと共働きで、ドラッグストアの薬剤師として働いている。
職場には、ランチを共にする友だちはいるが、彼女たちと話していても、こうはならない。
この感覚をずっと忘れていた気がしていた。
心の奥の方から、ホワッと何かが溶け出てくるような、ホッする感覚。
心の奥では、何かにワクワクしている心地よいトキメキ。
自然と笑みがにじみ出て、会話がポンポンと弾む。
クドウたちのすぐ前には、同じように団子屋の前でゆっくりとしていたアイザワ、マカベ、ワタナベの3人組が歩いている。
その3人の歩調が遅くなり、クドウたちと並ぶ。
「ユキ、今さらかもしれないけど、ホンダくんとの結婚おめでとう。
風の噂で知ってはいたけど、全然会う機会がなくて言いそびれていたわ。」
アイザワが、クドウに声をかけた。
それに続くようにして、マカベ、ワタナベも「おめでとう。」とクドウに声をかける。
ワタナベにとって、この一言の意味は大きかった。
ここに来る前、ワタナベはアイザワとマカベに相談していた。
ワタナベは、クドウに会ったら、ホンダとの結婚を祝福する言葉をかけたかった。
そうすることで、ワタナベの中にあるホンダへ想いを寄せていた過去と、きちんと決別をしたかった。
そして自分が好きだったホンダの幸せを、きちんと祝いたかった。
だが、ワタナベひとりで、クドウにその一言を投げかけるのは難しかった。そこで、アイザワがキッカケを作ってくれたのだった。
「ありがとう。ユウコ、ちょっと2人で話せないかしら。」
クドウが、微笑みながら言う。
学生だった頃に、ワタナベとホンダが友だち以上の関係だったことを、みんなが知っているだけに、周囲に張りつめた空気が流れる。
ワタナベの想いを知っているアイザワとマカベは、クドウに鋭い視線を向ける。
「別に構わないわ。少し先を歩きましょうか。」
ワタナベが、控えめの声で返事する。
クドウが歩調を早めると、それに従うようにして、ワタナベも早足になる。
クドウとワタナベの2人が先を歩き、5メートル以上離れた後ろにホシノ、アイザワ、マカベの3人が続いた。
アイザワとマカベは、心配そうにワタナベの背中を見つめていた。
この同窓会は、ホンダが動くようにクドウがいろいろと画策して実現したものだった。
世間一般的なパーティースタイルではなく、アウトドアイベントという形をとったのも、クドウの意図だった。
それは、昔に戻って思い出に浸りつつ、今を楽しみたいというのも理由の1つではあったが、1番の目的は2人きりでワタナベと話す機会が欲しかったからだった。
そのチャンスが早くも訪れた。
クドウは、早速本題を切り出すことにした。
「ユウコ、リョウにはやっぱりあなたが必要みたい。昔みたいにと言われても、今さら困るでしょうけど、彼と関係を修復できないかしら。」
突然のことに、ワタナベは驚愕の表情を浮かべて、クドウをにらんでしまった。
ワタナベとホンダは、幼なじみだった。
しかし、高校からは別々の学校に進んだ。
それでも、高校生の頃には、家が近所ということで2人は頻繁に会っていた。
昔からずっと一緒にいたせいか、何でも話せる親友のような関係だった。
しかし、ホンダがクドウと付き合い始めてからは、ワタナベはクドウに遠慮して連絡をしないようにしていた。
そうして、いつの間にかワタナベとホンダの関係は疎遠になっていった。
ホンダは、クドウと付き合うまでに何人もの女性と付き合っていたが、それまでの女たちに対して、ワタナベが気を遣うことはなかった。
しかし、クドウは特別だった。
それは、ワタナベとクドウが衝突したからというわけでもなく、ワタナベとホンダの仲が悪くなったというわけでもない。
そのため、ホンダとワタナベの間における、表面上の付き合いは今でも続いている。
実家が近所で、親同士の近所付き合いもあるので、スパっと切れる関係ではないのだ。
だが、昔のように腹を割って話すということは、なくなっていた。
「関係を修復って、私とリョウは付き合ったことないわよ。
ただの幼なじみ。
それに彼にとって私は、女として認識されていないわ。」
「そんなことないわよ。
軽そうに見えて、臆病なのは知っているでしょう。
リョウは、自分から告白したことはないわ。
付き合った子は、みんな向こうから寄ってきた子たちよ。
でも、それを知っていても、あなたはリョウに告白しなかったのでしょう。
リョウは、ずっと待っていたのだと思うわ。
ちょっと女々しいけどね。」
「そんなこと、今さら言われたって、私だって待っていたときもあった。
でも、リョウの1番の相手はサッカーだった。リョウにとって恋愛はオマケでしかなかった。
だから、私はジャマをしてはいけないと思っていたの。
だから、私は、リョウにとってのサッカーのような何かを、私にとって特別な何かを探そうとしていたのよ。」
「それで、リョウにとって1番あなたを必要としていたときに、あなたは日本にいなかった。
本来なら、私の出番ではなかった。
でも、あのときリョウの前には、私がいた。」
「さっきから何なのよ。
2年生の夏休み、たった2週間イギリスにホームステイしていただけじゃない。
あのときにあんなことが起きるなんて、誰もリョウが選手生命に関わる怪我をするなんて思わないじゃない。」
「そうね。でも起きてしまった。
あのとき、リョウが以前のようにサッカーができないとわかると、途端に周囲の態度が変わったわ。
まず、顧問の先生がリョウを見放した。
仲間だと思っていたチームメイトは、リタイアしたリョウを本気で心配できるほど余裕がなかった。
彼の穴を必死に取り合っていたのだから、仕方ないわよね。
そして、リョウを追いかけまわしていた女の子たちは、あっさりと去っていった。
でも、ちゃんとリハビリに励めば、大学に進学する頃には復帰できていたかもしれなかったのよ。
だけど、リョウはそんなに強い男じゃない。
私は、そこを理解していた。
本当のリョウを受け入れてあげた。
そして、一緒に歩んだ。
それは、あなたがリョウの隣にいなかったから。」
「そうね。
リョウは確かにコツコツと努力するようなことはしないし、ドン底から這い上がる根性もないわ。
チヤホヤされて輝くタイプね。
でも、私だったら、リョウからサッカーを取り上げるようなことはしなかった。
あのときから、リョウは一度もサッカーボールを蹴っていないのでしょう。」
「そうよ。
次にサッカーボールを蹴るときは、自分の息子とサッカーをするときだと私と約束したの。
それまで、必死に勉強して、働いて、一人前の家庭を築いて、息子とサッカーをする日までは、サッカーボールを蹴らないとね。」
「やっぱり、ユキで良かったのよ。
私には、あのときのリョウを立ち直らせるのは無理だったわ。」
「でもね、私は子どもが産めないのよ。
リョウは子どもを欲しがっている。
サッカーへの渇望以上に、息子を欲しているわ。
だって、リョウは、そのために生まれ変わったように努力してきたのだから。
あなた、学生時代にリョウが勉強している姿なんて、見たことなかったでしょう。」
「確かにリョウは変わったわ。
でも、リョウは勉強をしないだけで、頭の回転は早かった。
勉強するというキッカケが遅かっただけ。
それよりも、そんな理由であなたはリョウと別れる気なの。」
「そんな理由なんて軽いものじゃないわ。
これは深刻な問題よ。
それに、私はリョウの弱いところを受け入れたように思っていたけど、実際のところは、彼のオシリを叩いて走らせていただけ。
リョウが求めているのは一緒に寄り添ってくれる人。
自分のままでいられる相手。
それができるのはユウコ、あなたしかいないでしょう。」
「勝手なこと言わないでよ。
私にだって選ぶ権利はあるし、このことをリョウだって知らないのでしょう。」
「中学生のときから思っていたのだけど、あなたたちはお似合いよ。
私は、リョウの弱みにつけこんだ泥棒猫。
じっくり考えてみるのね。
そして、リョウが自分から動かない男ということを忘れないでね。」
クドウは、そう言うと、ワタナベの返事を待たずにホシノ、アイザワ、マカベたちのいる後ろの集団に合流した。