97 障壁13−2
「セルバロー殿は、少将殿をご存じなのか?」
「まぁ、昔から腐れ縁でね。嫌と言うほど知っています。残念ながらね」
「そう……あの方はご立派だ。何十年も続いた戦争を終わらせられた」
「それはまぁ、そうです。この一年、奴は憑かれたように、手柄をあげる事に拘泥していた。以前とは大違いだ。俺にはあいつが――あいつも何かを欲しているように見えたんですよ」
「欲して……それは?」
「さぁ? 興味がないので聞いてはいませんが、俺の考えでは、それはある女の事ではないかなと」
セルバローはレーニエの様子を、注意深く見守りながらそう言った。
「お……んな?」
茫洋とした様子でレーニエは呟く。
「推測ですがね。俺のカンは滅多に外れません。それが自慢で」
「では、そうなのだろう。どうやらファイザル殿は、望みのものを手に入れられたようだ」
「え!?」
意外な答えに、セルバローは珍しく眼を瞠った。
この子は一体何を言っているんだ?
この娘こそがあいつの……
「私は……」
レーニエは前に踏み出し、階段を一段下りる。その表情はセルバローには伺えなくなった。
「殿下?」
「この役目を終えたら、私は北の地に帰ろうと思う」
「北へ?」
「そう、なるべく早く……遠い懐かしいノヴァの地に」
次第に小さくなる声は、微風にさえ攫われるようにか細く消えてゆく。
ふん……やっぱり何かあったな。
王女様かなんだか知らないが、この子はまちがいなくいい子だ。
こんないい子をこれ程哀しませて、奴は一体何をしてたんだ!
女だと言ってたな……成程。読めてきたぜ……気障な事をしてくさる。
セルバローは思い切り眉を顰め、ふんと鼻を鳴らす。
その時、可愛らしい声が広場近くの路地から聞こえてきた。
レーニエはそちらに顔を向けると、声に誘われるようにゆっくり段を下りて行った。
「レーニエ様、どちらへ?」
二人に遠慮して少し離れていたジャヌーが慌てて後を追う。
レーニエは石段を下り立ち、広場を進んでいった。
近くの路地に目をやると、五、六人の幼い子ども達が遊んでいる。ぼんやりとそちらへ足を運ぶと、ジャヌーが脇に並ぶ。
「レーニエ様、あまり狭い場所へは……」
「ああ。ここで見ている」
心配そうに声をかけるのへ頷き返し、レーニエは路地の入り口で足を止め、子ども達の遊ぶ様子を眺めた。
「あれはなんと言う遊びかな?」
子ども達は敷石に小石を投げ、その小石が入った敷石を避けるように片足で跳んでいる。
「ああ、ケンケンですかね? 俺も昔はよくやったもんです」
ジャヌーの反対側に立ったセルバローが答えた。
「ケンケン?」
「ええ、ああやって小石を投げてですね、小石がある敷石には入ってはいけない約束があって……ああやって片足で飛び越えていくんです」
「ふぅ〜ん、我が領地では、見かけない遊びだな」
「そうでございますね」
ジャヌーも相槌を打つ。
「よく見て覚えて……帰ったらマリ達に教えてあげようかな」
ふ……とレーニエは笑った。
その微笑みが酷く切なそうで、ジャヌーは胸が締め付けられた。
「うん、そうだ。そうしよう」
レーニエがもう少しよく見ようと、子ども達の方へ向き直った。
ガラガラガラ
広場の方からやって来た荷車は驢馬ではなく、馬が繋がれている。
ジャヌーがさっとレーニエを脇に庇おうとしたが、その荷車は路地に入ることなく通りすぎてゆき、人々が気を抜いた時。
広場に面した一番手前の店舗の裏口から、数人の男たちが剣を片手に飛び出してきた。馬車で路地をやり過ごしてから、建物を通って路地に侵入してきたのだ。
男たちは市民の恰好をしていたが、手に手に得物を持っている。
六、七人はいる。荷駄の中に隠れていたのだろう。何れにせよ、路地から広場への出口は完全に塞がれてしまった。
「なんだ! 貴様ら!」
後側を守っていた兵士が素早く剣を構えたが、相手の斬り込みの方が僅かに早く、足を斬りはらわれてしまう。
「うあ!」
斬られた兵士は堪らずによろけ、更に踏み込もうとする敵に別の兵士が駆けつけ、すんでの所で敵の剣を受けた
「ダナン! 大丈夫か!?」
助けた兵士もあっという間に戦闘に巻き込まれ、そこへセルバローがずいと割って入った。
味方は四人、対して敵は七人。しかし、雷神は少しも臆してなどいなかった。
「ふん、舐めるなよ。俺は『雷神』だ!」
「おお! 雷神! 仲間の敵ぞ!」
「相手にとって不足なし!」
敵も決死の覚悟の者たちなのだろう。勇躍して剣を構えなおす。
「俺は大いに不足だぞ!」
セルバローは陽気に叫んだが、味方の四人中、一人は既に負傷しているのに対し、相手は市街戦に適した完全武装の七人。
いかなセルバローでも、長剣の大振りが利かない路地では、一度に一人の相手が精一杯だ。
「逃げろ! 子ども達!」
レーニエが叫んだ。
呆然と斬り合いを見つめていた子ども達は、わっと路地の奥に散っていった。が、一番小さい子が敷石の出っ張りに蹴躓いて転んでしまう。レーニエが駆けより、子どもを助け起こした。
ジャヌーが子どもとレーニエを背後に庇いながら、路地の向こうへ逃れようとする。その時、奥の建物の隙間からも二人の男が現れた。
「くそ!?」
更に敵の数が増える。これで退路も絶たれてしまった。
「『掃討のセス』の部下とお見受けする。奴を出せ」
新手の内の一人が、ジャヌーに凄むが、彼は動じない。
「司令官閣下なら市庁舎の中だ。こんなところで子どもの遊びを邪魔している暇があったら、勝手に踏み見込むがいい!」
背後で斬り結ぶ音を気にしながら、ジャヌーは奥の二人の男と対峙した。
こんな奴らがファイザルに向かって行っても何ほどの事はないが、レーニエを傷つけられるのは、なんとしても回避せねばならない。
「そいつはなんだ? エルファランの使者か? なら都合がいい。そいつを虜にして、奴を引きずりだせ!」
男たちの一人がレーニエに目を付けて叫んだ。
途端に背後で戦っていた男たちが駆けつける気配を感じ、ジャヌーの腕に力が籠る。
「させるか!」
「ぎゃああ!」
セルバローが払った剣に背中を斬られ、男の一人が仰け反って倒れた。
石の壁にざっと血飛沫がかかる。ジャヌーの前にも二人の男が立ちはだかっている。
彼は壁を背にしたレーニエの前で、二人の男と同時に斬り結んだ。
凄まじい金属音。おめく男たちの声。
レーニエは壁に張り付いたまま、声も出せない。
背中に子どもを庇って立っているのがやっとのありさまだ。子どもは恐ろしさで声も出せずに泣いている。
人が斬り合うところを見るのは、以前領地で脱走兵とファイザルの立ち合いを見て以来だった。
あの時は実力に差がありすぎ、あっという間に決着がついたが、今回は味方の方が人数が少ない。
「でやぁ!」
ジャヌーの鋭い突きが、一人の男の胸を貫く。男は血を吹き上げ、ものも言わずにその場に倒れた。休む間もなくジャヌーは、もう一人の男に向き合う。
この男の方が腕は立つようで、ジャヌーは突きを避け切れず腕に浅い傷を負った。
しかし、怯むことなくジャヌーは応戦する。腕力では彼の方が上のようで、次第に敵は押され、路地の奥の方へと足場を移していった。
「ジャ……」
不意にレーニエの腰に何かが当たり、どさりと落ちた。
見るとそれは、人間の手首だった。まだ剣を握っているかのように指がぴくぴくと握りしめられている。
切り口から血が流れで、レーニエの服の裾を汚した。腕を斬られた男の喚き声が突き刺さる。
「あ……」
思わず顔を上げたレーニエの視界の隅に、もう一人の男が映る。
二人の男たちが出てきた建物の隙間に、彼はじっと立っていた。ジャヌーはやや斜め前方で戦っているので、レーニエの前には今誰もいない。
男は薄く笑ってレーニエの真正面で腕を上げた。上げた腕に小型の弓のような物が仕込まれている。
射られる、とレーニエは思った。
だが声は出せない。ジャヌーもセルバローも彼女の左右で敵と戦っている。ヘタに声を上げれば、彼等はすぐにレーニエを守ろうと身を翻すだろう。
その隙を突かれ、背後から攻撃を受けてしまうかも知れなかったからだ。
レーニエはまっすぐに男を見た。
男が腕に仕掛けられた弓を引き絞る。レーニエは長衣を着ているせいで、背後の子どもが隠れていて良かったと思った。
よい、射よ。
私の――命をやろう。
レーニエはまっすぐに男を見た。周囲の音が遠ざかってゆく。
ビィン!
激しく弓が鳴る。
同時にレーニエは何も見えなくなった。
褒めてください・・・(なにを?)