93 障壁10−2
「レーニエ様、私も殿下のお考えは正しいと思います。だって、とても合点がいきますもの。正論ですが、正論とは正しいことなのですわ」
「え?」
沈み込んでいた顔が上がり、シザーラはそれへきっぱりと頷いた。
「はい。私も祖父と同じく、レーニエ殿下をご信頼申し上げたいと思います」
「私が考え無しにした提案に、ご立腹されてはおられないのか?」
「いいえ。こう見えて、あのお爺さんの孫ですわ。そう言う事もあろうかと思います。ましてやレーニエ様は、誠実なお気持ちからあのような事を申されたのでしょう?」
「……言ってはみたが、上手くいくとは限らない。私には何の権限もないし、持つ気もない。ましてや、人の気持ちは不確かなものだから」
悲しみの影が、再びレーニエの眉間を覆った。
「そうかもしれません。ですがよい方法だと思います。祖父もそう思ったからこそ、私に話してくれたのですわ。第一レーニエ様は着想だけで、ワルイ部分はどうせ祖父が考えたのでしょ?」
「さ……それは……。だが、私には何の見通しも持てない」
「まぁ、後の事はお爺さまや、そちらの文官に任せてですね……私も会議には出させていただくかもしれませんが。余りご心配なさらぬ方がいいと思います。何といっても後は、政治家の仕事ですもの」
シザーラはやはり政治家の顔で不敵に笑った。
「ところでレーニエ様」
「はい」
「お聞きしたいと事がございますの」
突然口調を変えてシザーラが改まった。
「何でしょう」
「レーニエ様、レーニエ様の想われる殿方は、お近くにいらっしゃるのでしょう?」
昨夜、祖父から会見の一部始終を聞き、自らの感性で概ね事情を察したシザーラはカマをかけている。
「……え?」
「唐突に申し訳ございませぬ。不愉快とお思いでしたら、ご返事いただかなくともようございます。ただそんな気がしただけで」
彼女はそれ以上追及することはせず、穏やかに隣国の王女に微笑んだ。
「もしそうなら、お悩みの点を、その方に打ち明けられてはいかがですか? ご信頼申し上げられる方なのでしょう? 今は大変な時期なので、思うような心の交流はできないのかもしれませんが、レーニエ様のお気持ちをお話するだけでも良いと思われます」
「なぜ、そのような事を私に?」
「私も女だからですわ」
「おん……な?」
「はい。私もこの数年、家族が次々に亡くなったり、私自身も殆ど軟禁状態にあったりして大変辛うございました。何より辛かったのは、人に会えない、想う方に会えない、話ができないという事でした。最近になってやっと、少しばかりの自由が許され、自分なりに動いていたのですけれど」
「……」
「アラメイン殿下ともいろいろ誤解があったり、疑念がわいたり……その内会う事も叶わなくなって……一時は諦めたのです。そしたらあの方、ご苦労がたたってご病気になられて」
「お辛かったであろうな」
「それはもう……でも私、思い切って秘かに会いに行ったのです」
「会いに?」
「ええ、でもその時の事は一生忘れません。僅かの時間でしたが、直接会って、お話しして……気持ちを伝え合えて」
「気持ちを……?」
「はい。ですから今、こうして二人でいる事ができるのですわ」
「ならば、私などが要らぬ事を提案して、お二人が周囲から誤解を受けたら心苦しいが」
「その事も話しあいます。まだいろいろ細かい変更を加える事ができるかもしれない。レーニエ様のお人柄がわかりましたので」
「……」
「ですが、今は殿下の事。レーニエ様にもし憂いがあられるなら、今後の両国の折衝にも波紋が広がるかもしれませぬ」
「私の気持ちが落ち着けば、両国間の協定が円滑に進むとでも? そんなことはないだろう?」
「そうかもしれません、でもそうでないかもしれません。レーニエ様が想うお方と幸せになられた方が、私にとっても都合がいいので……つまり私も私情で申しているのでございます」
そう言ってシザーラは微笑んだ。
シザーラが辞去した後、レーニエはしばらく一人で考え込んでいた。
やはり。このままではいけない。
シザーラ殿の言うとおり、話もせずにあれこれ思い悩んでいても何も解決しない。私は、何のためにここに来たのだ。
「サリア」
「ここに」
サリアがすぐに顔を出した。
「現在皆の動きはどんな具合かな?」
「文官の方々は、昼食そっちのけで細かい条文を作成中のようです。纏まったら両国で擦り合わせるのではないかと。武官の方々は護衛に立ったり、交替で休憩されたり……」
「とすれば、一階にはあまり人がいないのか?」
「出入口は厳重に警戒されていますが、そうですね、廊下などは静かでございました。次の休憩までには少し時間がありますし。それが何か?」
「すまないが、少し部屋を出る。サリアはついてこなくていい」
「……承知いたしました」
何かを察したのであろう、サリアはそれ以上聞いてはこなかった。
レーニエはこっそり階段を下りた。
サリアの言うとおり、薄暗い廊下には誰もいなかった。
広場に面した正面の扉は固く閉ざされており、その辺りに護衛の兵士が見える。外も厳重に警備されている。
ファイザルの部屋は知っていた。
階段を降りて左の三つめ。外で異変があった時、直ぐにレーニエを守りに走れる場所。
彼はきっと部屋にいる。自分がここにいるのだから。レーニエはそう確信していた。
とにかく会って話を聞いてもらおう。私の想いを伝えたい。
胸が高鳴る。
彼はどんな顔をするのだろうか?
断りもなく部屋を訪問したことに腹を立てるだろうか?
彼に叱られたことは幾度となくあった。だが、それはいつもレーニエの身を案じてのことで――。
レーニエは彼の部屋の前に立つ。
心臓はさっきからどうしようもなく暴走している。しかし愚図愚図はしていられない。こんなところを誰かに見られたら、彼に迷惑が懸るかも知れなかった。
意を決してノックする。
応えはない。
レーニエはぐいと顔を上げた。再びノックした後、扉を細く開ける。
「私だ。入らせて――ヨシュア……」
思い切って声をかけてから一呼吸置いてレーニエは扉を開け、中に滑り込んだ。
目の前に―――
ファイザルは居た。
こちらに広い背を向けて。
しかし、その腕は――
レーニエの知らない婦人を抱きしめて、そして――。
二人は口づけを交わしていた。
土下座。
すみません!
ここがきっと底辺かも。
レーニエちゃんファイト! 彼女の提案とは!?